No.03 デービッド・ローランドのGF40/4(1964)

20世紀の初頭からデザイナーや建築家がこぞって椅子のフレームを木に代わってスティールパイプを用い始めたのは、近代デザインの思想を実現できる格好の素材であったからである。
GF40/4という名称は、40本の椅子を4フィート
(120センチ強)の高さに積み重ねることができることから名付けられている。最初のGFはメーカーのイニシャルである。
この椅子はフレームに細いロッドを用いて、小さな曲げアールによる絶妙のプロポーションを形成している。また、座を複雑なプレス工程による鉄板とすることによって、スタッキングのピッチを最小限に押さえることに成功し、椅子のスタッキングという概念を一新した。この時代を象徴する椅子である。後に、成形合板の座や肘付きなどのバージョンも造られている。1964年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞。
デザイン:デービッド・ローランド(David Rowland)は、アメリカの西海岸で1924年生まれ、イームズと同じクランブルックで学び、1955年自らの事務所を設立。
製造:The General Fireproofing Company

 

事務所の仕事場に入るや否や、あっと驚くほどのGF40/4のミニチュアモデルが目に飛び込み、その数に圧倒された。デービッド・ローランドに逢った瞬間である。
その1年ぐらい前であったと思う。シカゴ郊外のとある工場を見学した時。そこのコンピュータールームに並んでいた椅子が発売されて間もないブルーのGF40/4。IBMのコンピューターのブルーとがあいまった鮮烈な印象が脳裏に焼きつき、コンピューター時代の到来を予測するに十分であった。1965年のことである。
その後、働くことになったネルソン事務所でも仲間とこの椅子の販売量(当時アメリカで大ヒットしていた)や生産方法について幾度となく話題にもなったし、ニューヨークのショールームで40脚がスタッキングされた様相はアート作品を見るようで、金属というありふれた素材で、その上量産的手法でこれほど美しい椅子ができるものかと大感激し、その時以来デービッド・ローランドに逢えることを熱望していた。
たまたま英国からネルソン事務所に修行に来ていた同僚のPがローランドの事務所で働くことになり、遊びに来いということから実現したのだが。当時、セントラルパークの東側にあった事務所へ勇んで出かけ、最初に出会った光景が無言の教訓としてその後永く私の中で生きつづけている。椅子のデザインはこのようにするものだと。
少しばかりの会話を交わす間に、この椅子にかけてきた彼の執念が読み取れ思わず感動したが、帰り際がっちりとした顔つきの彼の口から、「よかったら私の事務所に来る気はないか」という思いもかけない言葉に我が耳を疑いつつも、アメリカで仕事をする自信のようなものが生まれたものだ。
20年余りの歳月が流れ、1988年に文部省の在外研究員として滞米していた時、ニューヨークで電話帳をめくって突然電話をしたところ、「シーグラムビルの裏側のレストラン(今は名前を思い出せないが、フィリップ・ジョンソンがデザインした“フォーシーズン”と厨房をともにしているレストラン)で朝飯を」との誘いをうけ再会する。彼が元気であることは仄聞していたが、その精悍な顔つきは変わることなく、朝めし会を重ねながら聞いたこの椅子のその後の物語。一本の椅子に、命をかけたデザイナーの我が子にむける愛のようなものを感じずにはおれなかった。
細いスティールのロッドに支えられた鉄板の座を持つ40/4は、少しばかり重量があり、時に不便さも感じる。が、私のアトリエや務めていた大学などで多用することにしたのは、60−70年代初頭のアメリカ、否、世界の中でこの時代を象徴する椅子としてこれ以上のものがないと思うからである。13ミリ程度の細い金属のフレームで椅子になり、40脚を積み重ねることができる。スタッキングという概念をこれほど変えた椅子を私は知らない。世界中で数多くのデザイン賞を受けたのも大いに納得できる。
60年代末よりこの椅子のコピーや影響を受けたものが世界中でなんと多かったことか。それらのいずれもが細いパイプを用い、より軽量化、低価格になっていったのも時代の流れというものだろう。当然私も大いに参考にさせてもらった者の一人である。
しかし、今日、オリジナルを知らない世代は、コピーがコピーであることを知らずにありがたがる。椅子のデザインにおける多様な側面をあらためて知る思いである。
「日本で、この種の椅子のオリジナルを知らない世代のために、この椅子の存在を広めます」といって別れた時の、デービッドの手のぬくもりを思い出しながら。