No.11 ジオ・ポンティのスーパーレジェーラ 1951〜1957

今月もまた過去の椅子に影響を受けて誕生した20世紀の名品ジオ・ポンティの「スーパーレジェーラ」について書いてみたいと思いますが、あまりに書くべきことが多く、とても限られた紙幅では書ききれません。

ジオ・ポンティは、1891年ミラノに生まれ、ミラノ工科大学の建築科を卒業し、建築を中心にインテリア、工業製品、家具から家庭用品など幅広い範囲で、イタリアン・デザインを主導する。その一方で、デザインを中心とした造形分野を彼の正確な目を通して世界中に情報を発信し続けた「ドムス」という雑誌の創刊から編集を行ってきたことは特筆に値し、イタリアのデザイン文化を世界に広め、60年代から今日に至るイタリアデザインの隆盛を築いた父といわれている。
スーパーレジェーラ(Superleggera=超軽量)と名付けられた椅子は、19世紀中頃からイタリアのジェノバ近郊にあるキァヴァリ(Chiavari)で数多く作られていたレジェーロ(Leggero)という名の椅子に影響を受け、リ・デザインされたものとされている。1.8kgという驚くべき軽さを実現したのは、トネリコというねばりのある木材を使用し、三方向の接合のために特別のほぞを考案、さらに脚の先端部分の断面を18ミリの三角形として極限まで小さくしたことにより実現している。この椅子は1951年に「レジェーラ」という名前でカッシーナ社によって作られたが、更に1957年に改良。現在のスーパーレジェーラとなる。この種の小椅子では世界で最も軽量で、スリムで美しい椅子である。
デザイン:ジオ・ポンティ(Gio・Ponti)(1891〜1976)
製  造:カッシーナ社 (Cassina/Italy)

スーパーレジェーラの原点になった1825年頃のキァヴァリの椅子の一つ

カッシーナ社が軽さのデモンストレーションとした写真

軽さへの憧憬
持ち上げてみた。その瞬間あっと驚く軽さに仰天し、その時から「軽さ」への憧憬が離れず、いつかはこれより軽い椅子をデザインしてみたいと思い続けて25年はたった。
ジオ・ポンティに憧れを抱いたのは、スーパーレジェーラの軽さだけではない。
当時、海外のデザイン情報が得られる雑誌といえば、「ドムス」、イギリスの「デザイン」とアメリカの「インダストリアルデザイン」ぐらいであっただろうか。それらのなかでも、イタリアの雑誌「ドムス」は取り上げられる領域の広さと内容で群をぬいていた。学生時代には、船便のため2、3ヶ月遅れで大学の図書館に入るのを待ちわび、友人に先を越されないようにと図書館へよく急いだものだ。
ポンティへの憧れは、建築、インテリア、家具や雑貨まで幅広く素晴らしいデザインを展開していたことだけではなく、この雑誌「ドムス」の創刊時からの編集に携わり、世界にデザイン情報を発信し続けたイタリアのスーパースターであったからである。
1965年JETROの留学試験を受け、留学先をイタリアにしようかと大いに悩んだのは、一つにはポンティへの憧れ。もう一つは1956年に高島屋で開かれたイタリアン・フェアーである。
高校時代、ろくに勉強もせず絵ばかり描いていたが、展覧会と名のつくものにはよく足を運んでいた。後に勤めることになるなど考えてもみなかったが、この時難波の高島屋で見たモノの魅力的な造形は私のデザインの原風景となっていたからである。
つけ加えるなら、当時の高島屋は文化のステージとしての役割を果たしていた。「黄金コンパス賞」を設けイタリアデザイン発展の一翼をになった百貨店リナセンテと提携し、貿易統制のため海外のモノが容易に手に入らなかった時代にモノを通した文化交流の先端を走っていた。
アメリカ留学からの帰路、ミラノの中央駅に立ちイタリアン・デザイン探しの歩を進めようとした途端、眼前に美しいピレッリービル(注1)がそびえていた。
リナセンテでは、スーパーレジェーラをはじめ雑貨類の造形にイタリアン・デザインの息吹を肌で感じながら、外国部担当者と二人でオリべッテイのデザインで名を馳せていたニッツオーリの事務所などミラノの街を歩きまわり、イタリアン・デザインの萌芽を嗅ぎ取る数日を送ったことは忘れられない。
80年代も終わりの頃。ふとしたことからXシートという熱可塑性樹脂をガラス長繊維マットで強化した複合材料を知り、その強度と成形の容易さから極限まで材料を切りつめれば軽量の椅子が可能ではないか、と考えたのが事の起こり。脚部のアルミダイキャストを力学計算して最小限の断面にし、環境問題への提言(リサイクルやアッセンブリーコストの低減など)も含めてスタッキング可能な椅子をデザインした。RYS−90と名付けたこの椅子は指一本で持ち上げることができたし、ドイツでも発表し好評を得たが、最終的に重量が2.6kgになり材質による比重の差は如何ともし難かった。
軽さだけが椅子の価値ではないが、ポンティを越えられなかったRYS−90が、今、この原稿を書いている私の横で居座っている。

RYS−90とそのアッセンブリー図