No.26 ガエ・アウレンティのパイプ椅子(Locus Solus1964

今月は、イタリアの女性の建築家でインテリアデザイナーでもある奇才、ガエ・アウレンティについて書きますが、椅子よりも建築をはじめインテリアや美術館の改修、舞台美術などの方でも才能を発揮しているデザイナーです。
パリの古い駅舎をオルセー美術館として見事によみがえらせたガエ・アウレンティは、1927年イタリアで生まれ、1954年ミラノ工科大学建築科を卒業。建築雑誌「カサべラ」の編集にもたずさわった後、デザイン活動をはじめる。その活動範囲は、家具や照明器具よりも、建築を中心にオルセー美術館で示されたように、美術館の改修やそのディスプレー、ショールームなどのインテリアから舞台美術と実に多彩である。企業のショールームで代表的なものにオリベッティ社(1967)やフィアット社(1969)のショールームがある。1991年に高松宮殿下記念世界文化賞(建築部門)を受賞している。
アウレンティは椅子のデザインをそれほど多くは手がけていない。代表的な椅子では、このパイプ椅子の他にロッキングチェアー(1962)、プラスティックの一体成形された椅子(1968)やアルミの引き抜き材を寄せ集めてフレームにしたノール社のアウレンティコレクション(1976)などがある。
このパイプ椅子は、フレームが二本のパイプを曲げただけで構成されたシンプルなもので、この時代のパイプ製椅子の中で際立ち、この種の典型である。パイプによるテーブルも同時にデザインされている。
ただ、ケヤホルムが1962年(この椅子より2年前)にまったく同じパイプによる構成の椅子(PK12)(*1)をデザインしている。当時のデザイン情報がイタリアとデンマークの間でどのようであったかは定かでないし、アウレンティがケヤホルムの椅子を知っていたのかどうか知る由もない。
デザイン:ガエ・アウレンティ(Gae Aulenti 1927〜 )
製  造:オリジナルはポルトノバ社(Poltronova)、
1965よりザノッタ社(Zanotta)
参考文献:Margherita Petranzan,Gae Aulenti,Rizzoli
*1: ケヤホルムがPK12に続いて、1979年に曲木による同じ構成による美しい椅子(PK15)をデザインしている。

▲LOCUS SOLUSと。そのテーブル

▲ロッキンッグチェア(SGARSUL-1962)

▲プラスティックの椅子(SERIE GAE AULENTI -1968)

▲パリのオルセー美術館

 

▲ケヤホルムの同じ構成の椅子PK12(1962)  ケヤホルムノPK15(1979)▲

世に出るデザインの条件
それは、まるで悪夢を見ているかのようであった。アウレンティのパイプ椅子(Locus Solus)に初めて出会ったときのことである。
海外のデザイン情報が一、二の雑誌にかぎられていたころ、毎月来るのを楽しみに待ちわびていた雑誌の一つがイタリアの「ドムス(domus)」であった。しかし、見た途端これほどがっかりしたことはない。それまで苦労して描いた図面が丸めてごみ箱行きとなったのだから。
大学時代、物理学の授業で内容はさっぱり理解し得なかったが、教授の言葉に次のようなものがあったことを今でもはっきり記憶している。「私が今研究していることは、世界中の研究者が同じテーマで日夜研究している。もし、新たな知見や実験結果が出たら一日でも早く国際的に発表しなければならず、他人が先に発表すれば全ては水の泡である」と。
デザインの世界でこれに近いのが椅子のデザインであろう。デザインの目的が「人間が座るための道具」という単純なものであり、それはどこの国においても変わらない。世界中のデザイナーが同じ視点で構想を練っているのだから、同時に同じようなデザインが生まれても不思議でなく、早い者勝ちということになる。
若いころ勤めていた高島屋で、毎年「シャンブル・シャルマント展」というフランス語の洒落た名前で新たな生活空間を提案する展覧会を開いていた。当時の日本では、こういったインテリアの展覧会は希で世間の注目を集めていた。百貨店がデザイン文化の一翼を担っていた時代のことである。この展覧会に出品するには、設計部内のコンペで認められはじめて制作・出品が可能となるもので、普段は下働きの多い若手にとって一年に一度自らのデザインを問う機会として張り切ったものである。テーマの中に「量産家具」というのがあった。 量産といっても、家具のことだからそれほど数を作るわけでもないが、メーカーで商品化の可能性を探るというもの。自分のデザインした家具が市場に出る可能性があるかもしれない、このことだけでやたら興奮していた。協力メーカーが飛騨産業や秋田木工であったこともあり、職人の手による一品づくりでない加工方法、簡単にいえば曲木による計画的製品のデザインが求められた。
二本のぶなの木を曲げただけで椅子のフレームにするという方法を模索し、なんとか図面になりかけたころ、アウレンティのこの椅子に出会った。私の口でいうのもなんだが、素材がパイプと曲木の違いだけで、黒白写真で見れば何ら変わるところがなかった。その完成度に脱帽し、その日から検討することすらやめてしまった記憶がいまも鮮明に残っている。忘れられない椅子である。
世に出て、それが歴史に残るのは、発表した時期やオリジナリティと完成度はいうに及ばないが、世界に情報を発信できるメーカーで造られることとその背後のジャーナリズムがいかに大きいかを痛感する。たとえ、私が一年前に曲木をパイプに変えデザインしていたとしても、当時(60年代初め)の日本の状況では闇の中に消えていたことだろう。
その後、ケヤホルムが曲木による見事な解決を示したPK15(1979)。これには見とれるほかはなかった。