No.30・31 ポール・ケアホルムの PK-22 1955 PK-24 1965

今月は北欧に飛び、デンマークの奇才、ポール・ケアホルムをとりあげました。ミースに傾倒していたとされるそのデザインは、厳しさとともに気品があり、私もファンの一人です。

ポール・ケアホルムは、デンマークに生まれ、家具職人として修業の後、ハンス・ウェグナーの下で仕事をしながらコペンハーゲン美術工芸学校でデザインを学ぶ。卒業後、フリッツ・ハンセン社に勤務する。1955年からは王立芸術アカデミーで教鞭をとりながら制作活動をし、1977年からは教授。
創作活動の中心は家具デザインで、なかでも椅子のデザインは厳しさにあふれた完成度の高いものが多く、木製家具の多かった当時のデンマークのなかでも異色の存在である。
PK−22は、ミースのバルセロナチェアーに影響を受けたものとして有名で、スプリング鋼のフラットバー(クロームメッキつや消し仕上げ)による2本の脚部を2本の貫によってつながれ、座部は皮、籐、キャンバスの三種類からなる。シンプルで気品に満ちたデザインはケアホルムの代表作である。PK−24は、ハンモックチェアーとも呼ばれる寝椅子で籐を張った座部は角度が変えられるようになっている。他の椅子も含め、奇才というにふさわしい独自の造形性は今日でも光を放っている。後年は木という素材にも注目し、ルイジアナ美術館(*1)のコンサートホールの椅子や、PK-15などがある。
ミラノ・トリエンナーレでグランプリ(1957)のほか受賞も多い。

デザイン:ポール・ケアホルム
(Poul Kjaerholm 1929〜1980)
製  造:発売当時はコル・クリステンセン社
現在はフリッツ・ハンセン社(Fritz Hansen)
*1:コペンハーゲンの北、フレムベックにあるモダンアート中心の美術館。1958年に開館。1966〜71年にかけて新館がつながり、1982年南館が完成。コンサートホールは1976年にオープンされた。
参考文献、写真:Poul Kjaerholm,ARKITEKTENS FORLAG
のほか、ルイジアナ美術館のカタログ

 


▲PL24


▲PK22

▼ケアホルムの展示会のためのポスター
 

▼ルイジアナ美術館-野外から見た南館 ▲PK15
 
コナーとホールの椅子▲

デンマークの奇才、その気品にみちた造形
真っ赤なケアホルムのポスターを目にし、その美しさとともに痛恨の情にかられたのは1982年の初夏。コペンハーゲン郊外のルイジアナ美術館を訪れたときのことである。
そのひとつは、ケアホルムの早世であるが、さらに、数ヶ月前に彼の回顧展とでもいうべき展覧会がここルイジアナで開催されていたことを知り、 残念な思いにくれた。
赤く染まったポスターは、その時ショップにあったもので、迷わず買い求め、今そのポスターを前にこの原稿を書いているのだが、赤から朱へのグラデュエーションがなんとも美しい。
ケアホルムに憧憬を抱くようになったのはいつのころだっただろうか。 ケアホルムが傾倒していたといわれるミースの本拠地、シカゴのカーソン・ピリー・スコット(*1)での北欧家具展示会。PK−22や発表されて間もないPK−24に出会ったときだから1967年ごろでなかったか。 金属のシャープな扱いと籐や皮とのみごとな対比、それにどことなく気品が漂う造形。おもわずミースのクラウンホールへ持ち込めば、ミースはなんというだろうか、とドミトリーへの帰りのバスなかで思ったほどだ。
木を素材としたバナキュラーな視点から発展してきたデンマークの家具は、ヒューマンな温かさがあって60年代のアメリカでも大きな評価を得ていた。 が、ケアホルムは、それらのなかでも金属を主な素材とした異色の存在で、 そのシャープで厳しい造形に魅惑され、いつか会ってみたいデザイナーの一人であった。
デンマークの友人から「ルイジアナ美術館の新館(南館)がオープンしたので行かないか」と誘われ、コンサートホールの椅子を見たかったので二つ返事で「OK」した。コペンハーゲンから電車で一時間たらず、 乗った電車が途中で事故に遭うというハプニングもあったが、 ルイジアナは期待を裏切らない自然とのみごとな共生をなし、少しばかり疲れがみえてきた旅の最後の日を癒してくれた。
天井の布からこぼれ落ちるやわらかな光を取り入れた内部空間とみどり豊かな自然に抱かれた外部空間とが一体となった美術館は、私の知る限りこのルイジアナだけであろう。 外部に展示された彫刻を内部から見るという形式はメキシコの人類学博物館にもあった。けれども、ここはいつでも外部へ出て自然の空気に触れ、また好きなときに内部にもどることができる。 自然と同化した、これこそがデンマークらしさの表れた美術館。 敷地の中の小高い場所に「シティングルーム」という小さな部屋が設けられていて、デンマークらしい木の瀟洒な椅子に腰をおろすと、紺青の海の彼方にスエーデンを眺めることができ、近くにはカルダーの巨大な赤いモビールがゆったりとあたりの空気を動かしていた。ゆったりと。
コンサートホールの椅子は、おそらく彼の最後の仕事だと思うのだが、これまでとは一転して木だけでできた、それも座と背が薄い板を編みこんだ劇場用のシート。 私にはとても考えられない木の使い方で、やはりデンマーク、木に対する接し方の差であろう。後年は木という素材を見つめなおしたのだろうか。素材が換わろうと、厳しく自己の造形を追い求めたケアホルムらしさが溢れたもので感服するほかはなかった。
その日の夜、日本に向けた飛行機の中、赤く染められたケアホルムのポスターを手に、ありし日の北欧の奇才に思いを馳せていた。
*1:シカゴのループの中心、マディソンストリートとステートストリートの交差点にあるルイス・サリヴァンの設計になる百貨店。