No.34 モーエンス・コックの折りたたみ椅子(MKチェア—) 1932(オリジナル)、1960(製品化)

通称ディレクターチェアーと呼ばれるキャンバス張りの折りたたみ椅子。そのリ・デザインされた美しい椅子、モーエンス・コックのMKチェアーについて今月は書いてみます。
モーエンス・コックは、1925年コペンハーゲンに生まれ、王立芸術アカデミーを卒業。1925〜30年の間コーレ・クリントとともに仕事をし、1934年自らの事務所を創設。39年からは王立芸術アカデミーの教授も兼ねる。建築家として、家具では収納家具のシステムなどのデザインが多い。
MXチェアーのオリジナルとされる脚部をXに交差した折りたたみ椅子は古代エジプトにすでにあったとされるが、いつごろ誰が現在のかたちにしたのかは不明である。が、大衆の椅子になったのはアメリカで、南北戦争当時の写真によく似た椅子があり、ウィスコンシン州のゴールドメタル社で1903年に生産された記録もある。20世紀になってアメリカでは膨大な数が生産された。 その一方で、1805〜10年頃ナポレオンのキャンプチェアーとしての記録は、エジプト時代の権威の象徴としてナポレオンの時代にも存在したことを示している。また現在相当高価なディレクターチェアーもあるというのは、この構成の椅子の意味の大きさを物語る。
デンマークではこの種の椅子はあまり普及していなかった。コックが1929年に自らのテラスハウスのために金物商で買ったのは、アメリカ製のものではなく出所は不明である。それをもとに1932年、教会で使う折りたたみ椅子のコンペのためにリ・デザインを試みる。肘を革に代え、Xに交差したフレームをスライドさせる脚部の溝をやめて真鍮のリングにした美しい椅子を完成させた。コンペでは勝てなかったが、1938年にキャビネットメーカーのジェンセン・ケアー(Jensen Kjaer)で造り展示会に出品する。なぜすぐに製造されなかったのかについては、コックが製造のために持ち込んだ工場の破産が原因であったとされている。1960年になってやっとインテルナ社によって製造・販売された。 子供用や折りたたみテーブル、6脚用のラックもあり、美しい木製の折りたたみ椅子の代表である。
デザイン:モーエンス・コッホ(Mogens Koch 1898〜1992
製  造:インテルナ社(Interna)1980年からはルド・ラスムッセン社(Rud Rasmussens Snedkerier)
*1:Jay Doblin,One Hundred Great Product Design,
Van Nostrand Reinhold
*2:このあたりの背景についてはデンマークのデザイン誌「mobilia」1983年, no.319の25頁から33頁を参照されたい。


▲MKチェアー


▲折りたたみテーブルとMKチェアー

  
▲1900年代初めのナポレオンのキャンプチェアー ▲6脚用のラック


▲左:アメリカで一般的なディレクターチェア^
▲中央:1929年、金物商でコックが購入したMKチェアーのオリジナル
▲右;コックのMKチェアー

デンマーク風のリ・デザイン
厳しかった暑さも少し和らいだ先日、オープンテラスのカフェで友人とコーヒーを飲んでいたとき、話の途中で、突然「好きな椅子はディレクターチェアーやなあ」と、いいだしたのには面食らった。
彼は家具にもデザインにも無縁な男で、「なんで?」と聞いてみたが、特別の理由もないらしく口ごもるだけで、それ以上聞くことはしなかった。屋外という雰囲気もあったが、同世代だからまちがいなく映画のせいだろう。
われわれの若いころの娯楽といえば映画しかなく、中学時代には学期末の試験が終われば映画を見に行くと相場が決まっていた。家の近くにバラック小屋の映画館があって、2本立て、3本立てで上映していたので、50円もあれば一日中楽しめた。映画の中でもアメリカ映画の描き出す生活文化はなんともまばゆく、はるかかなたの世界のこととして憧憬の眼差しで眺めていたし、映画雑誌も数冊はあった。代表的なものに「スクリーン」というのがあり、見るとロケ地で監督が背のキャンバスに自らの名前の入ったディレクターチェアーに座っている。それが子供ながらになんともカッコよかった。
ディレクターチェアーといえば、思い出すというか、忘れられないのがシカゴ時代のこと。毎週の月曜と金曜の夜にあったダブリン教授の大学院のゼミ。クラウンホールの地下にあるゼミ室の椅子がなんと緑のキャンバスで張られたディレクターチェアーであったのには驚かされた。あのミースのクラウンホールに、である。どう考えても不釣合いのように思えたし、せめてイームズのFRPの椅子ぐらいか、と思ったのだが。モダニストのダブリン教授が、それもクラウンホールに、どうしてディレクターチェアーを選ぶのか不思議でならなかった。だが、数年後にその謎が解けた。彼の著した「デザイン100選」 にディレクターチェアーを選び、アノニマスなデザインとして評価していたのだ。
MKチェアーに出会ったのは、輸入されはじめた初期のころ、新宿の小田急ハルクの家具売場であった。あのころは東京へ出張があると、何か新しい家具があるか、と時間があればよく立ち寄って帰ることにしていた。
あるとき通路脇にふと変わった椅子が目に留まった。それがMKチェアーとの最初の出会いで、革の肘やディテールなどを確かめ、折りたたんだりしながら座ってみると、どうしても欲しくなった。後日、財布をはたいて買うことにしたのは、もちろんコックの美しいデザインによるが、友人と同様に、この種の折りたたみ椅子のかたちにどこか魅力を感じたことも確かである。
いずれにしても、左右のフレームによってキャンバスを引っ張り、座や背とする折りたたみ椅子の形式は、木部を金属のパイプに変えようが、今後も造りつづけられる普遍的な椅子の形式である。そのなかで、MKチェア—は木製の代表格といってよい。
秋の気配が感じられる先日、久しぶりに古びたMKチェアーをひっぱり出し、腰掛けてみると、どこからかデンマークの風を感じるのは、材質からディテールに至るまでデンマーク風のデザインにある。
*1:左ページの(*1)の翻訳書で、翻訳書は「製品開発とデザイン」、ジェイ・ダブリン著、金子至、岡田朋二、松村英男訳、丸善株式会社