No.35 フランク・ロイド・ライトの ジョンソン・ワックス社のための事務用椅子1934

ホワイトソックスが、88年ぶりにワールドシリーズに勝った。前回の優勝がフランク・ロイド・ライトの活躍していたころでもあり、急遽予定を変えて、今月はシカゴやライトの椅子について書いてみます。

フランク・ロイド・ライトは、あまりに有名な20世紀を代表するアメリカの世界的建築家で、数多くの建築関係の書物で語りつくされているので、参考にされたい。
この時代の建築家の一般的なこととして、ライトもプロジェクトのたびに家具や照明器具、食器などもデザインしていてその数も多い。
椅子も数多くあるが、住宅などのための木製の椅子と金属を使った事務用の椅子がある。前者では、W.ウイリッツ邸(1903)やA.クーンレイ邸(1907)の椅子のように食事用として木製のハイバックのものが多く、他に、有名な「バレルチェアー」と呼ばれている椅子[樽(Barrel)のような形からこのようにいわれている]がある。このオリジナルはD.マーティン邸(1904)のためにデザインされたものだが、1986年になってイタリア、カッシーナ社によって復刻された。が、前脚と肘のジョイント部分のディテールや座のふくらみにも違いがあり、その後相当アレンジされている。また、1923年に旧帝国ホテルのための椅子は、それ以前のミッドウエイ・ガーデン(1914)にもライトが好んで用いた六角形の背の椅子があり、その類型である。
後者のものでは、初期の仕事であるラーキン社の本社ビル(1904)のための事務用回転椅子がある。この時代にスティールにラッカー塗装という金属を使ったことやキャスターを付けたことなど斬新で事務用椅子のあり方を示している。また後年のH.C.プライス社のための事務用椅子はアルミという素材を用いライトならではのデザイン。
ここに取り上げたジョンソン・ワックス社(1939)の椅子は回転こそしないがキャスターが付き、柱上部の丸い形と呼応してかわいらしいユニークな造形で、なんとパテント申請までされていた。(*1)事務用椅子は事務用らしく素材も変え当時としての機能性も考慮されているが、ライト独自の世界をつくりだしているというべきだろう。
この椅子は巨匠の椅子として、バレルチェアーなどとともにカッシーナ社から復刻された。
照明器具も復刻生産され、今もわが国で買うことができる。

▲ジョンソン・ワックス社の事務椅子とテーブル

 

▲プライス社の事務用椅子(1952) ▲ラーキン社の事務用椅子(1902)

 

▲ウイリッツ邸のハイバックの椅子(1903) ▲帝国ホテルの椅子(1923)

 

▲ジョンソン・ワックス社の事務椅子 ▲D.マーティン邸のための「バレルチェアー」のオリジナル(1904)

▲ジョンソン・ワックス社の事務所風景

 

▲パテント申請の図

巨匠のかわいい椅子
勝った!ホワイトソックスがワールドシリーズに。なんと88年ぶりである。
88年前(1917)というと、フランク・ロイド・ライトが旧帝国ホテルの設計をはじめたころだから大昔(*1)。そのとき以来だからシカゴは爆発的な騒動になったことだろう。かつてホワイトソックスのホームグラウンド、コムスキーパークの歓声が聞こえるほどの近くに住んでいたのだが、あのころは弱く話題にもならなかった。
建築でシカゴといえば、サリバン、ライト、ミースということになるだろう。そのなかで、フランク・ロイド・ライトという建築家の名前は子供のころから記憶のどこかにあった。
幼児のころの記憶には、湿っぽい防空壕へ逃げ込んだことなどいまだに鮮明だが、もうひとつは、三歳ごろから母の影響で羽仁もと子がつくった自由学園の「幼児生活団(大阪)」、というところに通っていた。そこでは、いつ焼夷弾が落ちてくるかもしれないときに、ウサギを飼ったり、サンサーンスの「白鳥」を聞きながら昼寝をしていたのだから、いま思うとなんということか。
小学生になったころ、疎開先で「ライトというアメリカの建築家が東京の自由学園(*2)をつくったのよ」、と母がいうのを聞いたことがある。
1965年、留学先をシカゴにあるイリノイ工科大学にしたのは、バウハウスからの流れを汲み、学生時代にデザイン振興のために来日して大きな反響を残したダブリン教授の存在であったが、それに加え、ライトをはじめアメリカ近代建築の宝庫として、シカゴという街は魅力に満ちていた。
現在はシカゴ大学の同窓会関係の建物になっているが、ロビー邸(*3)は近所にあって、近くへ行くたびに入れてもらったり眺めたりもした。
また、シカゴの郊外にはオークパークというライトの初期の住宅が密集しているところがある。1988年、再び訪れたときはビジターズ・センターまでできていて、本や家具のほかグッズまでも売られ、まるで観光地という感がしたが、60年代には情報らしきものはなにもなく、本屋で見つけた地図入りの本を片手に、中に入れてもらう度胸もなく、ひたすら生い茂る緑の間から外観をチェックしながら歩いていた。
ライトの椅子を一脚取り上げるのは難しい。住宅などを設計するたびに椅子もデザインしていてその数も多いが、ライトの空間だからこそ成立するものがほとんど。無骨なものやわざとらしいといえるものもあり、建築ほどのできではない、と思うのだが、その中で、ジョンソン・ワックス社のためにデザインした事務用椅子はライトの椅子の傑作だ。
シカゴでの学生時代、ウイスコンシンヘドライブ旅行のとき、いやがる友人を無理に寄り道させジョンソン・ワックス社のビルをほんの少し垣間見たことがある。まるで白樺林のように林立する柱。天空からの光。これがオフィスなのか、とただただその異様さに驚いたが、このオフィスのためにライトがデザインした事務用椅子は、70年のときを経て現在の趣向に合うからおもしろい。なんといっても赤く塗られていてかわいらしい。その上、あの時代にキャスターがついている。もしポストモダニズムの喧騒の中で発表されていれば、大いにもてはやされたかもしれない。
ジョンソン・ワックスに驚き、落水荘(*4)に感激したが、いつ見ても絵になるのがライトのドローイング。屏風などの蒐集家としても知られるライト。余白の生かし方など日本美術の影響は明らかだが、それにしても凄い。やはり天才のなせる業である。
*1:1916年の年末に帝国ホテルの設計のために来日。1917年の5月にタリアッセンに帰る。
*2:現在の自由学園の明日館(1921、豊島区西池袋にある)で、旧帝国ホテルの設計で来日中に設計された。重要文化財に指定されている。
*3:1905年にライトによって設計された住宅の代表作の一つ。シカゴ大学の近くにあり、現在はシカゴ大学の同窓会関係の施設になっている。
*4:E.J.カウフマン邸、通称“Fallingwater”(落水荘)といわれ、ライトの代表作。