No.37 トーネットのロッキングチェアー 1860

昨年末に、シカゴのライトが飛び入りになったので、もう昨秋になりますが、キース・ジャレットを久しぶりに聞き、トーネットのロッキングチェアーにこしかけ聞いたころを思い出し、書く予定であったのを、今月は書いてみます。

トーネットが曲木という木を曲げる加工法を考案し、椅子の量産化と多様化に成功をおさめ、近代デザインの先駆けとなった物語は多くの資料があるので参考にされたい。
小椅子などと同様にロッキングチェアーも数多くのバージョンが製造されたが、最初のものはNo.7001で、有名なNo.14が製造されはじめた翌年の1860年である。当時トーネット社はあまりに生産量が多く、曲木の材料であるブナが不足し、常にブナの木を求めて工場を新設していたころ。1857年に旧チェコスロバキアのモレビアにコリッチャヌイ領主の所有していたブナの森林の伐採権をえて工場を建設。No.14やNo.7001(現在見かけるものとは異なる)はこの工場で作られた。
ロッキングチェアーはそれほど古くからあったわけでなく、18世紀の中ごろにできたとされる。日本ではそれほどなじみはないが、欧米ではよく使われる椅子で、ウインザータイプのものやシェーカーのものがよく知られている。アメリカでは19世紀初頭にボストン地方でボストン・ロッカー(Boston Rocker)と呼ばれるロッキングチェアーが生まれ広く普及したが、この椅子を日本(高山)の飛騨産業でも造られ輸出されたことはあまり知られていない。(*1)
ロッキングチェアーにはロッカー(ROCKER)というゆり子の部分に曲線が必要なことから、フレームにパイプや曲木、成形合板のような曲げることができる材料が用いられる。トーネットの曲木によるものがなんといっても代表格で、1860年代の半ばには1年に100,000脚以上にもなったという。(*2)
成形合板による代表としてガエ・アウレンティのスガルスル(SGARSUL、1962)をあげておく。

 先日、久しぶりにキース・ジャレット(*1)を聞いた。風貌は少し老けたが、その即興演奏は覚醒を覚えるに十分であった。
 が、キースを聞く度にトーネットのロッキングチェアーに身をあずけて聞いた遠い日のことを思い出す。
 25年以上前のことになるだろうか。あのころはドイツのケルンで開かれるオフィス家具の展示会によく行っていて、街の中心に雲をいただいた大聖堂の威容に圧倒されながらもいつしか親近感を抱く街になっていた。そんなある日、ケルンという街の名前がついたレコードをなにげなく買った。名前は「ケルンコンサート」、キースの名盤である。
 月明かりが窓枠の影をカーペットに落とし、キースの旋律が流れるなか、時にはブランデーグラスを傾けながら、暗闇のなかトーネットのゆれる椅子に身をまかせて時の流れを待つ。それ以後、こんな至福の時をあじわった記憶を辿ることができない。ロッキングチェアーにゆっくり座るなどということも。
 1976年、大学という新たな職場へ移り、それまでと仕事の環境が一変した。研究室ではしゃべる相手もいない。電話もかかってこない。困惑と焦燥にかられることの多かったある日の深夜。せっかく買ったのだから聞いてみようと「ケルンコンサート」のレコードを一枚ぶらさげ、研究室と同じフロアーにあった資料室へ足を向けた。当時、そこには資料としてヤコブセンのエッグチェアーやミースのバルセロナチェアーなど20世紀の名品が数多く置いてあったが、音響実験のために「ナカミチ」という質の高い音響機器もあったからである。レコードに針を落とし、選ぶともなく腰をおろしたのがトーネットのロッキングチェアー。座は籐張りで硬く、ゆれるたびに背丈のある私にも足先が床にとどかない。体が浮遊しているような錯覚を覚えながらキースの旋律にあわせて体を少しばかり揺らすのにこれ以上ないもので、いつのまにか異次元空間に誘い込まれていた。あかりを消し、暗闇の中で聞くキースの旋律に、当時の心境とあいまって身震いした。このことが病みつきとなり、その後はたびたび終電車の時刻を忘れさせた。
 この時ばかりはロッキングチェアーもいいものだと思ったが、それ以来わが家にはないし、ほかでも座るチャンスもない。元来せっかちな性分で精神的なゆとりの無さもあろうが、あまり好きな椅子ではない。ゆっくり座ってくつろぐなどという気分がないのはわれながら貧乏性だと思う。
 アメリカには有名な「ボストン・ロッカー」と称するロッキングチェアーがあり、郊外の家に行けばたいてい一脚置いてある。その宣伝文句に「退職する人に最高の贈り物」というのがあったが、われわれには考えられないフレーズである。戦後、わが国の住まいも洋風になったがロッキングチェアーを置くほどのスペースもない上、日本人の性格からして不向きな椅子であるとつい先ごろまで思っていた。が、昨今はやりの「スローライフ」という影響からか通信販売にも時折見受けられるようになり、そこそこ売れていると聞く。ライフスタイルが変わってきたのだろうか。
 ともあれ、トーネットはロッキングチェアーのために曲木という製法を開発したのではなかったのか、と思えるほどこの椅子は曲木ならではの曲線の連続。かつて建築評論家の神代雄一郎はトーネットの椅子を「ウイーンの曲線」と表したが、当時のウイーンの状況からいいえて妙である。このウイーンの曲線は二つの世紀末を超えて今なお耽美な香りをただよわせている。(*2)

*1:即興演奏で知られるジャズピアニスト。「ケルンコンサート」(1975)は67分にも及ぶ即興演奏で、彼の代表作。
*2:「ウイーンの曲線 トーネットの椅子」
   INAX BOOKLET VOL.3 No.1のなかに、この辺りのことは詳しく述べられている。