No.54 ウイリアム・スティーヴンスのサイドチェア

先月、ポロックを取り上げると、同時期、ノール社のウイリアム・スティーヴンスがデザインしたサイドチェアのことを書かねばならなくなりました。今ではすっかり忘れられた存在になっていますが、アメリカ滞在中に発売された椅子の中で印象に残るものの一つです。

ウイリアム・スティーヴンスは、ペンシルベニア州、現在のフィラデルフィア美術学校(Philadelphia College of Art)で工業デザイを学び、1955年に卒業。60年からノール社の社員として開発部門で、木を中心としたオフィス・ランドスケープのためのシステム家具開発などを担当する。
このサイドチェアは、これらのシステム家具に適合するように開発・商品化されたもので、斜め前から見ると木のフレーム(成型合板)でできた椅子であるが、貫が見えない非常にシンプルな造形。また、同じ構成でシリーズ展開されていて、成型合板の肘付タイプやサイズの大きい安楽椅子、さらにスティールの回転する脚部を取り付けた事務用回転椅子まである。木製のオフィスシステム家具に適合する椅子である。
当初、スティーヴンスはシンプルな木のフレームに籐を張った椅子を試みるが、強度の問題で成立せず、結果として不等厚の成型合板のフレームにフレキシブルなプラスティックのシェルを取り付けることで強度の問題を解決した。北欧の木製の椅子とは異なるアメリカらしい解決方法である。
アメリカの木製の小椅子としてデザイン史上評価できるもの。デザイン誌「INDUSTRIAL DESIGN」が1954年から68年までの15年間のエポックとなったデザインを特集した中でも取り上げ評価している。(*1)60年代の木製フレームの椅子として、シンプルな造形は特筆されるべきものであるが、あまりにシンプルであるためか、今ではすっかり忘れ去られた存在になってしまった。椅子が永く使われるのには、メーカーの姿勢や価格、歴史的意味やデザイナーの知名度など様々な要因があるが、椅子は椅子らしい「かたち」、どこか記憶に残る特徴ある造形が必要なのかもしれない。
デザイン:ウイリアム・スティーヴンス(William Stephuns)製造:ノール社(Knoll)*1:この椅子のプロトタイプはサーリネンが設計したエール大学の寮のためであったとされる。
アメリカのデザイン誌「INDUSTORIAL DESIGN」
1969年4月号 P68でThe changing Face of America(1954〜68)と題した特集。

60年代の「Knoll」、黄金時代のデザインマネジメント
まさかノール(Knoll)社が木の椅子を! 当時それだけでも驚いたが、発表された写真を見て、つくり方の不思議さに惹かれ、翌日マディソン街のショールームへ飛び込んだ記憶が鮮明な一脚。それがスティーヴンスのサイドチェアである。
木の椅子なのに貫がなく、成型合板のフレームが背の上部にまで三次元にまわっているように見えた。ありえない構成に野次馬根性も手伝って、すぐさまショールームへ飛び込んだのだが、写真ではよくわからなかっただけで実物はちがっていた。背の裏面にはプラスティックのシェルで強度を補強し、成型合板のフレームはコーナーできれいにジョイントされていた。考えてみればあたりまえのことで、厚みのある成型合板のフレームが三次元に曲がるわけはなかった。うまい解決方法に感心し、翌日事務所で話をすると、さすがチームの先輩で、敵の製品情報はきっちり集めていて、詳細なアッセンブリー方法やディテールの写真を見せてくれた。すぐさまゼロックス(*1)でコピーし、つい最近まで後生大事に持っていたつもりで、この原稿を書くために探してみたが、生来の整理べた。残念ながらどこへいったのか見つからない。
思えば、あのころは日曜日にすることもなく時間をもてあましていたのだ、とつくづく思う。が、新しいものは何でも見てやろうとする当時の貪欲さにはわれながら感心する。しかし、それもニューヨークのマンハッタンのアパートに住めばこそできたこと。こんな便利な街もない。歩ける範囲か、ちょっと地下鉄に乗ればなんでもあった。美術館や、ショールームも。世界の最先端の情報が。
だが、かつてバブル期のころ、やって来たアメリカの友人が「世界中で最もエキサイティングな都市は東京だよ」と言ったが、ある意味でそのとおりだろう。手じかなところに世界中の料理が、いや文化がなんでもバカほど溢れている。そしてなにより銀座、新宿、池袋、渋谷、六本木とこれほど広範囲に大繁華街が広がった都市はアメリカにはない。シカゴなどはループといわれる中心部とその北の一マイルぐらいが中心で十分歩ける範囲だし、ニューヨークが広いといってもマンハッタンの中心部に住んでいれば、全てが手の届く範囲にあった。
マンハッタンの便利さはさておき、ここでスティーヴンスをとりあげると、50年代から60年代のノール社のデザインマネジメントについて触れておかねばならない。ノール社はハーマンミラーとともにアメリカだけでなく、20世紀のデザイン史に燦然と輝くデザイン主導の企業である。
サーリネンにはじまり、ベルトイヤ、アルビンソン、プラットナー、ポロック、スティーヴンス、まだ触れていないがジョージ・シュルツなど、バラエティに富むオリジナル製品のすべてが20世紀のデザイン史上で評価の対象となるのだからスゴイ。「よくもこれだけ」と思う。すべてが時代の輝きと香りを放っていたが、製品だけではない。ショールームの展開とそのデザイン、テキスタイルのデザイン開発、広告などのグラフィックスなど、デザイン主導の企業経営の姿勢は今から見ても圧巻で、驚くほかはない。シカゴやニューヨークで60年代のノール社の黄金時代に嫌というほど直接触れたことは幸運であった。
これには何だかんだといっても、フローレンス・ノール(*2)の力によるところが大きいのではなかったか、とこのコラムを書き綴りながら心底思うこのごろ。今後もありえないであろうデザインを資源としたマネジメントのありようである。
*1:ゼロックスという複写機はこの時期に出たもの。当時ネルソン事務所で使っていたものはA4の卓上型の小型機であったが、こんな凄いコピー機があるのかと、当時はいつも緊張しながら使っていた。
*2:「家具タイムズ」629号参照。