No.56 ジョエ・コロンボの「エルダ」1963 と「ユニバーサル」1967

先月まで60年代のアメリカを書いてきましたが、今月は、同時期イタリアから世界へ声高に吼えたジョエ・コロンボについて書きます。続いて、当分イタリアへ移ります。
ジョエ・C.コロンボは、1930年ミラノに生まれ、ブレラ美術学校(Accademia di Belle Arti Brera)で絵画・彫刻を学び、卒業後はアーティストとして活動をはじめるが、1962年に自らの事務所をミラノに開設し、亡くなる71年までの約10年たらずの間に建築から家具や照明器具、工業製品やガラス器、さらにはパイプまで、よくもこれだけというほど精力的に活動し、41歳という若さで疾風のごとく世を去った鬼才である。
椅子では、ここで取り上げた「エルダ」と「ユニバーサル」の他、三枚の成型合板を組み合わせてできる椅子(1964)や一つでは意味を成さないパーツを組み合わせることで機能を持たせていくアディショナル・システム・ラウンジチェア(1967)、さらには大きなチューブを連ねたチューブチェア(1969)など実に多彩である。
「エルダ」は大型のFRPのフレームで下部に回転機構が入っているが、これだけ大型で脚部まで一体となった初めての椅子。「ユニバーサル」はスタッキングを可能としたプラスティック(最初はABS 樹脂であったがその後はポリプロピレン)の一体成型の四本脚の椅子として最初のもので(*1)、その上椅子の高さを変えるために脚部の一部をとりかえるというノックダウンのアイデアはコロンボならではのもの。椅子以外では、収納を中心とした複合機能家具をはじめ生活をパックにした家具というより「装置」というべき多くのシステム家具を提言。代表的なものに「ロト・リビング、Roto‐living」(1969)や「ビジョナ、Visiona」(1969)などがある。それらの中で、プラスチィックの「ボビーワゴン」(1970)は鮮やかな色彩で種類も多く、現在わが国でも買うことができる。
この他、照明器具では「スパイダー」や「トポ」、ガラス器の「スモーク」、時計の「オプティック」などがある。
60年代、「フレキシブル」をキーワードに、常に未来を志向し、イタリアのみならず世界中に衝撃を残して去った。
デザイン:ジョエ・コロンボ(Joe Colombo 1930 〜1971)製造:エルダ:コムフォート(COMFORT,MILAN)
ユニバーサル:カルテル(Kartell)*1:これより先にマルコ・ザヌーソとリチャード・サパーによるデザインで同じカルテル社によって射出成型で造られた子供用椅子があるが、椅子全体を一体成型されておらず脚部は後で取り付けられているために最初とした。
参考文献:“JOE COLOMBO”、Vitra Design Museum
雑誌「JAPAN INTERIOR DESIGN」1970年1月号 No.130
雑誌「JAPAN INTERIOR DESIGN」1971年5月増刊号 P.105 〜108

60年代、ミラノからの咆哮
 ジョエ・コロンボが70年代も健在であったらどんな仕事をしただろうか、と思うのは私だけではないであろう。
 彼のあまりの早世と、代わって登場したテレビ番組「刑事コロンボ」がなんともアイロニカルで、毎週決まって見ていたのでもないが、タイトルバックが流れ、小池朝雄演じるコロンボの声を聞くと、会ったこともないのにパイプタバコの煙がまつわりつくようにジョエ・コロンボの体臭を嗅いだような記憶がある。
 常にパイプを銜え、見るからに精力的な風貌のコロンボ。建築から家具や照明器具など実に多くの対象を、それも短期間に、独自の考え方でその造形を撒き散らして去っていった男の体臭は60年代末の一時期、私にとってなんとも強烈なものであった。1967年、ニューヨークではじめてコロンボの仕事を知って以来、継続的に雑誌を通して届く情報は刺激的で、まさにミラノからの咆哮。彼のスケッチ付きの作品集をあらためて見ると、スケッチをするその横から「モノ」になっていったのではないかとさえ思えるほどの精力的な活動ぶりは「驚嘆」というほかに言葉がない。(*1)
 コロンボの仕事には、椅子以外に興味を引かれるものが多すぎて限られた紙幅ではとても書けないが、なんといっても生活を、このごろの言葉でいえば「コト」をパックにした「装備(interior facilities)」のデザインは彼の独壇場であった。彼は、これを新しい次元の「HABITAT」(*2)として、これまでの機能主義的な単一の家具や工業製品を否定し、将来を予測した生活分析から時間的にも空間的にもフレキシブルでそれぞれの状況に適応することが重要と説き、小さな「ミニ・キッチン」をはじめとして「ボックス1」のような複合機能家具から大型の「ロト・リビング」など装置を次々と発表する。これらはいずれも工業化を目指したというが、残念ながらどれだけ造られ、その後どのように展開されたかはわからない。想像するに、それほど多くはなかったはずである。
 コロンボが考えていたより人間はもっと保守的であり、逆にその生活は自由で変化に富むもの。人間の生活をある種規定する装置のデザインは提案としての価値はあっても、今になって見ると無理があったように思う。
 今は何処に。
 ただ、「ボックス1」のような複合機能の収納家具はその後に大きな影響を残したことはまちがいない。それらの中で大成功したものに、今でも通販などで買うことができる「ボビーワゴン」というキャスターが付いたコンテナーがある。プラスティックで量産性に富み色も鮮やかで、価格もそれほど高くないため、今日まで相当の数が造られたのではないか。コロンボの大いなる遺産である。
 いずれにしても、これら装置的家具のデザイン提案は、当時、彼の風貌とともに圧倒的な迫力で迫ってきて、デザインに携わる人間として「刺激」以上のものがあったことだけは確かであった。
 このころ、私がコロンボに興味を惹かれているのを知ってか、知らずか、友人が贈ってくれたその名も「スモーク」という名の一客のグラスは、いつのころからか事務所の棚の奥に居座ったままである。このグラスでビールなどを飲み、楽しむ気持ちの余裕がなくなっている昨今。いやなことである。
 1970年に私がデザインした装置的家具「青年の一日」は、60年代疾風のごとく駆け抜けたコロンボへのオマージュであったが、これもいまは何処にあるのかわからない。
尚、紙面の制限上、残念ながら写真で示せない多くのものについてはご容赦願いたい。
*1:Ignazia Favata, Joe Colombo and Italian Design of the Sixties, MIT Press
*2:「JAPAN INTERIOR DESIGN」 1971年 5月増刊号P.105 〜108