No.57 カスティリオーニ兄弟のメッツァードロ 1957

先月、イタリアのコロンボを取り上げたので、今月は50年代から照明器具や家具のほか工業製品まで幅広くイタリアのデザイン界を牽引した大御所、カスティリオーニです。

アキッレ・カスティリオーニはミラノに生まれ、ミラノ工科大学の建築科を卒業。1944年、リヴィオ、ピエール・ジャコモの三兄弟で事務所を設立。長兄のリヴィオが1952年に独立して以後、次兄のピエール・ジャコモと共に建築から家具、照明器具から工業製品まで幅広く活動をし、イタリアデザイン界を牽引した。
カスティリオーニは、活動した52年間に次兄との共同の仕事を含め150ものデザインをしたとされるが、それらの中でも照明器具に名品が多い。1962年フロス社(FLOS)の設立とともにデザインした「アルコ、Arco」は、大理石のベースからステンレスのアーチ状のフレームの先に丸いシェードが付き、壁や天井に取り付けずにどこにでも照明できるユニークなもの。ベースの大理石の丸い穴は、ここに棒を通して持ち運ぶという機知にも富み60年代の照明器具の名品である。他にも、壁や天井を反射板とする「パレンテージ、Parentesi 」など個性あふれる造形の器具が多い。
「メッツァードロ、Mezzadro 」はトラクターの座(既製品)を生かしたキャンティレバータイプのスツールで、それまでの椅子の概念を超えた造形のユニークさで、MOMAをはじめ世界の美術館でコレクションとなっている。
そのほかの椅子では「サンルーカ、Sanluca」(1960)や「アルナッジオ、Allunaggio」などがある。
カスティリオーニの仕事で注目すべきことは、それまでに存在していたモノを新たな視点で見直し造形するという点にある。更に、主な仕事を集めた小冊子「Achille Castiglioni」(*1)のイラストにも表れているように、彼の仕事にはユーモアやウイットに満ちている。
イタリアの黄金コンパス賞を7回も受賞。1956年にはADI(工業デザイン協会)の設立に参加し、50年以後のイタリアデザイン界を主導し、トリノ工科大学で教鞭もとる。
尚、1968年ピエール・ジャコモが他界するまでは、兄弟の共同の仕事であるが、その後の活動などから、ここではアキッレを中心に記した。
デザイン:ピエール・ジャコモ・カステリオーニ(Pier Giacomo Castiglioni 1913〜1968)
アキッレ・カスティリオーニ
(Achille Castiglioni 1918〜2002)製造:ザノッタ(Zanotta)
*1: Paola Antonelli, “Achille Castiglioni” Corraini Editore

「無」から「有」はなく、あるのはモノを「見てとる」力
カスティリオーニ兄弟の「メッツァードロ」に出会った途端、デュシャン(*1)の代表作「泉」の便器を想い出した。
トラクターのシートを椅子に。既成のモノを借りて自らの作品とすることにおいては同じである。恥ずかしながら、人をちゃかしたようなデュシャンの便器にはいまだに理解の外だが、トラクターのシートは機能がはっきりしているだけに分かりやすい。
ところで、カスティリオーニが知っていたかどうかは知る由もないが、「メッツァードロ」のデザインよりずっと以前の1940年、あのミースもトラクターのシートを椅子にしようとしてスケッチを残している。(*2)どうしてこれほどトラクターのシートが注目されたのかは、19世紀末のトラクターの写真を見ると明らかで、今風のデザイナーなど不在であるが人間の臀部をこれほどきっちり最小の面積で支持する機能的なものはほかにない。その上、キャンティレバーの椅子の原点も読み取れる。
カスティリオーニといえば、私が1963年のイタリア・カンツーの国際デザインコンペで受賞したときの審査員(*3)であったから忘れることはできないが、仕事では家具よりも照明器具に魅了されてきた。有名な「アルコ」は何度も仕事で使わせてもらったが、駆け出しのころ驚かされたものに「タラクサクム、Taraxacum」がある。アートにまで昇華されたその造形には、「参りました」と脱帽した記憶がいまでも鮮明だ。
だが、数年後アメリカでネルソンの「バブルランプ」の存在を知ったとき、とっさに日本、アメリカ、イタリアへと続く「明かり」の流れが私のなかで点灯した。日本の提灯をモダンにアレンジし、現在まで数多くの「あかり」をデザインしたのは彫刻家のイサム・ノグチである。(*4)そのイサム・ノグチのテーブルをハーマンミラー社に持ち込んだのがジョージ・ネルソン。彼は、1952年に産業工芸試験所の招きで来日し、東北なども旅し日本の提灯を知っていただろう。ノグチの「あかり」とほぼ同時期に素材を紙ではなく、針金のフレームに樹脂を吹きつけ見事な繭状のランプにしたのが「バブルランプ」。カスティリオーニはこの「バブルランプ」のつくり方をヒントに、アートのような照明器具にしたのが「タラクサクム」である。(*5)
日本の工業製品は海外のオリジナルをリファインしたものが多いと揶揄されることがあるが、この明かりの流れは日本の提灯がオリジナルである、と言ってよいだろう。
カスティリオーニの仕事には「メッツァードロ」や「タラクサクム」だけではなく、スイスの湯たんぽから「スプリューゲン・ブロウ」という照明器具にしたように、世の中にあるモノを常に問題意識を持って見つめることから生まれたものが多く、「モノをいかに見るか」という観察力の大切さを示している。
かつて、友人から「おまえは鉛筆一本で金になるからいいよ」と、よく言われたものだが、とんでもない話である。紙と鉛筆だけでデザインができればこんなコストの要らないビジネスもない。学生に課題を出すとき、私流のレトリックで『「無」から「有」はない』ということをたびたび言ってきた。言い換えれば「紙と鉛筆だけからデザインは生まれない」という意味で、課題に対してなんの勉強や調査もせずに紙に向かったところでなにも出てこないのは当然のこと。さらに、普段からモノを見る目を養わねばならない。
常に目を洗って先人の造ったモノや空間を見ること、そして見てとること。「見る」と「見てとる」は同義ではない。「見てとる」にはそれなりの知識と洞察力を身につけなければならないことの重要性を言ってきたつもりだが……。
*1:マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp 1887〜1968)は20世紀の美術に大きな影響を残したアーティスト。「レディメイド」と称する既製品、または少し手を加えたものによる作品を発表。便器を使った「泉」と題した作品は有名。
*2:Ludwig Glaeser,Ludwig Mies van der Rohe,The Mueseum of Modern Art,New York  P.77
*3:このときは兄のピエール・ジャコモであった。
*4:イサム・ノグチ(1904〜1988)は1951年に岐阜を訪れ岐阜提灯に出会い、その技術を生かし竹と和紙による光の彫刻「あかり」を誕生させた。
*5:タラクサクム(Taraxacum)はタンポポの属名で、アキッレはこの花のイメージが好きだったのか、1988年も「Taraxacum 88」という名の照明器具をデザインしている。
Paola Antonelli,“Achille Castiglioni” Corraini Editore