No.61 アルヴァ・アアルトのNo.41(パイミオモデル) 1931

今夏、久しぶりに北欧への旅を楽しんだ。フィンランドの首都ヘルシンキ周辺では、アルヴァ・アアルトに思いきりふれることができたので、イタリアを少し中断してフィンランドの国民的スター、アルヴァ・アアルトについて書いてみます。
アルヴァ・アアルトはフィンランドの中西部の街クオルタネに生まれ、ヘルシンキ工科大学を卒業。25歳のとき、ユバスキュラで建築事務所を設立し、建築家としてスタートする。その後の活動は300を越える建築のプロジェクトを中心に家具や照明器具からガラス器などの日用品に至るまで幅広く、人間的なアプローチによって近代建築をとらえたフィンランドのみならず20世紀を代表する世界的建築家である。
家具のデザインも非常に多い点で、同時代や現在の建築家とも異なり、アアルトがデザイナーともいわれる所以である。(*1)20年代までは収納家具などもデザインをしているが、椅子に関してはバウハウスなどの影響もありスティールパイプを使ったものをデザインしている。1929年にはトーネット社のコンペにスティールパイプを使った椅子をデザイン・応募。さらに、製品化こそされなかったが、1932年に脚部にスティールパイプを使ったキャンティレバータイプで肘まで一体の成型合板でできた椅子は、デザイン史上記録にとどめるべきオリジナリテイのあるもの。
アアルトの椅子の代表作No.41のパイミオモデルは、建築設計のコンペで勝ち出世作となったパイミオのサナトリウム(1931〜33)のためにデザインしたもので、背と座が連続した一枚の成型合板を両サイドの成型合板のフレームに吊ったよう構成は椅子の歴史上革新的なものとして評価されている。
しかし、板状の座と背は堅く一般的には座り心地がそれほどよくないこともあり、今ではNo.41のフレームに布の総張りの座と背が取り付いたNo.44(1933) やミラノトリエンナーレに最初に出品した「タンク」と呼ばれるNo.400(1936)などが多用されている。また、パイミオモデルのキャンティレバータイプのNo.42(1932)とその布地タイプやウエヴィングテープタイプなどは、木製のキャンティレバータイプとして最初の椅子。
これらの椅子とスツールなど、アアルトが70年前にデザインしたものの多くが、今日も世界中で使われ続けていることは驚異というほかはない。それは、パイミオでの椅子が契機となりアアルト自身が1935年に、家具の販売会社(アルテック社)を創設したことによる。
[アアルトの建築をはじめとする業績は数多くの 書籍や資料があるので参考にされたい。また、アアルトの椅子は数が多いので二回に分け、一回目は肘掛椅子に焦点をあて、次回にスツール小椅子についてとりあげる]
デザイン:アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto 1898〜1976)
製造:アルテック(artek)
*1:Alvar Aalto Museum “Alvar Aalto DESIGNER”にはデザイナーとしてのアアルトを余すところなく伝えている。

アルヴァ・アアルト、フィンランドのアイデンティティ
 映画「かもめ食堂」(*1)の中で、印象的なシーンがある。日本人の女性が「フィンランドの人はどうしてゆったりとした考え方や生活ができるのか?」という疑問に、フィンランドの青年がたった一言「森」と答えるくだりである。
 フィンランドが「森と湖の国」といわれるように建築家アアルトの仕事はこの自然環境を抜きにして語れないどころか、この風土に生きた20世紀の巨匠である。それだけに、フィンランドでは一建築家・デザイナーを超えた国民的英雄でもある。その証拠に、ヘルシンキの街を歩くと今でもそこかしこでアアルトの香りをかぎ続けることになる。
 小さい街といってもヘルシンキは一国の首都。白亜のフィンランディアホールやヘルシンキ工科大学、自邸やアトリエなどの建築作品は当然のこと、街の中心部エスプラーナデイ公園あたりではアアルトだらけだ。レストラン「サヴォイ」は勿論、アカデミア書店もアアルトのデザインで、その中のカフェは「カフェ・アアルト」と呼ばれているし、売り場の棚にはぎっしりとアアルトに関する本。アアルトの家具が並んだアルテック社のショウルームやガラス器の店舗「イッタラ」などの他に、さらに驚かされたものにホテル「ヘルカ」がある。これは1920年代にできた建物を近年「デザインホテル」として改装されたのだが、ロビーやレストランから客室にいたるまですべてがアアルトの椅子で埋め尽くされている。それほど大きなホテルでもないが、70年前の、それも一人のデザイナーの椅子で全てをしつらえるなど日本では考えられないこと。ありえない。この改装計画をアアルトが指揮したのだ、といっても不思議ではない。
 これだけではない。なんといっても、亡くなって30年も経つのにフィンランドの人々がアアルトを知り、誇りにしていることである。こんな建築家・デザイナーは世界中にいない。大昔のことだが、デンマークのコペンハーゲンでタクシーに乗ったとき。年老いた運転手との冗談交じりの会話の中で、「お前はデザイナーか? それならアルネ・ヤコブセン(*2)を知っているか?」と逆に質問され驚いたことを思い出すが、ヘルシンキにおけるアアルトはそれ以上だろう。音楽のシベリウス(*3)、建築・デザインでアアルト。つい最近まで使われていたフィンランドの紙幣にまで肖像が記されていたのだから当然のことといえばそれまでだが、フィンランドという国のアイデンティティなのだ。アアルトの自邸やアトリエを案内してくれたフィンランド人が「アメリカの大学(MIT)に招かれていたとき、母国フィンランドが必要としたら、飛んで帰ってきたのだよ」と誇らしげに言う。
 かつてのアアルトのアトリエは、現在「アルヴァ・アアルト財団」の事務所として建物の維持管理から印刷物の作成や世界各地での展覧会のプロモーションなどを行なっている。光をみちびきいれるための大きな開口部に面して、図面の手書き時代を彷彿とさせる巨大な製図版は資料を広げる格好のデスクになっていた。が、人件費を含めこれには相当の財政的裏づけが必要だろう、と貧乏性の私はついヤボなことを考えてしまった。このためには、今も財団にアルテック社からのロイヤリティーが入るということも驚きだが、時と場合にはフィンランドという国やヘルシンキ市もサポートしていることも忘れてはならないだろう。
 アアルトのデザインしたものはフィンランドのアイデンティティとなったが、アアルト自身がアイデンティティとなっているのは、多感な青年時代の1917年、ロシア公国からの独立があったという時代背景が大きく、フィンランドの人々にとってアアルトは国の独立後の英雄として今も生き続けているからである。
*1:フィンランドで2006年に製作された日本の映画。萩上直子脚本・監督で、すべてフィンランドロケで製作され、主演は小林聡美 片桐はいり もたいまさこ。
*2:「家具タイムズ」620号参照
*3:ジャン・シベリウス(Jean Sibelius 1865〜1957)は20世紀を代表する作曲家でフィンランドの国民的英雄。代表作に交響詩「フィンランディア」などがある。