No.63 エーロ・アールニオのボールチェア 1966(デザインは1963)

先月まで二回にわたりアアルトを書けば、もう一人60年代注目を浴びたフィンランドのデザイナーであるエーロ・アールニオ。今月は、彼のデザインしたボールチェアについて書いてみます。

エーロ・アールニオはヘルシンキで生まれ、ヘルシンキの工芸大学(The Institute of Industrial Arts)でデザインを学び、1962年に自らの事務所を設立。
独立後の最初の仕事として、このボールチェアをデザインしたが技術的な課題から製造までには時間を要し1966年に完成。ケルンの国際家具見本市で発表し注目を集めた。
ボールチェアは直径1メートル程度のFRPの球を三分の一程度カットした中にクッションを敷きアルミの脚をつけ、その中に座れるようにしたもの。幾何形体をそのまま椅子としたが、座る人に固有の空間を提供し「椅子の空間化」のさきがけとなった。折からの宇宙開発競争とポップアート時代を象徴する椅子として世界の多くの美術館でコレクションになっている。
アールニオはボールチェアを契機にアメリカの工業デザイン賞を得た水に浮かべて使える「パスティル、Pastil」(1967)、透明の球を吊った「バブルチェア」や「トマトチェア」(1971)などプラスティックによるユニークな形状の椅子。また、「スクリュー」という名の螺旋をそのままデザインしたテーブルもある。さらに、整形されたホームラバーを伸縮性のある布で包んだかわいらしい動物のような「ポニー」(1972)は椅子というより子供の遊具のような造形であるが、彼は「椅子らしい椅子だけが椅子でない」とも言い、フィンランドではプラスティックを多用したユニークな存在である。が、その一方でアスコ社での仕事として、ユニット棚やソファなど木を使った家具もデザインしていることを付記しておく。
照明器具ではアールニオらしい造形の「ダブルバブル」と名づけられたものがある。
デザイン:エーロ・アールニオ(Eero Aarnio 1932 〜)
製造:オリジナル当時はアスコ社(Asko)
現在はアデルタ社(Adelta)

デザインを観光資源にしたヘルシンキ
八月のフィンランドはさわやかな気候もあって外国人観光客であふれていたが、ヘルシンキのヴァンタ空港を歩いていて、突然アールニオのボールチェアに再会し、そっと抱かれるように座ってみた。
ボールチェアに初めて出会ったときは、単なる球、「用」という点でどれほどのものがあるのかと疑問を覚えたが、ヴァンタ空港で出会ったのはビジネスコーナー。ノートパソコンを操作する人の姿に「なるほど」と少しは納得した。が、これだけならブース的な場を設ければすむ話。ふと通路の前に目をやると子供の遊び場があった。問題にしたいのはそこにあったアアルトの小椅子やスツール。ボールチェアが40年前、アアルトの椅子にいたっては70年前のデザイン。フィンランドという国は、空港という国の玄関に「使用」を前提に自国の誇るべきデザインをプレゼンテーションしているのだ。すごい。
さらに、この空港のショップではフィンランドのデザインブランド品が数多く目につき、「デザイン・フォーラム」(*1)という店まである。外国のブランド品で埋め尽くされたどこかの空港とはわけが違う。また街の中心部、観光客が多いエスプラナーデイ公園周辺にはアルテック社のショウルームを先頭に、「マリメッコ」や「イッタラ」などフィンランドが誇るデザインブランド店がはばを利かせ、ここでもフィンランド、フィンランドだ。
これだけではない。通常大きなホテルのカウンターには地図や観光の情報などが備えられているが、ヘルシンキのホテルではその傍らに「デザイン・ディストリクト」という地図入りのチラシが置いてあった。これはヘルシンキの街の中でアートやデザイン、さらには骨董店なども含めた店が軒を連ねる一画を観光スポットとしてPRしているのだ。なんと、デザインを観光資源として生かそうとしている。「戦略的に」である。
このところ「観光」が話題になることが多い。大学では名称や学部名に、さらに驚くことに「観光デザイン学科」なるものまであり、大学が生き残りのために目新しさの導入という裏事情が透けて見えるが、実態はどれほどの内容のものかわからない。政府の観光立国という方針とともに、観光庁という役所まで新設されるというから、「観光」が地域の再生や活性化の基軸としてとらえられていることだけは確かである。
翻って、わが街大阪を「観光」という視点でみると、その資源にも乏しく、どこかうすら寒い。「デザインを観光資源に」などとは言うまい。そんな資源もないが、せめて観光の本来の意味である自らの街を観せる、誇れる街づくりがなによりの第一歩。そのために街づくりのデザインに一貫したコンセプトが必要なのだが、現実はどうだろう。
かつて大阪の都市景観委員をしていたころや、オリンピックの招致活動のころに公的な委員会などで「オリンピックは来ない。来たら恥ずかしい」などと言って顰蹙を買った苦い経験がある。その恥部は「大阪の顔」である大阪駅前にあるのだが、おわかりになるだろうか。それは、あのどうしようもない化け物のような歩道橋である。車優先で人間無視の高度成長時代のシンボル。その上景観としても見苦しい。
世界中探しても都市の顔となる場所に、高齢者や障害者を拒否する非人間的で「キタナイ」ものがのさばっている都市はどこにもない。なんとかならないものか、と犬の遠吠えのように言い続けて何年も経ってしまった。
もう理屈などいらない。なにはともあれ「取り去ること」が公共デザインマネジメントの、国際都市への第一歩であるのだが……。
*1:フィンランド・デザイン振興協会が自国のデザイン振興を目的に、展覧会の開催や常設展示場を設け活動。
場所はこの文中の「デザイン・ディストリクト」内にある。空港にあるのはフィンランド・デザインを販売するために出店。
*2:歩道橋の場合は無いことが望ましいが、歩行者の視覚は仰角が中心で裏側のデザインも重要なのだが、通常の歩道橋の設計・デザインは平面図と側面図(立面図)で行われ、裏側まで考慮されることはない。