No.64 アンティ&ヴォッコ・ヌルメスニエミのラウンジチェア「No.004」 1970

フィンランドのデザイナーでもう一人、フィンランドの近代デザインを牽引したヌルメスニエミ夫妻。今月は彼らが共同でデザインした椅子を取り上げます。本音を言えば、夫のアンティが1959年にデザインした椅子を取り上げたかったのですが。

アンティ・ヌルメスニエミは、ヘルシンキ工芸大学(Institute of Industrial Art) でインテリアデザインを学び、卒業後は建築からインテリア、車両デザインやプロダクトデザインと幅広く活躍し、フィンランドの近代デザインを牽引した一人である。彼のデザインで現在われわれが手にすることができるのは、ホーロー製のコーヒーポットや鍋などのキッチンウエアである。椅子のデザインでは、ここで取りあげたラウンジチェア「No.004」のほかに1952年にパレスホテルのためにデザインしたサウナ用の馬蹄形の木のスツール。さらにもう一脚、ミラノのトリエンナーレのために1959年にデザインされた細いスティール脚の椅子がある。これは、その後商品として世界に流通することがなかったので椅子の歴史からも消えているが美しい側面を持つ椅子である。
ミラノ・トリエンナーレで受賞の他、ルニング賞(*1)などを受賞。フィンランドデザイン協会やICSID(*2)の会長も務めたほか、生前何度も来日し日本とフィンランドのデザイン交流にも大きな役割を果たした。
夫人のヴォッコ・ヌルメスニエミはヘルシンキ工芸大学で陶芸を専攻。アラビア社で仕事を始めるが、1953年にマリメッコ社で繊維のデザインを始め、1964年には彼女自身のブランド「Vuokko」 を創設。同年アンティと結婚し、それ以後ファッションを含め繊維に関わる多くの領域で幅広く活躍し、世界にその名を知らしめた。
1964年にルニング賞。1997年にはカイ・フランクデザイン賞など、受賞も多数ある。
ラウンジチェア「004」は、アンティが本体をヴォッコがテキスタイルを、夫妻のそれぞれの力を一つのプロジェクトの中に生かした結果として、70年代の椅子のファッション化を代表する一脚となる。1967年にデザインされた同じ構成の寝椅子「001」もある。
デザイン:アンティ・ヌルメスニエミ(Antti Nurmesniemi 1927〜2003)
ヴォッコ・エスコリン・ヌルメスニエミ(Vuokko Eskolin−Nurmesniemi 1930〜)
*1:ルニング賞(Lunning Prize)はスカンジナビアのすぐれた国際的に評価される仕事をしたデザイナーに与えられる賞。ヴォッコも受賞している。
*2:ICSID(International Council of Societies of Industrial Design日本語で国際インダストリアルデザイン団体競技会)はインダストリアルデザインの国際的な組織。
参考文献:ヴォッコ・ヌルメスニエミについては、雑誌「JAPAN INTERIOR DESIGN」1973年4月号で特集されている。

衣服を纏った椅子と、忘れがたい幻の一脚
旅をして、おもいもかけないイベントにめぐり合うとすごく得をしたような気分になるが、海外ではなおさらのことである。
昨夏、ヘルシンキのデザイン博物館で開催されていたヴォッコ・ヌルメスニエミの大きな回顧展に偶然遭遇したときがまさにそれであった。夕方、ヘルシンキの中央駅に着きホテルまで荷物を引っ張り歩く途中、白夜の街角に貼られていたポスターを見て、その絵柄からヴォッコの何かであることはわかった。だが、昔からヌルメスニエミ(Nurmesniemi)に舌がもつれて覚えられず、失敬ながら最近まで勝手に「ヌルメス」などと記憶のための略称を決めていたぐらいだから、フィンランド語で書かれたポスターの具体的な内容までは即座にわかるはずもなかった。翌日、先月号で紹介した「デザイン・ディストリクト」を歩き、足をのばして、デザイン博物館の前まで来て「これだったのか」とおもわず指を鳴らした。偶然にもめぐり合ったヴォッコの展覧会に「得をした気分」になった一瞬である。
かつて「ヴォッコは私のデザインの母だ」とは三宅一生の言葉と仄聞するが、展覧会は「素晴らしい」の一語。彼女の仕事はマリメッコ時代のものや銀座・松屋での展覧会(*1)のことは知っていたが、ここでヴォッコの繊維に関わる全貌に初めて触れ、震えた。会場にはラウンジチェア「004」があったことはもちろん、テキスタイルからファッション、雑貨やそのカバーリングデザインなど、幅の広さとアートにまで昇華した質の高さに改めて感じ入り、この展覧会をそっくり日本へ持ち帰りたいと思ったほどだ。
だが、どうして「ヌルメス」と略称までして夫・アンティのことを知ったのかといえば、彼のデザインしたコーヒーポットや富士通の電話機ではない。私が駆け出しのころに出会ったアンティがデザインした美しい椅子のシルエットが脳裏に焼きついたからである。
当時、二年に一度ぐらい発行されていただろうか、世界の最先端の家具デザインを紹介する年鑑のような本に「new furniture」(*2)というのがあり、その第7巻の巻頭に一頁を裂いて掲載されていたのがアンティの1959年にデザインした椅子。この後のページにケアホルムやイームズなどそのころの名品が続くのだから、当時の私にとっていかに衝撃的であったかがわかっていただけるだろう。これは二本の細い金属の脚で支えられたボディに、貫は座の下に一本あるだけ。だが、なにより脚部の延長の金物でボディを挟んで支える方法がカッコよく、まねてみようと試みたこともあったが、とても成立するものではなかった。その後この椅子は、多分強度的な問題があったのだろうか、歴史から完全に消えてしまったので、見たことも座ったこともないから軽々によい椅子などとは言えないが、側面のカッコ良さに見とれた記憶が残り、展覧会を見ながらも脳裏を駆け巡っていた。
この原稿を書くために手垢のついた「new furniture」を開いてみると、当時の本としてはアート紙で写真も印刷も高質のためいま見ても真新しく、初めて対峙したときの印象が鮮やかによみがえる。裏表紙には本屋が鉛筆で書いた数字が3600とある。この本は3600円でその頃の給料の五分の一以上もしたのだから、よくぞ買ったものとわれながら驚くが、47年を経てもやっぱりカッコいい側面の椅子だ。
夫婦で仕事をしたデザイナーにはイームズやイタリアのスカルパなどが知られるが、一つの椅子を明らかに異なる領域の才能が最初から対等にぶつかり、生かし、今風に言えばコラボレートしてできた椅子はヌルメスニエミ夫妻の椅子をおいてほかに知らない。
60年代末からイタリアを中心に椅子のデザインに新たな胎動が吹き上がるが、ヌルメスニエミ夫妻の椅子は衣服のように捉えた椅子として、これも記憶に残る一脚である。
*1:1973年に銀座・松屋のデザインギャラリーで、日本デザインコミッティーの主催で開催された。雑誌「JAPAN INTERIOR DESIGN」 no.208 1976年7月号 P.78〜80
*2:“new furniture 7”,arthur niggli ltd.Teufen, P.11