No.71 アフラ+トビア・スカルパの「ソリアナ」1969

今月はイタリアデザインの正統派として60から70年代に多くの仕事を残したトビア・スカルパ。椅子についてはあまりに多いのでどれをとりあげようかと悩みましたが、造り方の革新性という点で「ソリアナ」です。

 トビア・スカルパは建築の詩人と謳われたカルロ・スカルパ(*1)の息子としてイタリアのベニスで生まれ、ヴェネツィア建築大学を卒業。1958年、妻のアフラ(Afra)とムラノのガラス工場でデザイナーとしてスタートするが、1960年に彼らの事務所をモンテベルーナに開設。以後、建築からインテリア、家具、照明器具など幅広く活躍し一世を風靡した。特に家具は、ガヴィーナ、カッシーナ、B&Bイタリア、ユニフォール(UNIFOR)、モルテニ(Molteni)、アメリカのノールなどの一流メーカーで多くの秀作を生んだ。
 椅子のデザインで代表的なものをあげると、デビュー作であるガヴィーナ社(*2)の「ピグレコ、Pigreco」(1959)をはじめ、60年代カッシーナ社から次々発表された椅子はいずれも評判となった。板脚のサイドチェア「No.121」(1965)とそのラウンジタイプ「No.925」、木製のフレームにクッションを置いた「カルロッタ、Carlotta」(1967)、成型された軟質のウレタンホームを包み込みソフトな感触を出した「チプレア、Ciprea」(1968)、(*3)そして「ソリアナ、Soriana」。プラスティックの座と背をいろいろな脚部の組み合わせで多くのバージョンを生んだ小椅子「ディアロゴ、Dialogo」。その他にも多くの椅子があり、テーブルや収納家具を含めると数限りなく多い。
 建築では自邸やベネトン社の工場など。照明器具ではフロス社から多くの製品があるが、代表的なものにハロゲンランプを使った「パピリオン、Papillion」(1973)や大理石を削りだしたユニークな形状のスタンドランプなどがある。
 スカルパがデザインした多くの椅子の中から一脚をとりあげるのは難しい。あえて「ソリアナ」としたのは、それまでの布や革の総張りの椅子に見られた張り加工を劇的に変えたことにある。ホームラバーやウールのかたまりを布やレザーで包み込み、形を整えるために金属の弾力を応用したワイヤーで留め込んだもの。このような「包み込む」手法は椅子の張り加工上革新的で、椅子の世界にソフトでファショナブルな感覚を持ち込んだ。同様の手法は、翌年B&Bイタリア社からの「ボナンザ」にも見られるが、椅子のデザインに大きな影響を与え、続いてよく似た製法の椅子が一時期数多く誕生したが、スカルパの「ソリアナ」をオリジナルとしてよいだろう。
「ソリアナ」は1970年の黄金コンパス賞を受賞。
デザイン:アフラ&トビア・スカルパ(Tobia Scarpa 1935 〜)
製  造:カッシーナ社(Cassina)
*1:カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa,1906〜1978)は建築の詩人と謳われたイタリアの建築家。代表作にブリオン・ベェガ墓地などがあり作品集も多いが、亡くなる前年の雑誌「SD」 1977年6月号のカルロ・スカルパ特集号を参考にされたい。
*2:デイーノ・ガビーナ(Dino Gavina)がイタリアのボローニャアに設立した家具会社。マルセル・ブロイヤーの「ワシリーチェア」を製作したことで有名。
尚、「ピグレコ」は1969年にアメリカのノール社から発売された。
*3:軟質のウレタンで成型された椅子。筆者にとっては、椅子の部分が変形するのに衝撃を受けた。歴史上でも画期的な椅子。 「ソリアナ」も「チプレア」からの延長線上のものであると、雑誌「SD」 1978年5月号のアフラ+トビア・スカルパ特集号の56頁に彼自身が述べている。えたことにある。ホームラバーやウールのかたまりを布やレザーで包み込み、形を整えるために金属の弾力を応用したワイヤーで留め込んだもの。このような「包み込む」手法は椅子の張り加工上革新的で、椅子の世界にソフトでファショナブルな感覚を持ち込んだ。同様の手法は、翌年B&Bイタリア社からの「ボナンザ」にも見られるが、椅子のデザインに大きな影響を与え、続いてよく似た製法の椅子が一時期数多く誕生したが、スカルパの「ソリアナ」をオリジナルとしてよいだろう。
「ソリアナ」は1970年の黄金コンパス賞を受賞。

父・カルロの継承から独自性へ
 今、机上に数冊のカルロ・スカルパに関する本がある。
 トビア・スカルパについて書こうとすると、1978年の暮れ、父・カルロ・スカルパが日本の仙台で亡くなったことを知り、驚き、言葉を失ったことを思い出す。
 カルロの建築作品について書きたいこともあるが限られた紙幅。建築作品ではないが一つだけ記しておくと、カルロの草案のスケッチには思考の過程が透けて見え、芸術といえるほどの典雅なうまさに舌を巻き、学生に「草案の仕方やその描き方」を説明する格好のサンプルとして永く使わせてもらっていた。(*4)ところが、カルロの事務所にいた豊田博之氏が「スカルパ父子にみる継承と離反について」(*5)の中で「晩年のスケッチはトビアが描いていた」と書いているのを知り、納得しつつも驚くことしきりである。カルロの家具のスケッチはトビアのものと見まちがうし、トビアの家具のスケッチにも考察していく過程も読みとれ実にうまい。(*6)
 話はそれたが、60年代の中ごろから次々登場するトビアの家具デザインに刺激を受け続けたのは、デザインのテイストが理解・納得できたことがなにより一番だが、イタリアデザインの勢いと軌を一にして多くのイタリア家具が輸入され、実物に触れることができたことも大きかった。大阪万博をひかえた60年代末、イタリアの家具だけでなく海外の家具が津波のごとく押し寄せ、アメリカからはハーマンミラーやノールが、北欧やイタリアも含め百花繚乱の様相を呈しはじめた。日本の家具業界にとってまさに黒船襲来。そのころイタリアの家具に触れようとするなら、向かうのは当時東京・青山にあった湯川家具サロンで、69年には「現代イタリアインテリア・家具展」が開催されてセミナーや講演会も行われ、若き日のトビアもこのとき来日している。
 トビアの家具の仕事には、同時期イタリアで火を噴き始めていたアヴァンギャルドのものとは一線を画し、イタリア正統派のデザインとしてどれも普通に使える秀作ぞろいであったのは、なんと言っても父親からの教えと生まれ育ったヴェネツィアの影響が大きかったのではなかろうか。トビア自身もそのことを認めている。(*4)
 父・カルロの残した仕事は建築が中心で、数少ない椅子では1934年にデザインした椅子「No.765」がある。この椅子の脚部は「板脚」といわれるもので、当時としては非常に珍しく、背はスリットのある曲面の板を脚部に取り付けたオリジナリティに富む椅子。トビアはこの椅子にこだわり、父を超えようともがき続けて超えていく系譜を彼のデザインに見ることができる。最初は彼の代表作の一つであるカッシーナ社のサイドチェア「121」。板脚にコードバンや布、ビニールレザーなどで貼られた合板の背が後部の貫に取り付いた椅子であるが、これは明らかに「No.765」のリ・デザインである。さらに「ディアロゴ」へと続き、最後はここまでやるのかといってもよい「アフリカ、Africa」(1975)は、後部の板脚を背と兼ねさせ、積層した異なる色の木を局面に削りだした手仕事の極致。他にも彼のデザインにはテーブルなども含め「板脚」のものが実に多い。そんな彼のデザインが70年代後半から趣味的になっていったのは、どうしてなのだろう。いまにして思えば偶然であるが、父・カルロの亡くなる直前の1978年の秋、イタリアのユニフォール社のショウルームで出会った彼のオフィス用の椅子もどこか趣味的で無骨に見えた。
 60年代から70年代中頃までのトビアの勢いは目を見張るものがあり一世を風靡したが、父・カルロの死後、家具デザインにおいては彼の「輝き」にめぐり合うことがなくなった。父カルロの継承からの方途を終えた、ということなのだろうか・・・・。(*7)
*4:雑誌「SD」 1978年5月号のアフラ+トビア・スカルパ特集号 の56頁で、トビア自身が父親のことを「父は絵を描きながらやる芸術家だ」と言う。
*5:同揚書の27頁。
*6:Mario Mastropietro, AN INDUSTRY FOR DESIGN The Research, Designers and Corporate Image of B&B Italia の中にトビアのスケッチは多い。
*7:80年代以降は建築や空間の仕事を手がけ、なかでもイタリアのアパレルメーカー・ベネトン社のオフィス空間はアイデアにあふれたスカルパ夫妻ならではのもの。コクヨオフィス研究所の「ECIFFO」、1990年2月号、8〜31頁に特集。