No.100 マッシモ・ヴィネリの「ハンカチーフ」 1982〜1987

先月、改訂版の飛び入りになりましたが、今月は先々月のボッタからの続きで、個人的なこだわりの一脚。マッシモ・ヴィネリの「ハンカチーフ」という椅子を紹介します。

 マッシモ・ヴィネリは1931年にイタリアのミラノで生まれ、ミラノ工科大学やベニス建築大学で建築を学ぶ。1957年に渡米し、60年には一旦帰国するが、1966年にユニマーク・インターナショナルのニューヨーク支社を開設して以来アメリカを拠点に活躍。1971年には妻であるレラ(Lella)とヴィネリ・アソシエイツを設立し、ビジュアルデザインを中心に食器などの雑貨から家具、インテリアなど活動範囲はきわめて広い。これも60年代イタリアの常套句「スプーンから都市まで」1をその言葉通り実践している。
 1964年にメラミン樹脂の食器セットで黄金コンパス賞を受賞のほか、アメリカでの受賞は多数にのぼる。
 「ハンカチーフ」と名付けられた椅子は、デービッド・ローランドの「GF40/4」(1964)と同じ細いロッドによるフレーム構成だが、その上にハンカチが舞い降りたような造形に特徴がある。唯、ヴィネリ自身はそのコンセプトを「軽さの表現もあるが、むしろ人間工学的な面からの発想である」と言う。1982年にそのデザインを終えていたが、開発に5年を要し、市場に出たのは1987年。本体は成形合板であるが、布地でカバーされたものや肘付のバージョンもある。最近の家具では合成ナイロンで一体成型されたラウンジチェア(2006)やテーブルなどもある。
 だが、ヴィネリが最も得意とするところはヴィジュアル面のデザインで、ニューヨーク地下鉄の路線図やサインシステム(1966)からダイアグラム(2008)、「IDCNY」2のロゴやサイン計画から各種印刷物など単にグラフィックデザインというだけではなく、対象を総合的に捉えてデザインするところに特徴があり、企業のCI計画ではその本領を発揮するが、主なものとしてアメリカン航空などがある。インテリアではセント・ピーターズ教会(ニューヨーク、1977)の他イタルセンター(シカゴ、1982)やアルテミデ(ダラス、1984)のショウルームなどがあり、デザイン領域の広さと質の高さで出色の存在である。
デザイン:マッシモ・ヴィネリ(Massimo Vignelli 1931〜)
製造: ノール社(Knoll)そのデザインを終えていたが、開発に5年を要し、市場に出たのは1987年。本体は成形合板であるが、布地でカバーされたものや肘付のバージョンもある。最近の家具では合成ナイロンで一体成型されたラウンジチェア(2006)やテーブルなどもある。
 だが、ヴィネリが最も得意とするところはヴィジュアル面のデザインで、ニューヨーク地下鉄の路線図やサインシステム(1966)からダイアグラム(2008)、「IDCNY」2のロゴやサイン計画から各種印刷物など単にグラフィックデザインというだけではなく、対象を総合的に捉えてデザインするところに特徴があり、企業のCI計画ではその本領を発揮するが、主なものとしてアメリカン航空などがある。インテリアではセント・ピーターズ教会(ニューヨーク、1977)の他イタルセンター(シカゴ、1982)やアルテミデ(ダラス、1984)のショウルームなどがあり、デザイン領域の広さと質の高さで出色の存在である。

風に舞ったハンカチ
 これまでに一度だけ地図をデザインしたことがある。1987年のことだが、そのときの師匠というか、参考にさせてもらったのがヴィネリのニューヨーク地下鉄の路線図。
 続いてさまざまなヴィネリの仕事に出会った。88年に「やられた」と地団駄を踏んだのが「ハンカチーフ」という椅子で、これに続き、ニューヨークでの「IDCNY」のロゴをはじめとする建築内のサインなど、など・・・。
 そしてこの数年、小欄を書き綴る中で何度もお世話になったヴィネリがデザインした『Knoll Design』3と題した大部な本。さらにイタリアから来てイリノイ工科大学・ダブリン教授とも親交があり、教鞭も執ったヴィネリは海外から来てIITと関わったという点ではある種の先輩でもある。先日事務所にメールをしたら、10分後に返事が返ってきたのには驚いた。80歳を超えても現役で仕事をしているのか、と。
 「アーバンライナー」という鉄道車両は関西の人ならご存知と思うが、1988年に近畿日本鉄道が社運をかけて大阪・名古屋間に導入した特急車である。この車両をデザインする機会に恵まれたとき、勢いあまって路線地図にまで手を出してしまったのがヴィネリの仕事との最初の出会いであった。
 車両デザインは初めての経験であったが、デザインとして考察すべき範囲はきわめて広い。走行する地域の特性を考察した上で、外観やインテリアはもとより、構成各部分のエレメントのデザインやサインなどのビジュアルデザインからサービスのあり方まで文字通り多岐にわたり総合的に捉えることが必要で、ヴィネリが言う「何か一つをデザインできるなら、全てができる」というほど簡単でもないのだが、デザインの対象としてこれほどやりがいのある仕事もなかった。そしてなにより、私企業の商品でありながら走行する地域のシンボルとなる点である。今では鉄道車両のデザインは百花繚乱の観もあるが、80年代はまだまだデザイン未開の領域で、「アーバンライナーは鉄道車両のデザインに風穴をあけた」とも評価された。後に、京都で鉄道デザインについての「シンポジュウム」まで企画・開催したが、当時私の持論として「鉄道車両のデザインは『地域のアイデンティティ』を表出すべきもの」と提言していた。
 「ハンカチーフ」に初めて出会ったのは1988年。IITがニューバウハウスから50周年を記念して開催したオークション4にヴィネリからの寄贈品として並んでいたとき。出会った途端「なに!」と、腰を抜かさんばかりの驚きで何度も眺めなおしたことを思い出す。というのも、かつて私は「軽さ」をデザイン表現のテーマとしていた時期があり、白い紗のような透けた繊維を風呂敷にして空気の立方体を包んだようなオブジェを製作したこともあるし、照明器具として薄いガラス繊維を風になびかせた形状で固定する方法について同僚の研究者に教えを受けたこともあった。そんな時は決まってポケットからしわくちゃのハンカチを取り出し、「このように」とイメージを説明していた。椅子でも「ハンカチーフ」とほぼ同じデザインを図面化までしていたが、残念ながら巨額の型代まで出して実現化してくれる企業はなかった。「ハンカチーフ」に出会った途端、誰かが私の試作をしてくれたのかとも思ったほどだが、最近ヴィネリに手紙をするも、この話はしていない。
 ヴィネリの「ハンカチーフ」は椅子としてはそれほど革新的ではない。ローランドの椅子からの系譜としてとらえてもよいし、「100脚」としてとりあげるには少々迷いもある。が、ポストモダン全盛期にモダニストのヴィネリが「軽さ」を表現し、風に舞ったハンカチとして、私の中では忘れられない一脚である。
① :『家具タイムズ』683号参照。
② :『家具タイムズ』708号参照。
③:Eric Larrabee, Massimo Vignelli, Knoll Design, Harry N. Abrams, Inc., 1981
アメリカ・ミッドセンチュリーから60年代、ノール社の黄金期の椅子について書こうとするとき、この本は開発の背景なども記されている好著。
④:『家具タイムズ』 689号参照。