No.102 ウィリアム・スタンフとドナルド・チャドウイックのアーロンチェア 1992 と「エクア」 1984

少し前に「FSライン」という事務用椅子を紹介しましたが、今月は90年代の事務用椅子の代表格で、その後から現在までの事務用椅子に大きな影響を残した「アーロンチェア」です。

 ウィリアム(ビル)・スタンフは1936年にアメリカのセントルイスで生まれ、海軍に従軍の後イリノイ大学でデザインを学び、ウイスコンシン大学の大学院時代に医学などの専門家と「椅子の人間工学的側面」を多方面から研究。修士号を取得して1970年にハーマンミラー社の研究スタッフとなる。1972年に自らの事務所を設立。1976年にアメリカで最初の人間工学によるオフィスチェア「エルゴンチェア、Ergon」をデザイン。その後はチャドウイックと共同して事務用椅子の開発一筋の人生で、受賞暦も多い。
 ドナルド(ドン)・チャドウイックは1936年にカリフォルニアで生まれ、カリフォルニア大学でデザインを学び1959年に卒業。建築事務所に勤務の後1964年に独立して自らの事務所をサンタモニカに設立。69年にハーマンミラー社のデザイン担当副社長ロバート(ボブ)・ブレイク①にコンタクトを取ったことからハーマンミラー社との関係が始まり、74年にはモデュラー・シーティングをデザイン。
 彼らは、1977年にハーマンミラー社で「アクション・オフィス」②以後のオフィスの研究で出会い、共同して「エクア、Equa」に続き「アーロンチェア、Aeron」を開発・デザインした。
 オフィスにコンピューターが登場した70年代末から、ドイツを中心に背や座をボタンやレバーを使って作業姿勢にフィットさせる事務用椅子が主流であったが、これらに対して「エクア」は、H型の強化プラスチックの弾性を活かし、座る人の支点の位置を前方にして、体の動きを自動的にフィットさせようとした椅子である。が、市場でそれほど長続きはしなかった。
 アーロンチェアはさまざまな点でOA作業に対してより進化した人間工学を基に開発された。その第一は、背と座がリクライニングから前傾姿勢まで継続してサポートするよう人体の足首、膝、腰を回転軸としたニュートラルな動きを模倣するキネマット・チルト機構を開発。さらに、ランバーサポートを設置し、その高さを座る人にとって最適位置に移動できることやアームは昇降できることはもちろんのこと、角度もキーボードなどに対応して支点を中心に回転させるなどのメカニズムを搭載。また、画期的なのは「ベリクル」という伸縮性のあるメッシュ素材による背と座で人体を支えたことで、フィット感や通気性を解決。造形面では、色は黒で形状は座るためのマシーンのようなイメージに特徴があり、座る人の体格にあわせて三種類のサイズが用意されている。
 アーロンチェアは1994年の「オルガテック」で世界の注目を浴びて以来今日までビジネスとしても大成功を収め、メッシュ素材などその後の事務用椅子のデザインに大きな影響を与え、ニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションにもなっている。
 20世紀の最後になって事務用椅子の決定版として登場した椅子。
デザイン:ウィリアム・スタンフ(ビル・スタンフ)(William Stumpf 1936〜2006)
ドン・チャドウイック(Donald Chadwick 1936 〜)
製造: ハーマンミラー(Herman Miller)

事務用椅子は「マシーン」なのか?
 初めて「エクア」に出会ったのは1988年の早春。22年ぶりのシカゴ生活で、懐かしさのあまりクラウンホール③の地階へ小躍りしながら下りたときのことであった。
 クラウンホールの端正な雄姿や一階ホールにあったミースの胸像などは昔とはなにも変わっていなかったが、シカゴの街はこの20年あまりの間にシアーズタワー④をはじめ新しい超高層ビルが増え、少しばかり様相を変えていた。IITの一年後輩に当たるヘルムート・ヤーン⑤がシカゴ・オヘヤ空港にユナイテッド航空のターミナルビルを完成させた直後のことで、彼はその前にイリノイセンター〈1985〉を設計し一躍スター建築家になっていた。
 クラウンホールの内部で変わったのは、かつて地階にあったゼミ室に代わりコンピュータールームができた程度。20年前に世界で初めてコンピューターの理論を生かした「デザイン方法論」を指導したC・オウエンが教授になっていたのだから自然な成りゆきで、椅子はダブリン教授時代のディレクターチェアから「エクア」に代わっていた。
 「ディレクターチェア」から「エクア」へ。このなんでもない椅子の代わりようがこの20年間の時の経過を象徴していたが、「エクア」に出合って少しばかり安堵した。
 イームズとネルソン亡き後、私など心配する立場には毛頭ないが、かつて間接的にも仕事をした人間として「ハーマンミラー社のデザインは、特に椅子はどうなるのだろうか」と気がかりだっただけに、どことなくおおらかな「エクア」のイメージに「ハーマンミラーらしさ」を感じて、ほっとした。
 というのも、当時ドイツを中心に事務用椅子の機械化傾向(ボタンやレバーなどによって操作する)が頂点に達していたからで、それに対して、「エクア」のH型に切れ込んだ強化プラスチック樹脂の弾性を生かした発想には素直に頭を下げた。滞米中、ミネソタ在住のかつての級友にこの話をしたところ「ビルはよく知っている。紹介するから会えよ!」と勧められもしたが、先年亡くなったと知り、そんな年でもないのに、と驚いている。
 だがなんといっても、1992年になって彼らがデザインしたアーロンチェアが大ヒットし、ハーマンミラー社はイームズ以来の椅子のヒット商品を手にしたのだ。
 イームズ以来というのには二つの意味がある。一つは、イームズ亡き後ハーマンミラー社には椅子のヒット商品がなかったこと。二つには、イームズがアルミナムグループのプロトタイプで試みたメッシュ素材が40年後に、それも事務用椅子に張られてよみがえったことである。
 流行とは恐ろしいもので、この椅子が世に出て以来、事務用椅子といえば猫も杓子もメッシュ素材を張るのにはただただ驚くばかりである。通気性や適度の伸縮性などの機能と製造の容易さの上にコストが安いこと。さらに現代の感覚がもたらしたものである。
 だが、「エクア」とは異なり、アーロンチェアには、ちょっと「ハードすぎるイメージ」に違和感を覚えるのは私の年齢のせいかも知れない。やはりオフィスの事務用椅子は「マシーン」なのだろうか。チャドウイックから送ってもらったアーロンチェアに関する資料も多すぎて、この小欄ではとても紹介しきれない。
 1930年代にフランク・ロイド・ライトが鋼管を使い、脚部にキャスターをつけたのを端緒としてさまざまな経過をたどり、世界をリードしてきたてアメリカの事務用椅子。70年代末から80年代ドイツにその主導権を奪われ低迷していたが、この世界でアメリカに復権を遂げさせたのがこの「アーロンチェア」である。
①:ロバート(ボブ)・ブレイク(Robert Blaich ,1930〜 )はシラキュース大学を卒業。ハーマンミラー社のデザイン担当副社長を経てフィリップ社のデザイン関係の統括役員を務める。1985年からはICSID (国際インダストリアルデザイン団体協議会)の会長を務めたほか、著書もあり、国際的にデザインの発展に貢献した。(筆者のネルソン事務所時代のハーマンミラー社のデザイン部長)
②:『家具タイムズ』622号参照。
③:クラウンホールは、近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエが1956年にイリノイ工科大学(IIT)の建築とデザイン科のための建物として設計。彼の代表作の一つである。
④:シアーズタワー(Sears Tower、1974)はSOMの設計で、110階の高さは当時世界で最も高いビル。シカゴのダウンタウンではシアーズタワーを端緒として高層ビルが急増し、「CHICAGO SINCE THE SEARS TOWER」という高層ビルのガイドブックまでできた。
⑤:ヘルムート・ヤーン(Helmut Jahn 1940〜 )はドイツで生まれ、1960年ミューヘン工科大学を卒業。1966年からイリノイ工科大学大学院で学び、C.F.マーフィー事務所を経て独立。80年代から多くの高層ビルなどの設計で大活躍した建築家。