No.79 ニールス・O・ムラーの一連の小椅子 1951〜81

ヤコブセンの小椅子に続いて、今月はその対極にある最もデンマークらしい木製の普通の小椅子、ニールス・O・ムラーの一連の小椅子をとりあげます。これは家具業界の方にとって「なんとも羨ましいかぎり」だと思いますが。

 ニールス・O・ムラーは1920年デンマークに生まれ、指物技術者として修行し1944年自らの工場を立ち上げ、以後デザイナーとして、またJ.L.ムラー社の社長として活躍。指物技術者としての持ち味を生かし1951年に最初の椅子をデザイン・製造して以来、機械とクラフトマンシップによる手加工を組み合わせ、木の美しいデンマークを代表する小椅子のシリーズをつくりあげた。
 ムラーの椅子に共通する特徴の一つにディテールがあり、木と木のジョイント部分が直角ではなく丸みを帯びている点にある。これは他のデンマークの家具、特にオーレ・ヴァンシャー(*1)などの椅子にも多く見られるが、このようなディテールの採用には材料のロスと加工の手間を伴い、わが国の家具メーカーで採用することはきわめてまれである。
 このようなディテールを含めて、ムラー社の椅子には「普通の椅子」「椅子らしい椅子」としての格調があり、価格もそれほど高くないために海外でも大きな評価を得て成功を収め、わが国にも70年代から輸入され続けている。
 加えて、ムラーの経営者としてのマネジメントには、デンマークという国の事情や時代背景があったとはいえ、独自のものがある。それは、数少ない品種を徹底的に吟味し造りつづける企業姿勢である。品種を増やして企業スケールを大きくし、昨年対比の売上高をあげることをビジネスモデルとするわが国のメーカーでは真似のできないこと。1951年から81年までの30年間にたった10のモデル(*2)を導入しただけである。
 70年代、同社の広告は際立っていて、製品写真に「TIMELESS」というコピーがただ一言あるだけ。このコピーこそがムラー社の企業理念を象徴していて、製品は派手さこそないが「時を越えて」飽きのこない造形で美しい。これほど製品を通して企業理念を明確に打ち出し、広告のコピーにまでした企業もない。昨今、話題となる「デザインマネジメント」について考えさせられる企業姿勢である。
 ムラーの一連の小椅子はデンマークの、いや20世紀の木製の小椅子を代表するものである。
デザイン:ニールス・O・ムラー(Niels O.Moller 1920〜)
製造: J.Lムラー社(J.L.Moller)

平凡のなかの非凡、企業理念を表出させたモノづくりー企業にとってデザインとは
 「椅子のデザインは小椅子にはじまり小椅子に終る」という話を学生時代に教授から聞いたことがある。これは、要素が少ないだけにデザインするのが難しく、「よい小椅子をデザインできて一人前」ということを意味していた。
 小椅子は「こいす」と読み、いつもなにげなく使っている表現だが、実は広辞苑にも出ていない。小さい椅子とはよくいったもので、語源を調べたこともないが家具関係者の間で永年使われてきた俗語かもしれない。英語では「サイドチェア」ともいわれるが、一般家庭では食事用として使われ、背が垂直に近く、肘のないちょっとした椅子というぐらいにしておこう。
 かつて、「困ったときの神頼み」ではないが、住宅の仕事で食事用椅子の選択に困ったときにムラーの小椅子にしばしばお世話になった。それも施主が年長者で予算もそこそこあり、どこか風格のようなものが必要なときには残念ながらモダンデザインの椅子は使えない。椅子の持つ「厚み」というか、風格のあるオーソドックスなものが必要だ。
 空間の雰囲気にもよるのだが、使う人のパーソナリティを表出させる椅子、これを選択・推薦するのは難しい。デザインすればよいではないか、と思われるかもしれないが、これは冒頭にも触れたように簡単なことではない。 条件に合うものを短期間にデザインすることは難しいし、今では価格がべらぼうに高くつく。というより80年代ぐらいからローズウッドはもちろんのこと。チークなどの無垢の材料がそろわない上に、別注対応の腕のいい職人がいなくなった。海外品も含め既製品の普及が別注対応の椅子職人を追いやってしまったのだ。仮にデザインができて、また材料があったとしてもつくれないのがわが国の現状である。
 人間と椅子、不思議な関係である。衣服と同じように、椅子は住み手のパーソナリティの表出とみることができる。もちろん「好み」と言ってもよい。空間をデザインした者として、「この椅子がいいのではないか」とあらかじめ用意しているのだが、住宅の場合、空間との関係性のみで、ましてや写真にとって雑誌などへの自らのプレゼンテーションのために、その上、貧しい空間を補うために都合のいい椅子を推薦することなど論外である。
 このコラムを書くようになって、70年ごろのデンマークのデザイン誌をめくっていると、ムラー社の広告、それも1ページの広告の真ん中にただ一言「TIMELESS」という文字が目に入る。なんという簡明なコピーなのか。それでいて「はったり」ではない。企業の理念による製品の特徴をこれほど明快に表している広告もないし、これほど製品を通して企業理念を表出させている企業も類まれである。21世紀になっても古くないどころか、まさにタイムレスな造形とディテール、企業のアイデンティティを表出させたモノづくり。これこそが企業にとって「よいデザイン」なのである。現在、企業にとっての「よいデザイン」を定義するのは難しいし、経営者がデザイナーに「よいデザインをしろ」と求めても、それがどういうものなのか説明できるトップも少ない。ある人は「売れるものだ」と言うかもしれない。企業理念もなく、ただ売れたらよいというのだろうか。企業理念を表出させるモノづくり、(*3)これこそがプロダクト・アイデンティティであり、企業にとって求めるべき方向なのである。
 木の小椅子を中心に、製品数を極端に絞り込んだムラー社のビジネスモデルには驚くほかはないが、これでビジネスが成り立つのであればこれ以上のことはない。「羨ましい」と思う家具業界の方も多いのではなかろうか。
 ムラーの一連の小椅子は決して声高に存在を主張しない。そして、派手なデザイナーの名作椅子とも異なりデザイン史上で評価されることもない。しかし、平凡のなかの非凡さを備えた名品で、椅子はこうもありたいとつくづく思うこのごろである。
*1:オーレ・ヴァンシャー(Ole Wanscher 1903 〜1985)は芸術アカデミーの教授でもあったが、デンマークの家具を発展させたデザイナーの一人。後日このコラムで取り上げる予定です。
*2:現在では、さすがに材料もローズウッドやチークはなく、オークなどが増え、また品種も増えたが、80年代半ばまでは10品種(1,2を除いて)が製造され続けていた。
*3:筆者は90年代以後、企業のモノづくりは、またそのデザインは「企業理念を形にすること」としてきた。さらに、地球環境が叫ばれる中、製品のライフサイクルを時間・空間軸でとらえ、可能な限り長期化・広範化すべきであると主張している。が、昨今の広告では「エコ」を叫びながら当面の消費エネルギーなどにのみ焦点を当て、やたらビジネスのために製品を短期で陳腐化させて買い替えを即し、意図的に製品のライフサイクル(製品寿命)を短期化させたものも目に付く。椅子というメカニズムの入らない道具ではあるが、ムラーの一連の小椅子はこれらの対極にあるもの。
拙稿に『構想大学デザイン学部』プレジデント社、2001、76〜83頁