No.80 ヴェルナー・パントンのパントンチェア 1967

今月は、デンマークの、どちらかというと派手なクリエーターであるヴェルナー・パントン。作品があまりに多いので全てを紹介できませんが、今回とりあげるのは彼の代表作、通称「パントンチェア」と呼ばれている椅子です。

 ヴェルナー・パントンは1926年デンマークのガムトフテで生まれ、コペンハーゲンの王立芸術アカデミーで建築を学んだ後アルネ・ヤコブセンの事務所で働き、1955年に独立。以後は建築からインテリア、家具、照明器具、各種雑貨にテキスタイルとその数も驚くほど多い上にインスタレーションやデザインなどの展覧会もあり、多彩という言葉が当てはまるクリエーターである。
 新素材などのテクノロジーと多彩な色彩を駆使して精力的にデザイン活動を続け、デンマークのみならず60年代から70年代に大活躍した国際派でもある。
 通称「パントンチェア」と呼ばれる椅子は、1967年の誕生時、既にデンマークでアンデルセン(*1)やケアホルム(*2)が同じ構想のモデルを発表していたことから論争にもなったが、パントンがヴィトラ社の協力を得てFRPによる一体成型の椅子として完成させたもの。その後、スタッキングという条件や製造コスト、環境問題などの課題から三度にわたる材料の変更(*3)を経て今日に至り多くの国で使用されている。プラスティックによる一体成型でキャンティレバータイプの椅子の典型である。
 その他、椅子では初期の「コーンチェア」や「ハートチェア」(1958)、布で張り包まれたユニークな形状にキャスターの付いた椅子のシリーズ(1963)、成型合板の「Sチェア」(1965)、細いワイヤーでできた椅子のシリーズ「パントノバ、Pantonova」(1971)、一枚の張り包まれたシート状のものを折り曲げただけで椅子や衝立にもなるシリーズ「システム1−2−3」(1974)など多数ある。さらに、家具というよりは空間オブジェとでもいうべき「リビングタワー」(1968)や1970年にはバイヤー社(Bayer AG)の船上でのプロジェクト「VisionaⅡ」(*4)で色彩豊かでファンタジックな空間のインスタレーションを発表し注目を浴びた。
 照明器具も数限りなく多いが、初期の「ムーン・ランプ」(1960)や「フラワー・ポット」(1968)は60年代に日本にも輸入され評判を呼び、現在また復刻生産されている。
デザイン:ヴェルナー・パントン(Verner Panton 1926 〜1998)
製造: ハーマンミラー / ヴィトラ(Herman Miller / Vitra)

テクノロジーによって生まれ、変遷したパントンチェア
 つい先ごろまで、NHKの朝のテレビ番組でイサム・ノグチのテーブルとセットになってよく登場していたレモンイエローのパントンチェア。イメージがオリジナルとどこか違う。形がボケたように見えるのは側面のリブの部分が大きくなったからで、オリジナルからは色も含めどこか安っぽくなった。
 どうしてかといえば、オリジナルの材質であったFRPから、スタッキングや製法の合理化、さらに環境問題から順次材質と製法が変更されたからで、現在市場に出ているのは1999年に材質をポリプロピレンにした四度目のモデルである。だが、この椅子は製造・発表される10年以上も前にデンマークで同じ発想のものが提案されていたとして大いに論議も呼んだが、テクノロジーの成果により市場に出したのはパントンで、「商品として完成させた者が勝ち」という見本のような一脚である。
 少々パントンを擁護すれば、彼も1956年に家具デザインのコンペで成型合板によるキャンティレバータイプの椅子(1965年に「S-Chair」としてトーネット社から発売)をデザイン・応募しているし、1933年のリートフェルトの「ジグザグチェア」以来、いやそれ以前から多くのデザイナーが模索していた一つの「かたち」(鋼管以外のキャンティレバータイプの椅子)(*5)でもあったのだ。パントンは50年代半ばにはリートフェルトの椅子を知らなかったと言っているが、ヨーロッパ中を駆け巡った国際派の言説として、この点は少々あやしい。
 パントンの仕事は種類と量の多さにより、限られた紙幅では書けないデザイナーの一人である。あえて「パントン色」を言えば、「デンマークのデザイナーにない豊かな色彩と派手な造形によるパワフルな活動ぶりに不思議な魅力を持ったクリエーター」と言うべきか。デザインの方向では対極にあると思われるハンス・ウエグナーが、パントンついて「彼には退屈な日々の中に降りそそがれた太陽の光を見るようだ」(*5)と言ったが、的を射た表現かも知れない。1980年にフリッツ・ハンセン社を訪れたときも豊かな色彩の衝立のような椅子群に圧倒されたし、数年前コペンハーゲンであまりに鮮やかなワインレッドのハートチェアにふうっと引き寄せられ、久しぶりに腰をおろすと、すわり心地など並みの機能はさておき、後光をいただいたような気分になるから不思議である。
 彼の精力的なデザイン活動は20世紀後半のデンマークにおいて異色のようにとらえられているが、彼の仕事にもデンマーク流方法論というべき先達の成果をヒントにアレンジする能力は凄い。(*6)さらに、パントンほど遊び心で造形を愉しんだクリエーターもいないが、構想を実現していくパワーと次々と現れる施主の存在には驚くばかりである。家具だけを取り上げても、思いついたら形になっていたというべきで、彼のパワフルさはヤコブセンの事務所から独立したときフォルクスワーゲンのバンをスタジオにしてヨーロッパ中を旅し多くの知己を得たというが、そんな行動力も大きく、彼の大部な作品集(*7)に寄せられた多くの人の言葉を見ると、彼のパーソナリティのなせる結果なのだろう。
 インスタレーションを発表したのは1970年の展覧会「VisionaⅡ」だが、その前年の「VisionaⅠ」ではイタリアのコロンボ(*8)も大胆な構想を提案しており、精力的な仕事ぶりで双璧の二人がそろってこの企画に参加し、当時大きな衝撃を受けた記憶も鮮明だ。
 しかし、さすがに80年代に入ると、もうやることがなくなったのか、それともポストモダニズムの影響か、はっきり言って家具では駄作も多くなった。もしコロンボが健在ならば80年代以後どんな仕事をしていただろうか、と想うことしきりである。
*1:アーガード・アンデルセン( Aagard Andersen 1919〜1983)は王立芸術アカデミーで教鞭も執り、実験的な家具をデザインする。1953年に鶏舎に用いる金網に新聞紙を貼りこんだモデルを、ケアホルム(Poul Kjaeholm )も同じころパントンチェアとほぼ同じモデルを製作していた。論争はデンマークのデザイン誌『Mobilia』no.146 ,1967
*2:『家具タイムズ』641号参照。
*3:製造材料の変遷について、一回目は1968〜71年にFRP から硬質のポリウレタンに。二回目は1971〜79年、ポリスチレンに。三回目は1999年、ポリプロピレンにと変更されてきた。詳しくは『VERNER PANTON−The collected works』Vitra Design Museum, 2000 PP.76〜92
*4:『Mobilia』no.174/175 ,1970の表紙にもなり、詳しく紹介されたので参考にされたい。また、この前年1969年の「VisionaⅠ」ではイタリアのジョエ・コロンボが装置家具を提案し、大きな反響を呼んだ。
*5:パントンが生まれた1926年は偶然ながら鋼管によるキャンティレバーの椅子が誕生する契機となった年。不思議な因縁である。パントンチェアの原型ともいえる鋼管ではないキャンティレバーの椅子をデザインしたのはハインツ・ラッシュ(Heinz Rasch)。彼が1927年に弟のBodo Raschと共同でデザインした椅子「シッツガイストゥシュトラール、Sitzgeiststuhl」はリートフェルトにも影響を与えたといわれる。尚、ハインツ・ラッシュは、1926年スタムがミースにスケッチを見せたときに同席していたとされる。
*6:パントンチェアは多くの先達からのヒントや影響そのものであるが、彼の他のデザインにもアーキズームや ワーレンプラットナーを始め,ここでは紹介できないが、1995年のパイプのキャンティレバーの椅子は1927年のウラジミール・タトリンの椅子をヒントにデザインしたといってよい。
*7:VERNER PANTON−The collected works, Vitra Design Museum, 2000 P.217
*8:「家具タイムズ」665号参照。