No.83-1 マルセル・ブロイヤーのチェスカチェア・資料編

先日、この拙稿を資料にしている方もおられると聞いたので、今月は、先月のブロイヤーのチェスカチェアで紹介できなかった写真の資料編とします。後半は、私的なジャズの話なので、気楽にお読み下さい。

1925年は近代デザイン史上の大きな転換点 パリで「現代装飾·産業美術国際博覧」が開催され、 後に「アール·デコ」といわれる潮流を生み、「パ ウハウス」を含め現代の「デザイン」という言葉を 生む契機となる。椅子のデザインでは、ブロイヤー が初めて室内用の椅子に鋼管を使い「ワシリーチェ ア」が誕生。以後、キャンティレバーの椅子をめぐ ってスタム、ブロイヤー、ミースらが熱く燃えたとき。
「私の出会った100脚の椅子」81, 82, 83 は一連のものとしてお読みいただければ幸いです 尚、この資料編は先月号のエッセイ部分「1925年 ごろからの喧騒-キャンティレバーの椅子を めぐって」の中に出てくるものの図や写真です。

1925年ごろからの喧騒は伝説になるのか
 ある日の深夜。「チェスカチェア」についてなにを書こうかと思案していたところ、突然テレビでマルタ・アルゲリッチがスイス・ヴェルビエ音楽祭で奏でたバルトークの『二台のピアノと打楽器のためのソナタ』が響き、釘付けになった。
 二台のピアノの一つを彼女が弾くのだが、四人の室内楽で打楽器奏者が二人。バルトークの現代性と銀髪を振りかざしたアルゲリッチ。それに二人のパーカッション奏者に、おもわず20年前シカゴで聞いたマイルス①を重ね合わせていた。
 いま、手元に「世界のスターと椅子」をテーマにした「SITTINGS」②と題する写真集がある。フィリップ・ジョンソンやフランク・ゲーリーといった建築家も登場するが、モダンジャズの世界に屹立したマイルス・デイビスが精悍な顔つきで椅子に腰掛けているのがひときわ印象的だ。座っているのは「チェスカチェア」ではないが、同じキャンティレバータイプでマリオ・ベリーニが1985年にヴィトラ社のためにデザインしたサイドチェアだから、これはマイルスが亡くなる少し前に撮影されたものだろう。
 私が最後にマイルスを聞いたのは1987年で、ちょうどこの写真が撮影されたころかもしれない。シカゴのダウンタウンの真ん中、ステートストリートにある有名な「シカゴ・シアター」であった。ジャズを大きなホールでやることも珍しいのだが、さすがマイルス。午後8時の開演にあわせて客席は満員で熱気に満ちていたが、8時を過ぎてもマイルスは現れない。「機嫌をそこねて、ひょっとすると今日は?」と思っていたところ、30分ぐらい遅れて派手な衣装を纏って登場し、演奏は電気機器も駆使し、終わったのは深夜の12時をまわっていた。60歳を超えたマイルスが孫のような20代の若い女性のパーカッション奏者を従え、ここまでやるかと思えるほど新たな方向を模索する熱演であったが、今も印象に残るのが当日のカタログの冒頭に書かれていたマイルスの言葉。「オレをlegend (伝説の人)と言うな」の一言である。
 椅子の話にどうしてジャズやマイルスかと思われるかもしれないが、60年代のアメリカで「チェスカチェア」のまがい物が多く出まわっていて、ニューヨークのジャズクラブで汚いチェスカチェアに座って演奏していた黒人プレーヤーの顔を思い出したからである。アルゲリッチ、マイルス、ジャズクラブ、チェスカチェアと連想ゲームのようなつながりである。
 当時、ニューヨークのジャズクラブの情報は「ヴィレッジ・ヴォイス」という新聞を見て出かけるのだが、今と違って入れ替え制などあるわけもなく、隣で飲んでいたスタープレーヤーが突如ステージに飛び出たりするから楽しいものであった。
 60年代のジャズの話を書き出すときりがない。シカゴでの学生時代、デーブ・ブルーベック③がやってきて、大学の大きなホールで演奏会。勇んで出かけたが残念ながら切符は売り切れ。だが、どういう風の吹きまわしか、ステージの脇に20脚ほどの折りたたみ椅子が特設され、ラッキーなことにそこで「Take Five」を聞くことができ、アンコールが終わったときポール・デスモンドらにサインを求めたが、こんな幸運も二度とない経験であった。他にも、夏の暑い盛りのニューポート・ジャズフェスティバルで聞いたエラ・フィッツジェラルドの深夜の熱唱。カーネギーホールで初めてオーケストラとソリストとして協演したMJQ④の正装してまじめくさった顔のことなどなど・・・・・・。
 「オレをlegendと言うな」と言ったマイルスがあのシカゴシアターで聞いた三年後に亡くなるとは。
 鋼管によるキャンティレバーの椅子が生まれてもうすぐ一世紀。1925年ごろからの喧騒はそろそろ「legend」になるのか、と。
①: マイルス・デイビス(Miles Davis 1926〜1991)はモダンジャズの帝王ともいわれ、モダンジャズ史上に不滅の功績を残したトランペット奏者。筆者は昔、フランス映画「死刑台のエレベーター」(1957 ルイ・マル監督)でマイルスの奏でるトランペットの音色に感動。
②:Christian Coigny、SITTINGS、Prestel、2000
③: デーブ・ブルーベック(Dave Brubeck)はウエストコースト派のピアニスト。彼らのグループの代表曲は「Take Five」。
④: MJQはモダン・ジャズ・カルテットの略で、1951年にジョン・ルイスやミルト・ジャックソンによって結成されたグループ。どちらかと言うと知性派のジャズ。1967年にクラシック音楽の殿堂であるニューヨーク・カーネギーホールでシンシナティオーケストラと初の協演が行われた。筆者が勇んで出かけた思い出残る演奏会。