Np.93 ウイルクハーン社(クラウス・フランクとヴェルナー・ザウアー)の「FSライン」1980

70年代末のドイツの椅子といえば、オフィスの事務用椅子でしょう。当時、ドイツのメーカーは競ってメカニズムを内蔵して椅子の座や背が動く椅子を開発し、世界をリードした。今月はこれらの代表として、30年を経た今日も製造・販売されているドイツ・ウイルクハーン社の「FSライン」です。

 「FSライン」はクラウス・フランクとヴェルナー・ザウアーの二人が中心となってデザインしたものであるが、彼らは当時ウイルクハーン社の社員であり、企業の技術的蓄積などがあって誕生したものである。
〔従って、彼ら二人のイニシャルから「FSライン」と命名されているが、ここではウイルクハーン社のデザインとして扱う〕
 ウイルクハーン社は、1907年ドイツ・ハノーバーに近いアインベックハウゼンで二人の木工職人フリードリヒ・ハーネとクリスチャン・ウィルケニングによって創業された。当初は周辺の家具工場と同じように様式的な家具を造っていたが、戦場となった第二次大戦後は一時閉鎖に追い込まれる。
 終戦後、フリードリヒ・ハーネの息子であるフリッツ・ハーネが1947年から経営に参加。ドイツ工作連盟やバウハウスからの流れにあるウルム造形大学に関わる人々との交流などからモダニズムに出会い、オフィスや公共空間を対象としてモダンデザイン主導の製品開発と経営で今日の隆盛を築くことになった。1985年にはデザイン部門を独立させ、別会社・ヴィーゲ(wiege )を設立。また、環境問題に真摯に取り組むことを企業理念とし、1996年にはドイツ環境賞を受賞している。
 ウイルクハーン社の1970年代の事務用椅子では「Program190」(1976)1や「Program 23」があり、それらの実績を基に1980年に「FSライン」が誕生した。その特徴は「オート・シンクロ・アジャストメント」という機構にある。それまでは、手でレバーなどを操作して背や座部の角度を調整していたが、「FSライン」は背と座を一体として、座る人間の体重移動(姿勢)に合わせて自然に対応するという革新的なもの。発表当時からサイドチェアなどのシリーズ化とサイズなど数多くのバージョンをそろえ、以後30年の長きにわたり製造・販売されている事務用椅子の名品である。発表当時の1980年はポストモダニズムの風が吹き始めたころで、スイングアームや脚部などに赤など多彩な色の組み合わせも見られた。
 「FSライン」以後、ウイルクハーン社の事務用椅子では「ピクト」、「モダス」、「ネオス」、「ソリス」と続き、最新のモデルは三次元シンクロメカニズムによる「オン、ON」2がある。
 事務用椅子以外のユニークな椅子では、ヘルベルト・オーエル3がデザインした「O-Line」(1982)やハンス・ロエリヒト④がデザインした「スティッツ」(1991)などがある。
〔70年代末からオフィス用の事務用椅子は大きな変革を遂げたが、それらの代表として「FSライン」を選んだ〕
デザイン:クラウス・フランク(Klaus Franck、1932〜)
ヴィーゲ(wiege)社の初代社長。
ヴェルナー・ザウアー(Werner Sauer、1950〜)
製造: ウイルクハーン社(Wilkhahn)

1976年、事務用椅子が動き出した
 1980年の「オルガテック」5の会場。初日にひと歩きして奇異な感じを覚えたのは、企業のブースが異なるにもかかわらず、あっちにも、こっちにもウイルクハーン社の「FSライン」が並ぶ。この椅子が発表されて大きな評価を得た年のことであった。
 これには訳があり、ドイツでは「箱モノ」と「脚モノ」メーカーの棲み分けができていて、デスクや「箱モノ」メーカーでは展示ブースに他社の椅子を使うのである。昨今よく耳にする「選択と集中」なる経営ができていたからこそ開発に資源を投入できたのであろう。
 一方、地球環境が叫ばれる中、なんでもかんでも仕入れまでして毎年電話帳のようなカタログをつくり,ほとんど似たような製品で競い合う。時にはその厚さまで競うというバカげたビジネスモデルを展開しているわが国のオフィス家具業界とは基本的に異なるのだ。
 コンピューターの発達がオフィスでの仕事の方法を劇的に変え始めたのに伴い、ドイツでオフィス家具変革の年となったのが1976年。「オルガテック」という名のオフィス関連の展示会がケルンで開催され、そのスケールの大きさに圧倒された。そこには事務用椅子の世界に「革命」ともいえる現象がおきていた。椅子が動き出したのだ。
 私がウイルクハーン社に注目したのもその年。いま、当時の事務用椅子「Program190」のカタログを見ると、懐かしさとともに外観からはわからない機能と造形に驚いた記憶がよみがえるが、注目したのは椅子だけではない。カタログや会場のディスプレーなどにも卓抜なデザインマネジメントが読み取れ、以来ファンになった企業である。
 続く2年後、1978年の「オルガテック」6ではその傾向がさらに加速し、動く椅子の花盛り。その中でも色鮮やかでユニークな造形のヴィトラ社の「ヴィトラマット」7にも魅了された。椅子が「動く」とは、座の上下は当然として、作業する人間の姿勢にあわせて座を前後に傾斜させたり、背をさまざまな角度に変化させることで、このために座部の下にガスシリンダーを二本も内蔵させ、調節のためのレバーやボタンが座部の裏側に四つも付いたマシーンのようなものまで登場した。このような傾向が最高潮に達したのが1984年にスイスのモントルーで開催された「エルゴデザイン」⑦という国際会議。レマン湖畔の風光明媚な街での開催に観光気分も手伝って参加したのだが、会場の熱気に圧倒された記憶が今も残る。
 翻って思うに、70年代までの日本企業には「集団主義」や「滅私奉公」という言葉に代表される企業風土が蔓延していて、オフィスの環境などはくそくらえ。特に関西では、某カリスマ経営者が「工場や事務所の環境をかっこよくするような会社はつぶれる」と言ったとされ、企業風土としてスポーツ同様の「根性論」がまかり通り、事務用椅子はグレーのビニールレザー製と相場が決まっていた。
 が、さすがに80年代の半ばともなるとオフィス家具業界に海外からの情報やライセンス商品が流入。さらに決定的なことは折からのバブル経済とあいまって日本のオフィス環境が急速に変わり始めた。「FSライン」誕生と同じ1980年、私も「システム8000」8というオフィスのシステム家具を発表しデザイン界では評価も受けたが、80年では「ちょっと早すぎた」とも言われた。
 1980年、これまでとは異なるシンプルなメカニズムによる動きとカラフルな色彩を含めた造形で颯爽と登場し、事務用椅子の開発競争に一つの収束をつけたというか、決定版となったのがウイルクハーン社の「FSライン」。
 世に出て30年、私が使い続けて20年以上。現在も製造・販売されていることは事務用椅子では稀有なこと。事務用椅子の世界に一つの「かたち」を提示した記録に残る一脚である。
① :筆者が1976年に注目した椅子。背が座る人間の姿勢に合わせて動くことは当然として、おおらかな形状とユニークな肘がマッチした椅子。ハンス・ロエリヒトのデザイン。
②:「トリメンション」と名づけられたメカニズムによって、座面と背が前後方向に加え、左右方向にも動きを組み込んだ椅子。
③:ヘルベルト・オーエル(Herbert・Ohl, 1926〜)はウルム造形大学などの大学で教鞭をとったデザイナー。ウイルクハーン社でのデザインでは、「O-Line」に続いて「810レンジ」がある。
④:ハンス・ロエリヒト(Hans Roericht 1932〜)は1967年以来ウルムに事務所を持ち活躍。1973年からはベルリン芸術大学の教授。
⑤:現在、日本では「オルガテック」といわれているが、当時正式には「オルガテヒニク(ORGATECHNIK)」という名称で,1976年以後2年に一度ドイツのケルンで開催されたオフィスの家具や機器の世界的な展示会。
 ここでは通用しやすい「オルガテック」の方を使う。
⑥:1976年に続き、1978年の「オルガテック(10月24日〜29日)」では事務用椅子の世界に「革命」と言える現象が起きた。ドイツを中心としたメーカーがいっせいにコンピューター作業に対応して椅子の座や背が動く椅子を揃って発表。中でもVitra社の「ヴィトラマット」は背や座の構造体がアルミダイキャストでできていて、ガスシリンダーが内臓され、鮮やかな色彩の布地とその造形は筆者が注目した椅子。
 尚、当時事務用椅子の開発に熱心なドイツ系企業はWilkhahnの他Vitra、Sedas、Drabert、Giroflex、Froscher、Comforto などがあった。
⑦:オフィスにおける人間と機器や家具のよりよい関係を求めて、人間工学とデザイン双方の関係者が世界中から集まって「エルゴデザイン」 という名の国際会議が1984年の11月にスイスのモントルーで開催された。
 「エルゴデザイン」とはErgonomics(人間工学)とDesign (デザイン)からなる造語。
⑧:「システム8000」は日本インテリアデザイナー協会の協会賞
受賞〈1981年〉
雑誌『JAPAN INTERIOR DESIGN』no.267、1981、82〜91頁に全貌を発表。
参考文献:
Edition Wilkhahn, Documents of design, German Design Council, 1999
ウイルクハーン社の1976年ごろからのカタログ
島崎信 『一脚の椅子・その背景』
建築資料研究社、2002 221〜235頁