No.01 トーネットの#14の椅子

有史以来人間が座るという単純な行為を支える道具として発展してきた椅子。その歴史を概観すると、トーネットの曲木の椅子によって、これ以前と以後に二分されるといってよい。それは、生産方法なども含めた広い意味でのデザインの近代性によってである。
ミヒャエル・トーネット(1796〜1871)は、ドイツのボッパルトに生まれ、幼少時から建具や家具の職人として腕を磨き、1819年、23才の若さで自らの工場を建て独立。
その後、木の加工方法として曲木の技術を開発し、その量産性を生かして椅子を廉価で大衆のものとした。トーネットの曲木の椅子には数多くのバージョンがあるが、なかでも「#14」の椅子は代表的なもので、150年を経てもその造形は新鮮で、1930年ごろまでに千万脚を世界中に生み出した。


180年を経て今も色褪せず生き続ける椅子である。
満月のようなハワードミラー社のあの丸い明かりが、4階まで吹き抜けた階段ホールを上から数珠繋ぎに突き刺すように下がり、その下にいた眼鏡をかけた受付嬢に怪訝な顔つきで見つめられた。
これがネルソン事務所に足を踏み入れた最初の1歩。シカゴからニューヨークに来て3日目、1966年初夏の朝のことである。
おそるおそる用件を述べると、取り次いでくれて出てきた男から「今、ネルソンはフランスに行っていて留守だが、君の話は聞いている」といって、私をプロジェクトのリーダーらしき男に紹介されたが、彼らの会話が今一つわからないうちに、退所するまで使うことになる製図板を示され、そこにあったのがトーネットの#14の椅子。その後何ヶ月も毎日臀部の痛さに悩まされながら厄介になった思い出深い椅子である。
その日からすぐさま仕事になるなど考えもしなかったが、即座にやるべきことを指示されたのには正直面食らった。その当時、ハーマンミラー社のプロジェクトチームには3人のデザイナーがいて、その中の一番若そうなRがどうやら私の面倒を見るらしい。初日というのにRの容赦ない指示、十分聞き取れない英語。アメリカのプロの事務所で仕事をする厳しさをいやというほど知らされた初日。 事務所を出たのは深夜近く、あの薄気味悪い人影まばら深夜の地下鉄のプラットホームに立った時、昨日までの大いなる期待は霧散し、「これでは続かん」と目頭を熱くしたことを昨日のことのように思い出す。
その後は、事務所のメンバーの寛容さに助けられ、#14で仕事を続けることになるのだが。たとえ日本から来た貧しい留学生の私であっても、この椅子の近代性と造形の美しさは十分理解していたつもりだが、まさかトーネットの椅子で仕事をすることになるとは考えもしなかった。その頃の日本のオフィスでは貧しいグレーのビニールレザー張りであっても回転椅子であったからである。
当時のネルソン事務所ではハーマンミラー社から「ACTION OFFICE」という名のオフィスの全く新しいシステムを発表して間もない頃。仕事はアクティブにやるものという思想もあったのか、仕事のための椅子ですら今でいう人間工学的な発想などどこ吹く風。座り心地よりどのような椅子を選ぶか,を問題にしていたのだと思う。20世紀初頭のヨーロッパにおける新しい建築やデザインの動向をアメリカにいち早く伝えたネルソンらしく、コルビジェなども好んで使ったトーネットの椅子。近代を具現したこの椅子が持つ形而上的意味をなによりも重要視していたのだろう。
#14にもそのバリエーションとして、今は座部がクッション性のある布張りのバージョンもあるが、当時使っていたものは座部が籐張りのオリジナルに近いもので丸い座部の寸法もそれほど十分な大きさとはいえないもの。薄いクションを敷いてはいたが、デスクワーク中心の私にとって相当辛いものがあった。
しかし、何よりもこの事務所の一員であり、ハーマンミラー社のプロジェクトに参加しているのだ、ということが椅子の良し悪しなど問題にせず、これまでの人生の中でも充実した時であった。
今更ながら、椅子というものが持つ多様な意味(機能)を知る思いである。

デザイン:ミヒャエル・トーネット