No.08 ネルソンのスリングソファー(#6382) 1963

ネルソンといえば、マシュマロチェア—を思い出す方が多いと思いますが、ネルソンの功績はこの程度のものではありません。書きたいことが多すぎて書ききれませんが、またの機会に。

アメリカ近代デザインの発展に大きく貢献したネルソンは、エール大学で建築を学び、卒業後イタリアへ。ヨーロッパでコルビュジェやミースなどとの交流を持ち、帰国後は「Architectural Forum」誌のエディターとしての仕事などを通して、ヨーロッパでの近代デザインの潮流をアメリカに紹介するなどジャーナリストとして活躍。1936年に自らの事務所を創設し、建築からインテリア、家具や時計、グラフィックまで数多くの仕事を残した。アメリカのミッドセンチュリーを代表するデザイナーであリ、デザイン思想家である。その一方で、1946年からハーマンミラー社のディレクターとしてイームズをハーマンミラーに推薦する。スリングソファーは2人掛けから4人掛けまで3種類。シートの前から背の上部へまわるクロームメッキのパイプフレームは分割されており、脚部と特殊な樹脂のジョイントで一体化する構造になっている。名前にあるように、そのフレームからベルトで革張りの背と座のクッションが吊られている。
参考までに、価格が3人掛けのものでイームズのラウンジチェア—の3倍であり、相当高価なものである。
デザイン:ジョージ・ネルソン(George Nelson 1908—1986)
製造:ハーマンミラー社(Herman Miller)


スリングソファーの構造

わが師ネルソン
このところ、日本で自らのデザインがよく話題になることを、ネルソンはどのように見ているだろうか。
突如おこったミッドセンチュリーブームでイームズとともに、ジョージ・ネルソンが話題になることが多いなか、その関心事の大半が彼のデザインしたマシュマロチェア—やハワードミラー社の時計である。どうしてこれらだけが話題になるのかよくわからないが、現在の感性とミッドセンチュリーブームの実態をよく物語っている。
だが、「こんなのごく一部だよ」とネルソンは笑って言うにちがいない。このような最近の見方をトヤカク言うつもりは毛頭ないしが、ネルソンを語るにはあまりにも一面的ではなかろうか。
1964年に発表された革新的な「アクション・オフィス」という名の家具のシステムは、世界中に衝撃を与えその後のオフィス家具のデザインに多大の影響を与えた。その他、CSSという棚のシステムデザインや椅子などの家具をはじめハーマンミラー社のカタログなどのグラッフィクデザインからニューヨーク博のクライスラー館などの建築設計。その幅の広さと量は数えあげるときりがない。しかし、なんと言っても数多くの著書や文筆活動、講演活動を通してアメリカの近代デザインを主導させたということも見逃すことができない。
椅子のデザインで取り上げるなら躊躇なく
スリングソファー(#6382)をあげるのは、私の偏見なのだろうか。
60年代当時。事務所のエントランスの壁にはこれまで手がけた仕事のパネルがぎっしりとディスプレイされ、その下にこのソファーはあった。四階まで吹き抜けの階段ホールに吊り下がったバブルランプとともに。
パーツをジョイントして構成するフレームの解決方法は見事で、彼のデザインした椅子の中で最も近代デザインを具現したものである。ランチに行くために仲間との待ち合わせのときなどよく腰をおろしていた。
当時の事務所は、フラットアイアンビルの近く22丁目の東にあって、地下一階から四階までの小さなビルからなり、地下は工房と写真撮影のためのスタジオ。一階はエントランスとプロダクト、グラフィックなどのデザイン部門。二階は建築とインテリア部門。三階が会議室、プレゼンテーションルームとネルソンのオフィス。四階はネルソンの自宅で家族とともに住んでいた。スタッフは建築、プロダクト、インテリア、グラフィックのデザイナー、カメラマンからモデルメーカーまで総勢20数名。プロダクトデザインチームは事務所創設以来ネルソンの協力者であるアーネスト・ファーマー(Ernest Farmer)をはじめ四名で、当時は主にハーマンミラーのプロジェクトをこなしていた。
ネルソンのやろうとしたことは、建築家からカメラマンまで多様なタレントのそれぞれの力を生かして、プロデューサーとしてプロジェクトを総合的に捉えて行なうということにあったのだろう。彼自身の文筆活動とあわせて当時のアメリカ、いや今でもあまり見られない組織形態である。
将来はこんな事務所をやってみたいという夢を抱いたことも随分遠い昔のことになってしまった。
一言で言えば、ネルソン自身がネルソンのデザインなのである。
注1:Flatiron Building(1902)
ブロードウェイと5番街の角に立つモニュメンタルな建物。
形がコテに似ていることからついた名前。


事務所でネルソンと筆者(70年代)


筆者がいた頃の事務所のエントランスホールに置かれていたスリングソファー