No.05、06 ヤコブセンのエッグチェアとスワンチェア(1958)

1960年代末から日本でも盛んに開発された硬質発泡ウレタンの椅子。この素材はそれまでの椅子に比して自由な造形を可能にしたが、その原点はヤコブセンのエッグとスワンチェアである。
ヤコブセンがコペンハーゲンのSASロイヤルホテルを設計した時に、その空間に相応しい家具としてデザインしたのが、エッグとスワンチェアである。素材に硬質発泡ウレタンを使い、それまでの木枠による椅子とは全く異なる造形の美しい椅子を誕生させた。当時のデンマークの家具デザイン事情からすると、椅子の概念を変えたものであり、周囲を驚かせたものであっただろう。この種の椅子の原点とも言うべきものである。
スワンチェアはそのイメージが白鳥のように優雅であることから、エッグチェアは座る人を包み込み、シルエットが卵のようであることからこのように呼ばれている。

デザイン:アルネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen,1902−1971)は1927年王立芸術アカデミーを卒業し、建築家であるが、同時に家具、インテリア、テキスタイル、雑貨など幅広くデザイン活動をする。北欧(デンマーク)のミッドセンチュリーモダンをリードしたデザイナーである。
製造:Fritz Hansen社(フリッツ・ハンセン)

貧乏旅行の果てに
「ヨーロッパ一日5ドル旅行」の本を片手に、放浪すること2ヶ月。最後の街、コペンハーゲンから日本に帰国する最後の晩、当時ヤコブセンのデザインで名を馳せていたSASロイヤルホテルに泊まることができたのである。それも無料で。貧乏旅行を続けてきた最後にスワンとエッグに本場で再会できる夢のような話に遭遇した。  1967年の3月のこと。アメリカ留学を終え、やっと日本に帰れる安堵感と一日5ドルで過ごす旅の疲れからか、高熱のために駅裏の安ホテルで、2日ほど寝込んでしまった。当然、そのホテルには適当な薬もない。仕方なく近くのロイヤルホテルのフロントまで行き、薬をもらえないかと頼んでみたところ、アスピリンならあると言う。アメリカ滞在中何度かお世話になった薬であったのでもらうことにしたが、その時目にしたホテルのロビーはこの二ヶ月間の貧しい旅からは別世界。こんなホテルに一度は泊まってみたいとただ呆然と眺めていた。風邪のことなどどこかに忘れて。
だが、幸運にも三日後に泊まれることになったのである。ニューヨークを振りだしにヨーロッパを二ヶ月間も貧乏旅行を続けているといろいろな知恵がつくもので、日本に帰ったら海外旅行の添乗員になるのが私には相応しいのではないか、と冗談にでも考えた時のことである。帰りの切符の予約便を駆け引き材料にして願ってもないことに出くわしたのだから。
今では考えられないことであろうが、当時は日本人の海外旅行者はごく限られた人達で少なく、航空会社が大陸間の乗客を争奪していた時代の話である。今では天下のJALといえども毎日就航することはなく、その客席は空席だらけの時代。客の指定する日に自社の便がなければ、航空会社が客をコペンハーゲンに泊まらせてでも客を獲得していたのだ。
それまで、百貨店のスカンジナビア・デザイン展などでエッグやスワンチェアに出会ってはいたが、ロビーで、客室で、再会したエッグやスワンは貴婦人のように美しく、その周辺の室礼とともに私の期待に応えてくれた。貧乏旅行の最後の夜はまるで王様のような気分を満喫した。
私にとってスワンやエッグといえば、1964年のこと。日本で当時の高島屋工作所が硬質発砲ウレタンの椅子を実験的に開発してみようというので、若造の身も顧みず手を挙げ、取り組めることになった時のことが甦る。
硬質発砲ウレタンで椅子をといっても、常に頭の片隅にはエッグやスワンのイメージがちらつき悪戦苦闘。なんとか私らしいデザインを、と力んで石膏型を削っていた頃を思い出す。そして、やっとできた試作品をヤコブセンの新作だ、といって仲間をちゃかしたことなど懐かしい。
結果は、大地から生え出てきたイメージで脚部をなくし、回転機構を埋め込んだ薄いアルミのベースを鋳物で造り、そこそこのものになったと思うが、どこかヤコブセンの臭いがするのはその頃の事情からはどうすることもできなかった。 それでも、この椅子が、1964年にどこか外国の一流家具メーカーで造られておれば、と思うのは私の独り言である。


1964年に筆者がデザインした硬質発砲ウレタンによる椅子