No.33 ペーター・ヴィッツとオーラー・ミュルガード・ニールセンのAXチェアー 1950

今月は、私が駒入りの成型合板というのを知るきっかけになった椅子、そして無謀にもそれを日常の仕事で数もないのにやろうとした、やってしまった椅子について書いてみます。

ペーター・ヴィッツは、コペンハーゲンの工芸学校(School of Arts and Crafts)で学び、その後オーラー・ミュルガード・ニールセンと協働してポルテックス(Portex)チェアー(1944)というスタッキング椅子を手はじめに家具を中心にデザイン活動をする。
オーラー・ミュルガード・ニールセンも、コペンハーゲンの工芸学校(School of Arts and Crafts)で学び、1936〜45年には教鞭も執る。
AXチェアーは成形合板によるパーツを組み合わせでできた椅子で、それも脚部に駒を入れた成形合板のフレームは当時(1950)の椅子の製造技術としては画期的なもの。その上、全ての部分がパーツとして構成されているために、両肘付きのスタンダードのものから左右片肘のバージョンまであり三連にも構成できる。この時代にパーツを組み立て椅子にするという発想は、海外への輸出のためのノックダウンを可能にし、デンマークの家具の輸出に貢献した。
彼らはこの椅子を発展させ、四角形の駒が入ったX型のフレームでミースのバルセロナチェアーの木製版とも思える椅子(No.1634、1636)とテーブルのセットを1960年にデザインしている。
いずれも当時としてはフリッツ・ハンセン社の高い技術力を示したもので成形合板の名作である。また、AXチェアーには座と背が革で張り込まれたバージョンもあり、ビクトリア・アルバート美術館のコレクションにもなっている。
デザイン:ペーター・ヴィッツ(Peter Hvidt1916〜1986)
オーラー・ミュルガード・ニールセン
(Orla Molgaard Nielsen 1907〜1993)
製  造:フリッツ・ハンセン社(Fritz Hansens)
*1: New Furniture No.6


▲AXチェアー

  
▲皮で張りつづんだバージョン ▲肘を左右につけて三連にしたもの

 
▲X字型の椅子とテーブル(1960)▲1980年頃のフリッツ・ハンセン社の廊下にあったAXチェアーの説明パネル

若き日の無謀な挑戦
先日、残暑の厳しい東京で清家清の建築展を観る機会があった。会場につくられた書斎のセット、その製図版の横に相当使いこまれた三連のAXチェアーに久しぶりに出会い、清家清  がいかに愛用していたかを物語っていた。
木を曲げるには曲木と成形合板という二つの方法があり、椅子をつくるにはおもしろい技術であると知ったのは、大学を卒業してまもないころである。曲木については、トーネットの椅子に代表される制作方法でなんとなくわかっていたし、大学時代に大阪にある町工場で製作現場を見学したことがある。そこでは、昨今見られなくなったが、衣帽掛けの先端の曲がった部分をつくっていた。1958年ごろには大阪でも曲木をつくっていたところがあったのか、と思うと時代の変わりようを痛感するのだが、成型合板に関してはなにもわかってはいなかった。海外の雑誌を見れば盛んに出てくるし、わが国では天童木工がこの技術を生かしたコンペまでやっていた。
が、いざ成型合板を使ってデザインするとなると、どの程度のアールで曲げることができるのかなどなにもわからず、資料もない。先輩に聞いても的確な答えはなかった。そのころの日常の仕事は、家具においても型代のいるような曲木や成型合板を使うことなどできるわけもなく、すべて手づくりだから先輩といえども知るはずもなかった。
こんなとき、雑誌でAXチェアーとX型のフレームの椅子に出会い、成型合板の新たな可能性を知った最初で、1961年のことである。これは駒入りという方法でテニスのラケットに使われていた技術。わが国でも60年代から天童木工で多用されはじめたが、こんなことができるのであればもっと変わった椅子ができるのではないか、と即座にトレシングペーパーに落書きめいたものをいくつか描いてみたのが事の起こり。
ある山荘の仕事で、数も20脚ぐらいしかないのに「製作の実験としてよい機会でしょう」などといって 島屋工作所  に頼み込み、型代などチャラでつくってもらったことがある。そのころは 島屋工作所でも初めての経験で、よくなにもわからない若造の提案に乗ってくれたことは、彼らにとっても研究のいい機会と捉えたのだろう。施主にとっては迷惑な話である。オーダーメイドで採用する製法でもないのにやろうとしたことなど、いまになってみれば自らの無謀さにも呆れ果てる。
できたものといえば稚拙な、というより未完成そのもので、せっかくのチャンスを生かしきれなかったと思うが、こんなことを新入社員がやれたのも、考えてみればよき時代であった、とつくづく思う。
20年後、AXチェアーの生みの親であるフリッツ・ハンセン社を訪れ、入口から廊下にプレゼンテーションされたAXチェアーの技術とそのモデルを目にしたとき、細部に至るまでの完成度に目をみはり、遠い日の無謀な挑戦の原点に触れ、懐かしさとともに恥じることしきりであった。(*2)
*1:清家清は住宅や公共建築の設計で活躍した戦後を代表する建築家の一人で東工大や東京芸大の教授でもあった。展覧会は2005年7月23日〜9月25日まで松下電工汐留ミュージアムで開催された。
*2: 島屋工作所は60〜80年代、木工技術でわが国トップクラスの工場。