No.70 マルコ・ザヌーソとリチャード・サパーの子供用椅子(K-1340)

今月のマルコ・ザヌーソとリチャード・サパーは、それぞれで回を分けて書かなければならないデザイナーですが、100脚という制約もあり、共同のデザイン、それも革新的なポリエチレンによる射出成型の椅子を取り上げます。

 マルコ・ザヌーソはイタリアのミラノで生まれ、ミラノ工科大学で建築を学び、建築から家具や工業製品まで幅広く活躍。デザイン活動以外でも雑誌「ドムス」や「カサベラ」の編集にも携わる一方、ミラノトリエンナーレにも関わり、イタリアデザイン協会の会長を務めるなど多彩な活動を通してイタリアの近代デザインを牽引した。さらに、ミラノ工科大学の教授も務め、黄金コンパス賞を何度も受賞したイタリア合理主義の旗手。
 椅子のデザインではサパーとの共作を含め「マッジョリーナ、Maggiolina」(1949)やパーツを連結して自由な長さのソファを構成する「ロンブリコ、Lombrico」(1957)、「ランブダチェア、Lambda」(1960)、木の美しいフレームの肘掛け椅子「ウッドライン、Woodline」(1964)などがある。また、ブリオンヴェガ社のラジオはイタリアの60年代の名品として最近復刻されたが、この種のモノとしては稀有なケースである。
 リチャード・サパーはドイツのミュンヘンで生まれ、ミュンヘン大学ではデザインのほか哲学、経済学など幅広く学び、メルセデスベンツでデザイナーとしてスタートするが、1958年イタリアへ渡りジオ・ポンティの事務所に勤めた後、マルコ・ザヌーソと共に数多くの優れた仕事を残した。1972年にはドイツへもどり、調理器具や照明器具、テレビやラジオなどの家電、家具など幅広くデザイン活動により世界的スターとなる。フロス社のデスクスタンド「ティッチオ、Tizio」(1972)やアレッシー社のケトルやエスプレッソコーヒーメーカーなどの調理用具は機能と美を兼ね備えた名品。椅子ではノール社やコムフォート社の事務用回転椅子がある。
 ここでとりあげた子供用椅子は、子供用とはいえ、ポリエチレンの射出成型で一体成型された世界最初のもの。素材がポリエチレンであるため柔らかくて軽い。背の後部のくぼみに上部の脚がはまりスタッキングが可能となる上、色彩も数色あり、遊具にもなる椅子。素材と製法で家具の世界に革命をもたらし、椅子のデザイン史上に加えなければならないエポック的なものであるが、製造したカルテル社(*1)の英断でもある。1964年の黄金コンパス賞を受賞。
デザイン:マルコ・ザヌーソ(Marco Zanuso 1916〜2001)
リチャード・サパー(Richard Sapper 1932 〜)
製  造:カルテル(Kartell)

科学技術の生かしどころ、バケツと椅子のちがい
 今どきバケツといえばブルーのポリバケツ以外に考えられないが、一昔前のバケツはブリキでつくられていたので、永く使うと錆びて穴があき水漏れがした。
 ブルーのポリバケツが日本で誕生したのは1957年というから、もう半世紀も前のこと。一般的に使われるようになったのは60年代に入ってからで、当初は錆びない、傷まないブルーのバケツに便利さを感じながらもどこか違和感を覚えていたのは、風景になじまない異物と映ったからである。
 学生時代、卒業設計の真冬のころ。実習室のまん中の石炭ストーブの横にあった石炭入れはブリキ製のバケツであった。1961年のことだからポリバケツがまだそれほど普及していなかったこともあったが、あの場にブルーのポリバケツは絶対ない。熱の問題などではなく、石炭ストーブの横には風景として似つかわしくないからだが、今ではあらゆる場が不自然どころか、むしろブルーのポリバケツが似合う環境になってしまった。
 ところが、最近改めて違和感を覚える情景に出くわした。わが家の墓地は大阪市の南東部・瓜破にあり市営であるが、昨年ご他聞にもれずその管理を民間会社に委託された。民間になるとこうも違うのかと思えるほど整備されたし、サービスもこれまでとは格段の差。過剰ともいえるサービスの一つに、墓地のワンブロックごとにバケツ棚が設けられ、ポリバケツの集合住宅が出現した。家からバケツを持参しなくてもよくなったのはありがたいが、墓地のあちこちに20個ぐらいのブルーのポリバケツが棚に積まれた光景を見ると、どこか変だ。こんな風景に違和感を覚えるのも「生きた化石」と揶揄される年代になったからだろうが、墓地にブルーのポリバケツの積まれた光景はなじまない。
 街角に蓋付きのブルーのゴミ容器が登場したのは1964年の東京オリンピックのときで、「街を美しくしよう」という発想からであった。東京オリンピックといえば、奇妙な偶然が重なり、皇居前広場で開催された集火式の聖火台をデザインする幸運に恵まれ、その関係で開会式を観ることができたのだが、昨今の開会式とは異なり入場行進が中心のシンプルなもの。すぐ目の前で先ごろ亡くなった市川昆が記録映画のフィルムをまわしていた。
 ザヌーソとサパーの子供用椅子を知ったのも丁度そのころで、驚くと同時に文化の違いを思い知った。学生時代の化学の授業で、50年代末からのイタリアは科学技術、とりわけ化学工業がすごいと聞いていて、ポリプロピレンで有名なモンテカティーニ社(*2)の名前は今も記憶に残っている。60年代、ポリバケツが示すように、ポリエチレンの製造技術や製品はわが国にもあったが、金型にかかる費用と販売可能な数量などを考えると、悲しいかな「ポリエチレンで椅子をつくる」という発想は私だけでなく、日本にはなかった。素材や製造技術は同じようにあっても、その「生かしどころ」となるとこうも異なるのだ。「椅子に対する文化のちがい」である。
 マルコ・ザヌーソとリチャード・サパー。20世紀のデザイン史に必ず登場するデザイナーである。年代差やイタリアとドイツという違いがあったにしても、これほどの個性的なデザイナーがどうして共同してこれだけ多くの素晴らしい仕事ができたのか、不思議な気がして仕方がない。
 サパーのデスクスタンド「ティチオ」は残念ながらコードを足に引っかけ壊してしまったが、今も部屋の片隅に一度も使わずに置いてあるエスプレッソコーヒーメーカーは、サパーのファンとしての証である。
*1:カルテル社(Kartell)は1949年にジュリオ・カステリ(元科学者)が創業した企業で化学製品の会社としてスタートしたが、1963年にこの子供用椅子をきっかけに「アンティークになりうるプラスティック家具」をコンセプトとしてデザイン主導の家具会社へと方向転換した。
*2:1963年のノーベル化学賞を受賞したイタリアのジュリオ・ナッタ(Giulio Natta)が発明したポリプロピレンをモンテカティーニ社が1957年から生産したことで有名。