No.補足 世紀末の椅子を代表して ロン・アラッドの「トム・バック」1997とフィリップ・スタルクの「LORD−YO」1995 の他、屋内外で使われたちょっと気になった椅子 

先月で最終回の筈でしたが、20世紀末の椅子で脱落していたものを追記し、永くお世話になった小欄の最後とします。
永い間ご購読いただきありがとうございました。

 20世紀末から現在にかけて、多彩な作品で話題を浚い続けているデザイナーとしてロン・アラッドとフィリップ・スタルクがいる。
 ロン・アラッドは1951年にイスラエルのテリアビブで生まれ、73年に渡英し、AAスクールで学んだ後ロンドンでスタジオを開設し、建築からプロダクトに至る幅広い領域で精力的に活動を続けるクリエーターである。手がけた椅子の数も多く、特に近年のものは「アート」ともいえるようなユニークな造形のものが多い。その中で1997年にイタリアの雑誌『ドムス』の依頼によりアルミで造られ、翌年ヴィトラ社でポリプロピレンの射出成型によって量産化が図られた「トム・バック、Tom Vac」は廉価で広く流通した代表作。他に量産性を考慮された椅子として背と座を一枚のアクリル板を曲げて構成した「FPE」(1998)がある。
 フィリップ・スタルクは1949年にフランス・パリで生まれ、カモンド美術学校(Ecole Camondo)で学び、卒業後はピエール・カルダンの家具デザインを担当。独立後は建築からインテリア、プロダクトデザインまで常に話題を浚う内容で活躍するスターデザイナーである。スタルクが日本で話題を呼んだ建築が東京・浅草のアサヒビール・スーパードライホール(1989)。
 椅子のデザインでもその数は知れず、80年代末以後、木、スティール、プラスチックなどの素材を駆使した感性豊かな椅子が多い。造形の傾向もデザインするたびに異なる多才ぶりを発揮していて、何を代表作としてとりあげるべきか難しい。その一部として、ポリプロピレンの一体成型によるスタッキング可能な肘掛椅子「LOR−YO」、アルミ鋳物で彫刻作品のような造形のW.W.スツール(1992)、今世紀になってからは古典(ルイ様式)の椅子を透明のポリカーボネート樹脂によって再現した「ゴーストチェア」を挙げておく。
 その他、世紀末に「カフェ」に代表される屋外での商業施設が増えるに連れ、屋内外で使える椅子が多く誕生した。その中で、アルミという素材を駆使したホルヘ・ペンシ①(Jorge Pensi)のスタッキング可能な肘掛椅子「IRTA」はアルミのダイキャストを巧みに活かしたモダンデザインの傑作。また、デンマーク・フリッツ・ハンセン社のその名も「Cafe」(ペリカンデザイン)も注目された。
 話がアルミによる屋外用椅子となると、その嚆矢となったハンス・コレー②がデザインした「ランディ、Landi」にも触れておきたい。
 「ランディ」はアルミをプレスすることで背と座を一体化したシェル構造で軽量化に成功した屋内外用の椅子であるが、イームズ以前の1938年という早い時期にこうした発想を実現させたことは画期的で、20世紀の椅子の歴史にとどめるべきものである。
デザイン:ロン・アラッド(Ron Arad 1951〜)
フィリップ・スタルク(Pilippe Starck 1949〜)
製造: 「トム・バック」はヴィトラ(Vitra)
「LORD−YO」はドリアデ(driade)

デザインの存在意義と評価
 つい先頃テレビを観ていて、場所はパリであったか、金融政策を巡る国際会議であったか、いずれも定かでないが、まっ赤な「トム・バック」に座って各国要人が話し合うのを見ると、難題を議論しているにもかかわらず、その光景が実におしゃれな場に映るのは椅子のせいで、改めてこの椅子を見直すと同時に椅子の持つ力を思い知った。
 国際的な会合の場にこんなプラスチックの、しかもまっ赤な椅子を使うなどという発想は日本の財務省あたりでは思いもつかないことだろう。
 若いころは、海外からの雑誌の到着を待ってページを開くと衝撃を受けることが多く、60年代は毎月が刺激の連続であった。
 椅子のデザインに関して言えば、90年代以後そんな刺激も少なくなったのは、当時とはデザイン環境の差もあるが、私自身の加齢による感性の退化によるのだろう。
 とは言え、津波のようなポストモダニズムの跡には瓦礫とまでは言わないが、モダニズムの類型とそれにちょっと手を加えたようなものや単に造形をもてあそんだものが増えたことも事実である。よほどの新素材や製法が現れないかぎり、これまでの焼き直しか、アート化という造形の奇抜化に向かわざるをえないのは、椅子という道具が成熟期を迎えたからでもある。
 それでも、先人の仕事を知らない若い人たちは、かつてあったものを少しだけファショナブルに焼きなおしたものなどに惹かれ、「だれだれの新作だ」とありがたがったり、質の悪いジェネリック品を本物と見まちがって買ったり、批判したりするのを見ると、これも時代なのだろうか。
 その意味でも、20世紀終盤になって現れた注目すべきものを改めて挙げておくと、先ずは、科学技術の実験的な椅子の代表としてメダの「ライト・ライト」。次に、メッシュ素材と機構でその後の事務用椅子の世界に大きな影響を残した「アーロンチェア」。そして、焼き直しとはいえ、モダニズムから一歩抜け出しビジネス的に大成功を収めた「キャンパスチェア」。そして最後に、椅子の世界にアートのような造形感覚を持ち込んだ代表としてロン・アラッドとデザインの多様さでフィリップ・スタルクの仕事を挙げておかなければならないだろう。二人に共通しているのは建築からプロダクトデザインまでの活動範囲の広さと多作ぶりには驚嘆するばかり。これは彼らの才能によることに異論はないが、デザインを取り巻く経済活動の肥大化とグローバリズム。コンピューターによるデザイン作業の難題解決力とスピード化。製造レベルにおける科学技術の進展など、ミッドセンチュリーの頃とは「デザイン環境の差」は計り知れないものがある。今や一脚の椅子に「手」を使い時間をかけ苦労した時代とはまるで異なる状況にある。
 こうした状況を活かして、方向は少し違うが疾走する二人を見ると、20世紀も末によく耳にした複雑系経済学などでの「収穫逓増」なる法則と重なって見えて仕方がない。スターはビジネスに組み込まれ、益々スターとなり仕事が増えていくのだ。
 「デザイン」の存在意義と評価がミッドセンチュリーのころとは全く変ってしまった結果である。
 成熟した椅子のデザインは、今後もビジネスと歩調を合わせファション化の道を歩み続けるのだろうか・・・・。
①:ホルヘ・ペンシ(Jorge Pensi 1946〜)はアルゼンチンで生まれ、スペインへ渡り、1985年に自らの事務所を開設し、世界中の企業との間でデザイン活動を続けている。
②:ハンス・コレー(Hans Coray 1906〜91)はスイスのチューリッヒで生まれ、チューリッヒ大学で学び、1930年にデザイナーとして独立。シンプルで機能的なデザインで知られる。