No.101 アルベルト・メダの「ライト・ライト」1987

小欄も、先月で表題どおり100脚になりました。スタートした9年近く前は、正直100脚も書けるだろうかと考え、同じような椅子、たとえば「スワンチェア」と「エッグチェア」を二脚として数えてきました。そこでもう数脚を追加したいと思いますが、その第一回は世紀末になって現れた革新的な椅子・アルベルト・メダの「ライト・ライト」です。

 アルベルト・メダは1945年にイタリアのコモ近郊のトレメッズィーナで生まれ、ミラノ工科大学で機械工学を学び1969年に卒業。1973年からはカルテル社の技術マネージャーとしてプラスチックによる製品開発を担当するが、独立した1979年以後はインダストリアルデザイナーとしてアルファ・ロメオなど海外を含む多くの企業とデザイン活動を展開した。世界各地での展覧会や講演活動に加え、黄金コンパス賞をはじめとして数多くの受賞歴がある。
 家具、特に椅子のデザインでは「ライト・ライト」の他にも秀作が多い。「ライト・ライト」に続いて開発された「ソフト・ライト」(1989)1は「ライト・ライト」と同様の複合素材を使い、座にダイメトロールを採用してクッション性を高め計画生産された。アルミのダイキャストのフレームによる一連の椅子、「ハイフレーム」(1992)、「ロングフレーム」(1993)「アームフレーム」(1994)、はメダらしいシャープな造形の美しい椅子。他にメダ自身が最も気に入っているというヴィトラ社の事務用椅子「メダ・チェア」(1996)がある。これは「アーロンチェア」からの流れであるメッシュ素材を座と背に張ったものだが、シンプルに削ぎ落とした造形はメダの持ち味が出た椅子。また、近年日本のマルニ木工から木製の椅子もあるが、木という素材は彼の特質を発揮するまでには至っていない。椅子以外ではヴィトラ社から脚部がアルミダイキャストで高さが変わるテーブルなどもある。家具以外では、照明器具としてよく知られた「チタニア、Titania」(1984)がある。 
 「ライト・ライト」はメダのデビュー作で、複合材料の科学技術上の実験としてデザイン・製作されたもので、「ノーメックス」2によるハニカムの両面をエポキシ樹脂で強化されたカーボン・ファイバーでカバーされた構造で余分な部分を極限まで削ぎ落としたものだが、メダは「これは軽量化というあまり意味がないものを目指したものでなく、素材の持つ特性を活かし、余分なものを削り合理的な形態の試みである」と言う。発表当初は手づくりのため高額(発売当時日本円で約18万円)で、残念ながら市場で販売されたのは50脚だけで製造中止となったが、これまでの椅子の素材・製法とは全く異なるもので、世紀末に現れた革新的な椅子である。
デザイン:アルベルト・メダ〈Alberto Meda 1945 〜〉
製造: ALIAS社近年日本のマルニ木工から木製の椅子もあるが、木という素材は彼の特質を発揮するまでには至っていない。椅子以外ではヴィトラ社から脚部がアルミダイキャストで高さが変わるテーブルなどもある。家具以外では、照明器具としてよく知られた「チタニア、Titania」(1984)がある。 
 「ライト・ライト」はメダのデビュー作で、複合材料の科学技術上の実験としてデザイン・製作されたもので、「ノーメックス」2によるハニカムの両面をエポキシ樹脂で強化されたカーボン・ファイバーでカバーされた構造で余分な部分を極限まで削ぎ落としたものだが、メダは「これは軽量化というあまり意味がないものを目指したものでなく、素材の持つ特性を活かし、余分なものを削り合理的な形態の試みである」と言う。発表当初は手づくりのため高額(発売当時日本円で約18万円)で、残念ながら市場で販売されたのは50脚だけで製造中止となったが、これまでの椅子の素材・製法とは全く異なるもので、世紀末に現れた革新的な椅子である。

20世紀の最後に誕生した革新的な椅子
 忘れもしない。「ライト・ライト」を知って声を失ったときのことを。
 ポンティの「スーパーレジェーラ」に対抗しようとして軽量の椅子を模索していたとき、雑誌で「ライト・ライト」に出会い、「こんなことができるのか!」と仰天・驚愕。ボディと細い脚部が一体的に成形されていて、驚くなかれ、重さが1キログラム強であるという。どう考えてみても私の思考の埒外というか、思いもつかない科学技術による解決を見せつけられた一瞬であった。
 重量だけではない。造形の美しさとその素材やつくり方に脱帽し、イタリア在住の友人に「情報と入手可能なら一脚送ってほしい」と手紙をしたのだが、残念ながら「現在製造が中止になっている」という返事であった。そのとき値段がべらぼうに高かったのを覚えているが、発表されてそれほど時間も経たないというのに製造中止とは、どうしてなのだろうか。
 以来、その理由をあれこれ考え、あの細い脚では構造的に耐えないのか、あまりの軽さのために少しの風で倒れるからだろう、などと勝手な推量を重ねていたが、最近になってメダに訊いたところ、開発当時のスケッチやメモなどともに「手づくりのために製造コストがとんでもなく高くつき、50脚で製造中止にした」という便りを受け取った。量産化には設備投資に巨額の費用を要したからであるが、それにしても当初の価格は18万円ぐらいであったというから小椅子というには法外に高く、まさに工芸品である。
 私は椅子をコレクションしていない。イームズのラウンジチェアなど数種を単に使用している程度だが、「ライト・ライト」はなんとしても欲しい一脚であった。
 「ライト・ライト」以来、メダのファンになってしまったのだが、彼のデザインを見ていると「彼は本当にイタリア人なのか」と思ってしまう。80年代ポストモダン狂乱の本拠地にあって「一人わが道を行く」というかっこよさにも痺れるが、造形面だけについても、そんじょそこらのポストモダニストのこけおどしの造形などとは比較にならず、研ぎ澄まされた「カミソリ」のような鋭さと製造段階での解決策を可能にできるのも機械工学を学んだからだろう。ただ、ちょっと気に入らないのは最近の木製の椅子で、これらははっきりいって「彼の駄作」であると思うのは、これもファンならではのことで、残念だ。
 メダに「一番のお気に入りの椅子は?」と尋ねたところ、ちょっと意外な気がしたが、即座に「メダ・チェアだ」という答えが返ってきた。なるほど、これは彼らしいシャープで美しい造形ではあるが、トータルな意味でそれほど革新的でないと思うのは、これもファンならではのこと。やっぱり「アーロンチェア」3からの流れであるメッシュ素材を張るのか、と。だが、ヴィトラ社の社長フェールバムとの呼吸が合い、満足のいく結果になり、販売量も彼のデザインした中では圧倒的に多いためであろう。家具産業では経営者のデザイン理念とともにデザイナーとの信頼関係がよいデザインを生む大きな要因でもある。
 「ライト・ライト」には心底脱帽するのだが、「ハイフレーム」などを見ていると、彼もイームズには参った一人であったのではなかったか。40年も前にイームズがデザインした「アルミナムグループ」4を参考にしたことは明らかで、改めてイームズの凄さを感じずにはおれない。
 近代以後の革新的な椅子は新たな素材や製造技術によって誕生してきた。19世紀のトーネットによる曲木の椅子、20世紀の中頃にイームズによるプラスチック(FRP)の椅子がその代表格だが、20世紀の最後になって現れた「ライト・ライト」は、残念ながら50脚で姿を消したが、新たな科学技術が生んだ椅子として、その軽さとともに衝撃的な一脚であった。
① :「ソフト・ライト」は日本でも販売され当時〈1989〉の価格は145,000円であった。
② :「ノーメックス」(NOMEX)はアラミドポリマーから作られた高機能繊維で米国・デュポン社の登録商標。超耐熱性・難燃性のあることから消防士の作業服などに利用されている。
③:「アーロンチェア」は次号でとり上げる予定です。
④:「家具タイムズ」633号参照。