No.75 デ・パス、ドゥルビーノ、ロマッツィの空気の椅子「ブロウ」1967

60年代の後半からイタリアの家具に新しい胎動が始まるが、そのトップバッターとして、今月は空気を詰め込んだ椅子「ブロウ」です。

 ジョナサン・デ・パス、ドナート・ドゥルビーノ、パオロ・ロマッツィら三人はミラノ工科大学で建築を学び、1961年ミラノに事務所を開設。60年代イタリア特有の現象である「建築家がインダストリアルデザイナーでもあった」ように、彼らも「スプーンから都市まで」(*1)を実践し、建築から家具、工業製品と幅広くデザイン活動を展開するが、そのテーマを「Abitare Fresco(はつらつとして住む)」(*2)として機能性に考慮されたものも多い。
 初期の建築の仕事にはミラノの老人ホーム(1965)などもあるが、60年代末からテントやビニールの膜構造に注目し、ユーロドムス展(1968)や大阪万博コンペ案(1969)など膜構造の仕事が多く見られる「ブロウ、Blou 」は、これらと同一線上の仕事として、浮き袋式救命用のゴムボートをヒントに透明のポリ塩化ビニールを高周波溶着し、空気を詰めることで歴史に残る椅子となった。この椅子を契機に、彼らはチーム力を生かして家具や照明器具など幅広くデザイン活動を展開したが、椅子のデザインも多い。「ブロウ」と共にアメリカのかつての名選手ジョー・ディマジオに因んで「ジョー」と名づけられた野球のグローブの椅子があるため誤解されがちだが、彼らは家具デザインにおいて「機能性と経済性を追求する」というように、実用性のある素直な造形の椅子も多く、小椅子「プルート、Pluto」(1972)、「ミー・ツウ、Mee To」(1973)やソファ「オンダ、Onda」(1984)のほか事務用椅子(1976)などがある。他に、収納家具やシステム家具もあるが、帽子掛「シャンガイ、Sciangai」(1974) はザノッタ社の看板商品になった。照明器具では「ランピアッタ、Lampiatta」(1971)などがある。
 尚、ザノッタ社は「ブロウ」の商品化に続いて「サッコ」を商品化し、この二脚によってイタリアの革新的な家具会社としての礎を築いた。また、ジョナサン・デ・パスは1991年に急逝したが、その翌年には東京で追悼展も開催された。
 「ブロウ」は空気を詰めた椅子(Inflatable chair)として椅子の概念を新たにした。
デザイン:ジョナサン・デ・パス(Gionatan De Pas 1932 〜1991)
ドナート・ドゥルビーノ
(Donato D’Urbino 1935〜)
パオロ・ロマッツィ(Paolo Lomaggi)
製  造:ザノッタ(Zanotta)
*1:エルネスト・ロジャース(Ernest Nathan Rogers ,1909 〜1969)が提唱した言葉として知られる。ロジャースは建築家で「BBPR」というグループを1932年に結成し、大戦後は反ファシズムを掲げ活躍。雑誌「ドムス」の編集長やミラノ工科大学の教授でもあった。デ・パスらはロジャースを敬愛していた。
*2:『JAPAN INTERIOR DESIGN』誌 1977年2月号、は彼らの特集号で20〜56頁まで詳しく記されている。

椅子に詰め込まれた空気と周囲の空気
 「こんな浮き袋があったら海の上ですわれるね」
 そう言った子どもが先年家庭を持ったというから、かれこれ30年以上にもなるだろうか。うだるような暑さの中、友人が子どもをつれて遊びに来た。おとな達の話の横で、たまたま置いてあった雑誌を見ていたその子が急に言い出したので、なんのことかとびっくり。でも、言われてみればもっともで、「ブロウ」はでっかい座れる浮き袋。それもそのはず、デ・パスらの共通した趣味がヨットで、ゴムボートからヒントを得てデザインしたのだから何も奇をてらったわけでもなく、彼らにとってごく自然な発想であった。が、透明な塩化ビニールを空気で膨らませ室内用の「椅子」として提示されればコロンブスの卵。空気を詰め物にした椅子(Inflatable chair)として歴史に残ることになった。
 空気で思い出すのが80年代初頭。「オフィス革命」とでもいえる変革期があった。(* 3)コンピューターという怪物がオフィスに入り込み、仕事の内容や仕方を変え、環境まで劇的に変わらざるをえない状況が到来した。なかでも事務用椅子の変わり方が顕著で、それまでの椅子の概念を変えた「マシーン」のようなものが次から次へと登場した。それらは座る人間の要求に応じて背や座をボタンやレバーで動かせて変化させるというもので、ドイツを中心に開発され麻疹のように大流行し、もちろん少しおくれてわが国にも。
 ある時、講演でこれらの状況を話した後に、「将来の事務用椅子はどういうことになるのか?」という質問を受け、即座に「椅子の最終的なかたちは空気でしょう」と言ってしまった記憶がある。ウケを意識した突拍子もない答えであったと思うが、その意味は人間がこうありたいという姿勢をそのまま何かで、例えば空気が自然に支持してくれればこれ以上のことはない、と夢のようなことを言ってしまったのだ。あまりの過激なメカニズムの開発競争を皮肉ったつもりであったのだが、今になって冗談が過ぎたと反省している。
 だがその一方で、「インテリアデザインは空気をデザインすることだ」と永く言い続けてきた。「なんのことだ」と言われそうだから、説明するために室内の透視図(パース)の話をしよう。
 コンピューターのなかった一昔前、インテリアデザインのプレゼンテーションには彩色された透視図がつきもので、透明水彩絵具を使って手でこつこつ描いていた。施主を納得させるにはうまい透視図を見せるのがなにより一番で、若いころはなんとかうまく描けないものかと苦闘していた。アメリカから帰国後、恩師・ダブリン教授の「ダブリンの透視図法」を翻訳・出版したのも透視図をうまく書きたいという思いの大きさでもあった。建築やモノの外観透視図に比して、上手な内部空間の透視図にめったにお目にかかることがなかったのは描くのが難しいからで、「かたち」、すなわちモノの外形を描くのではなく、モノとモノ、モノと空間の「関係」をデザインしているのだから、その関係、すなわち空気を描かねばならないから難しいのは当たり前。どのように空気を描くのか、一言で言うのは難しいが、そのヒントとして「光と影」としておこう。
 椅子をデザインしていながら、「椅子の周りの空気をデザインした」と言ったのは、ダイヤモンドチェアをデザインしたベルトイア(*4)であるが、デ・パスらは空気を詰め込んで椅子という道具にし、椅子の歴史に一頁を刻むことになった。
 椅子は、その周りに固有の空気を形成し、空間の雰囲気や質までも左右する大きな要素である。インテリアデザインは空気をデザインするのだから、椅子が重要な役割を担っていることは言うまでもない。
*3:拙論「オフィス革命」、大阪デザインセンター誌『情報』No.47、1981、2〜7頁
*4:『家具タイムズ』627号参照。