No.76 ガッティ、パーオリーニ、テオドロの「サッコ」 1968

先月に続き今月も、椅子の概念を劇的に変え、ザノッタ社の看板商品にもなった「豆ぶくろ」の椅子「サッコ」です。しかも、1968年というまさに時代の節目に登場した椅子です。

 ピエーロ・ガッティ、チェザレ・パーオリーニ、フランコ・テオドロは学生時代に建築やアートを学び、1965年にイタリア・トリノで創作活動をはじめる。
 1960年代末、世界中で社会的変革がさまざまな分野で起こり、椅子のデザインにも新たな胎動が芽生えるが、彼らがデザインした「サッコ、Sacco」はその代表的な一脚。
 その胎動には前衛的なものが多かったが、その一方で椅子の座り方など人間工学的な考え方も問われ始めた。彼らは1967年(サッコが世に出る前年)に発表された透明のポリ塩化ビニールの中に空気を詰めた椅子「ブロウ」に触発されるが、その座り心地の悪さもヒントとなり、人間が望む姿勢にフレキシブルに対応する椅子を構想。その詰め物にポリウレタンの発泡材や木の葉などいろいろ模索するが、重量やコストなどで何度も暗礁に乗り上げた結果、当時建築材料に使われていたポリスチレンのペレットを透明の袋に入れることで持ち運びに軽く、固定した形態を持たずユーザーの望む姿勢に対応するという当初の目的を達成しプロトタイプが完成した。だが、最終的には強度の点から不透明な布や皮革で縫い合わせたものになり、ザノッタ社(*1)の創業者アウレリオ・ザノッタが自社の製品とすることで「サッコ」が誕生した。前年に発表した「ブロウ」とこの「サッコ」によりザノッタ社のアイデンティティが明確となった。
  「サッコ」は、別名を「Bean Bag Chair」(豆ぶくろの椅子)や「1001の椅子」(昼の間は1000の姿勢に対応し、夜は一つの姿勢)とも呼ばれ、多様な姿勢に対応する「フレキシビリティ」をコンセプトに誕生したが、実際のすわり心地はそれほど良くない。しかし、折からのヒッピー文化ともあいまって若者から支持され、2008年には誕生40周年を迎えイベントも企画され再び脚光を浴びた。
 椅子の概念を変えたとして、1970年の黄金コンパス賞を受賞のほか、MoMAやVitraのコレクションにもなっている。
デザイン:ピエーロ・ガッティ(Piero Gatti 1940 〜)
チェザレ・パーオリーニ(Cesare Paolini 1937〜83)
フランコ・テオドロ
(Franco Teodoro 1939〜2005)
製  造:ザノッタ(Zanotta)
*1:ザノッタ社はイタリア・ミラノの北にあるリッソーネにアウレリオ・ザノッタがソファメーカーとして1954年に創業。1965年に「スローアウェー」(デザインはヴィリー・ランデルズ)というウレタンを布で包んだだけの椅子にはじまり、「ブロウ」と「サッコ」によって、企業のアイデンティティを確立。その後多くのデザイナーを起用して前衛的な家具を造り続け、今日もイタリアの家具デザインを牽引している。

ザノッタ社あっての「サッコ」、1968年誕生の「豆ぶくろ」
 地層がずれ落ちるように時代の変わり目を迎えるときがある。
 1968年といえば、世界中で地殻変動が起きた歴史の転換点。パリでは「五月革命」、チェコでは「プラハの春」、わが日本でも大学紛争など、1968年は世界レベルで「革命の年」といってよかった。資本主義と社会主義が同時に批判にさらされたのである。
 「68年運動」といわれる社会改革の波はイタリアのデザイン界にも押し寄せ、この年開催された「トリエンナーレ」の会場が一時封鎖された。
 椅子のデザインにも新たな胎動が起こるのも必然で、転換点といえる現象が数多く見られるが、(*2)その一つが椅子の「革命」といってよい「サッコ」である。
 当時ハーマンミラー社のモノづくりに傾倒していた私は、初めて「サッコ」に出会ったとき「よくこんなものを椅子として売り出す企業があったものだ、どこが椅子か」と問題にもしなかったが、私だけではなく、多くの人が「サッコ」の持つフレキシビリティとよく似たモノや体験をすでに持っていたことにもよるのだろう。
 今ではどこにでもある羽毛布団。昔はたいへん高価なモノでなかなか買えなかったらしい。ところが、子どものころ羽毛布団で寝ていたのだから今になって驚くが、長男誕生で喜んだ祖母が無理をして買ってくれたのだ、と亡母から聞いていた。戦後のモノのない疎開先での記憶にも、この羽毛布団のなんともいえない気持ちのよい感触が残っている。さらに、今はやりの「もったいない」精神で学生時代の下宿まで持っていったが、さすがに表の布はぼろぼろ。仕方なく別の袋に詰め込み壁にもたれるときのクッションに、また抱き枕として万能の役割を果たしていた。「サッコ」が発表される10年も前のことである。
 「豆ぶくろ」を椅子として売り出したのはザノッタ社。創業者アウレリオ・ザノッタの蛮勇ともいうべき決断には驚くばかりであるが、デザインした当のガッティが言うには「試作品が出来上がったころ、アメリカの雑誌社から『仕事の写真を送れ』という依頼があり、その中に「サッコ」の試作品の写真も一緒に送ったところ、それが雑誌に載り、それを見た百貨店のメーシー(Macyはニューヨークにある大きな百貨店)から『10000個あるか?』 という電話があった」と。(*3)アウレリオ以前に評価したアメリカ人がいたということは、間違いなく「サッコ」のようなモノが受け入れられる時代を迎えていたのだ。もしこの話が実現していたら「サッコ」はビジネスとして大成功を収めたであろうが、巨大なアメリカ市場の中で単にオモシロイ商品として扱われ市場に埋没し、デザイン史に残ることはなかったことだけは確かで、このデザインを切り札として売り出したザノッタ社あっての「サッコ」である。
 アウレリオが1991年急逝する前に語った印象的な言葉として、「ザノッタ社は人々にメッセージを伝えたい。その手段が家具であったわけで、絵画でも詩でも音楽でも食事でもなんでもいいのです。ただ感動すること、つまり五感を満たすセンセーションを与えていきたい」(*4)とあるが、この言葉も成功を収めた後の話で、前年に発表した「ブロウ」と「サッコ」は企業として新たなアイデンティティ確立のための大博打ではなかったか。
 ザノッタ社はアウレリオ亡き後も創業者の遺志を継ぎ、70年代以後から今日まで多くのデザイナーとのコラボレーションにより、イタリアの先進的なデザインの家具会社としてその名を世界に馳せている。「サッコ」が歴史にその名をとどめたのも、イタリアという風土の上にザノッタ社の企業理念とそれほど大きくない企業スケール、さらには世界に情報を発信する背後のデザインジャーナリズムあってのことである。
*2:60年代半ばからイタリアでは若い建築家が中心となって「Studio65」,「スーパースタジオ」や「アーキズーム」などのグループを結成しラディカルなデザイン活動をする。
*3:Raffaella Poletti , Electa,2004 P.49
*4:雑誌「AXIS」23号、1987 90〜94頁