No.78 アルネ・ヤコブセンの成形合板による一連の椅子 アントチェア 1968 と セブンチェア(シリーズセブン) 1968

先月のウッツオンでデンマークへもどってきたので、今月から少し残っていたデンマークの椅子を再開しますが、一番バッターはやはりヤコブセンの有名な成形合板の椅子です。

 アルネ・ヤコブセンは1902年デンマークのコペンハーゲンで生まれ、王立芸術アカデミーで建築を学ぶ。1929年、未来の家(The House of the Future)という円形住宅を発表して以来、建築を中心に活動する一方でインテリアや家具、照明器具、テキスタイル、雑貨など幅広いデザイン活動によってデンマークのミッドセンチュリーモダンを主導した。56年から65年の間、王立芸術アカデミーの教授も務めた。
 建築の主な仕事では、多くの住宅の他、オルフースの市庁舎(1937〜42)やロイヤルホテル (1956〜61)などがある。
 アントチェアは、1952年ノボ社(Novo)の社員食堂のためにデザインして200脚が造られたのを契機にフリッツ・ハンセン社で量産されることになった。最初は三本脚でスタッキングを可能にした椅子であったが、ヤコブセンの没後、四本脚のバージョンも造られている。当初は座と背が一体となる成形合板の技術が十分でなく、部分的にクラックが入るのを黒色の塗装でカバーしたところ、その形状が蟻(Ant)に似ているところからアントチェアとも呼ばれるようになったという。背の途中にあるくびれた部分は50年代のファッションにも通ずるユニークな形態。
 セブンチェアは、1955年ロドーヴル市庁舎の設計時にアントチェアのファミリータイプとしてデザインされ、その後は背の形状や肘の有無など多くのバリエーションがあり、これらは「シリーズ7」として今日まで500万脚以上も造られ、現在では多くの色で塗装されたものや布張りのバージョンもある。
 この他、形状の異なるバージョンとして、ミラノのトリエンナーレで受賞した「グランプリチェア」(1957)や「3130」、「3108」などその種類も多いが、全てアントチェアのファミリー(*2)である。
 これらは木を素材としながらも、それまでのデンマークのクラフトマンシップによる椅子づくりから脱し、三次元の合板とスティールパイプによって量産化を可能とし、世界でベストセラーとなった。座と背が一枚の成形合板でできた椅子の典型。
アントチェア:H770×W480×D480
セブンチェア:H780×W500×D520
デザイン:アルネ・ヤコブセン(Arne Jacobsen 1902〜1971)
製造:フリッツ・ハンセン社(Fritz Hansen)

半世紀にわたって造られているデファクトスタンダード
 日本のデザイン振興策であるGマーク制度が誕生したのは1957年。すでに半世紀以上にもなるが、今もその名称を「グッドデザイン・アオード」と変え続けられている。モノのデザインがこれほど成熟した現在にどれほどの意味があるのかまったくわからないが、その中に「ロングライフデザイン賞」というのがある。その基準として10年間使い続けられたモノを顕彰しようというもので、この制度自体がすでに使命を終えた「ロングライフ」なのだが。
 それに比し、半世紀以上の時を経て今日も世界中で使われているのがヤコブセンのセブンチェア。「ロングライフデザイン賞」の基準で言えば、なんと言えばよいのだろうか。この制度以前につくられ、生産された数も桁外れだから「バケモノ賞」とでもすべきかもしれない。
 これには、使用範囲の広い汎用性、さほど高くない価格、つくる企業が世界に市場を持ち、高い技術とデザインに対する姿勢、この三点に加え、素直で飽きの来ないミニマルな造形(デザイン)と製品としての完成度が重なりあったときにはじめて可能となるのだが、セブンチェアはこの条件をことごとく満たし、製造されはじめて半世紀以上になるが、世界中で使われている。わが家のセブンチェアも30年以上になるが、表面のチークに味が出てきて健在だ。
 成形合板という木の加工技術が生まれたときから、イームズだけでなくデザイナーなら誰もが模索した座と背が一体となる椅子。(*3)それは必然の方向でもあったのだが、課題は座と背の間の曲がった部分の強度。さらに、座や背に少しの三次元の曲面をつけたいという課題に技術がともなわず、40年代にはなかなか決定的な椅子が誕生しなかった。
 1952年になって、フリッツ・ハンセン社の技術とヤコブセンの造形が結びついた結果、成形合板による小椅子の典型が生まれたのだが、以来、どれほどコピーやリ・デザインが出てこようが、それらは生き残れず消え去っていった歴史からも明らかなように、ヤコブセンのアントチェアからからはじまる「シリーズ7」は一種のデファクトスタンダードなのである。(*4)
 イームズは成形合板をシェルの椅子にしようと挑戦したが、技術的な問題からFRPというプラスチックでそれを実現させた。イームズに影響を受けたヤコブセンが背と座の一体となる椅子を完成させたのは皮肉である。が、発想(思想)とテクノロジー(科学技術)が結びついたところに新たな椅子が生まれてきたという意味で、20世紀における椅子の典型でもある。
 学生時代からフリッツ・ハンセン社の名前をよく耳にしていたのはヤコブセンあってのことで、一度は訪れてみたいと考えていたところ、たまたま実現したのが1980年。コペンハーゲン郊外の工場へ着いた途端、「ここがフリッツ・ハンセンだ」と言われても信じられなかった。なんの看板もないし、煉瓦造の平屋の事務所。正直、これが世界のフリッツ・ハンセン社か、と。芝生の中タンポポの咲く前庭の片隅にあった小さな「入口」サイン。赤い矢印の下に「Fritz Hansen」の文字が見え、やっとのことで納得する。ポール・へニングセンのランプが下がるエントランスを抜けると、廊下に「AXチェアー」の解説パネル。さほど広くないショールームには当時のフリッツ・ハンセン社の看板商品がところ狭しと並んでいた。通された部屋の入口の壁には色とりどりのセブンチェアの合板が横向けに貼り付けられていて、出入りには少々邪魔になるがおもしろいプレゼンテーション。別棟の工場ではセブンチェアの合板がそこかしこに積まれ、販売量の多さを容易に想像させた。
 バリエーションが多いといってもトーネットとは比較にならないが、木を主材とし、曲木と成形合板という加工方法の差こそあれ、それらの加工技術を生かして製品化された点では共通だ。時を経て広く使われ、現在も造り続けられている椅子として、ヤコブセンのセブンチェアはトーネットの椅子と両横綱だろう。
お詫び:先月号のこの欄の8行目「コンポーネント」のアルファベットのつづりがまちがっておりました。まことに申し訳ありません。正しくは「COMPONENT」です。
*1: 『家具タイムズ』620号参照。
*2:デンマークのデザイン誌『mobilia』のNo.323(1984)で「As Time Goes by」として、アントチェア以後の異なるバージョンが並べられ表紙デザインとして紹介された。
*3:わが国では60年代当初、このタイプの椅子が数多く試みられたが、座と背の間の強度が解決されなかった。
*4;現在はセブンチェアがその代表格で、三次元に成型された技術は改良されながら今日に至っている。現在の製品は、9層の単板と2層の繊維からなる成形合板と直径14mmのスティールパイプで構成されている。塗装されたバージョンは色の数も多く、布張りなどもある。今やセブンチェアはいろいろなアレンジによってイベントや展示品などにも使われたりしている。
 その一例として、デンマークのインテリアファブリックで有名なクヴァドラ社(Kvadrat)を訪れたとき、セブンチェアに自社の繊維を張りプレゼンテーションされていた。