No.84 トーネット社(アウグスト・トーネット)の 6009番(ウイーンチェア)1872〜75

このところ、三回にわたって1925年ごろからの喧騒を書いてきましたが、今月はもう一人の巨匠ル・コルビュジェが愛用したトーネット社の「ウイーンチェア」とも呼ばれている19世紀の椅子です。

 ミヒャエル・トーネットが「曲木」という木の加工方法を考案し創設したトーネット社は、ミヒャエルの歿後も幾多の変遷を経ながら今日に至るが、1900年ごろには「帝国」というにふさわしい規模で世界中に市場を広げ、今日まで曲木による膨大な数量の椅子を造ってきた。1920年代後半からはブロイヤーらの鋼管の椅子も製作。現在ではこうした古典となった椅子から一部にプラスティックを使ったものまで質の高い椅子をつくり続ける近代デザイン史上最も重要な位置を占める企業である。
 通称「ウイーンチェア」とも呼ばれる椅子は、トーネット社の6009番(後のトーネット=ミンダスのB9番、現在の209番)で、ミヒャエルが亡くなった翌年の1872〜75年ごろにつくられたとされるが、その後も少しずつ改良を重ねつつ14番と並んで現在でも使われるトーネット社の名品である。
 この椅子を多用し有名にしたのは建築家のル・コルビュジェで、彼は1925年パリで開催された「現代装飾・産業美術国際博覧会」のエスプリ・ヌーヴォー館や1927年のヴァイセンホーフ・ジードルンクで自ら設計した住宅にこの椅子を採用した。ル・コルビュジェが好んで使ったので「コルビュジェ・チェア」とまでいわれるが、彼はその理由について「ヨーロッパやアメリカ大陸で山のように使われているこの椅子には、気品が備わっている」という。①
 1927年にデンマークのポール・へニングセンがこの椅子を評して「もし、この半分の掛け心地でしかも四分の一ほどの美しさの椅子を、その値段の5倍以内でつくりうる建築家がいたとすれば、それだけで彼は一流の建築家である」2と絶賛。さらにウイーンチェアをリ・デザインしたという記述も散見するが、どのようにリ・デザインしたのか。現在市場で流通するトーネット社の209番3は同社の中で改良を重ねた発展形としてとらえるべきで、現在同社のカタログにもデザインはアウグスト・トーネットとある。
 19世紀に誕生した曲木による肘掛椅子の名品。
デザイン:アウグスト・トーネット(August Thonet 1829〜1910)‒ミヒャエル・トーネットの三男
製造: オリジナルはトーネット社(Thonet)で、その後は社名が変わるなど幾多の変遷もあるが、現在はまたトーネット社で製造・販売されている。

曲木から鋼管へ‒ル・コルビュジェの矜持
 人は衣装や化粧によりその印象を劇的に変えるが、椅子も同じで、ル・コルビュジェが好んで用いたウイーンチェアが見事に変身し、別人になっていた。
 1970年代の半ばであっただろうか。IIT時代の恩師であるジェイ・ダブリン教授の著書4の翻訳・出版ができたのでシカゴまで持参したときのこと。「食事をしよう」とミシガン湖に近いレストランでご馳走になったのだが、さすがにジェイで、そのインテリアがなんともモダンでかっこよかった。その一つに、座った「ウイーンチェア」がテーブルクロスやナプキンと明度、彩度の少しの違いで見事にコーディネートされ、パープルグレイとでもいえる大人の色に彩色されていた。5一世紀も昔の椅子がこれほどモダンな空間に映えるのは、化粧されたとはいえ、やはり土台がいいからで、ル・コルビュジェが愛用したのも改めて頷けた。
 ル・コルビュジェが20世紀の名品となった鋼管による椅子をデザイン・発表したのは1929年のサロン・ドートンヌ。彼のデザインした椅子は全てこのときに集中し、これ以後で公になったものはない。これだけで十分と考えたのか、椅子への興味が失せたのか。どこか奇異である。1927年までは「ウイーンチェア」を自らの空間に最適と考え愛用してきたル・コルビュジェがどうして翌年になって突如、狂ったように鋼管を使った椅子を一気にデザインしたのか。ペリアンが入所してきたことも大きかったのだが、6一つの契機が彼を「鋼管による家具」へと爆走させたのだ。
 その契機とはミースとの出会いであり、ヴァイセンホーフ・ジードルンク7である。
 ミースとル・コルビュジェ。20世紀を代表する二人の巨匠が仕事を通して出会ったのは1927年のヴァイセンホーフ・ジードルンクで、全体計画をプロデュースしていたミースが設計者の一人にル・コルビュジェを指名。フランスからやってきた彼を会場で案内する写真も残っているが、お互いに相手の力を認めながらも緊張した出会いであったようだ。8
 ここでル・コルビュジェが採用した椅子は愛用のトーネットの「ウイーンチェア」。
 ところが、彼が会場で目にしたものは、グロピウスの住宅ではブロイヤーの鋼管の椅子であり、ミースやスタムの室内では鋼管によるキャンティレバーの椅子。驚くと同時に「鋼管か!」と思わず小声で唸ったのではなかろうか。少なからずショックを受けたに違いない。会場では曲木と鋼管のコントラストが鮮やかに時代の節目を描き出していた。9
 その前年、ミースがスタムのスケッチを見てシュトゥットガルトから帰るなり、所員のリューゲンベルグに「MRチェア」の原寸図を描かせたように、彼はパリへ戻るなり、若きペリアンに構想を指示し製作させた椅子は、意地でもキャンティレバータイプではなかった。「住宅は住むための機械である」という持論から椅子の一部を動かせたり、本体の角度を脚部の上で変化させるという「新たな機能」を鋼管という素材を使って実現させたのである。
 もう一つ他愛もない推測だが、ひょっとすると、この時ペリアンはキャンティレバーの椅子をスケッチし、提案していたかもしれない。もしそうだとしても、ル・コルビュジェは即座に首を横に振ったであろうが・・・。
 というのも、彼女が1941年の来日時に、ル・コルビュジェとの共同デザインとされる「LC4」を竹でリ・デザインすると同時に、竹を使ったキャンティレバーの椅子もデザインしているからである。
 ともあれ、ヴァイセンホーフ・ジードルンクという契機が20世紀を代表する二人の建築家に歴史に残る名品を誕生させた。ミースに「キャンティレバーの椅子」を、ル・コルビュジェには「新たな機能と構成による椅子」を。 
①: トーネットの椅子はアメリカでも大量に出回った。イームズもウイーンチェアがお気に入りであったのだろう。自邸の写真を見ると、自作の椅子と一緒にウイーンチェアが使われている。
②: カール・マング『現代家具の歴史』(安藤正雄訳)、A.D.A.EDITA、1979、46頁。
③:現在市場で流通する209番は、トーネット社の最新のカタログでもデザインはアウグスト・トーネット、製造は1875年とある。ポール・へニングセンがリ・デザインしたとされる内容は、オリジナルとまた現在の209番とどのように異なるのか、残念ながら筆者には不明である。
⑥: ペリアンについては『家具タイムズ』630号参照。また、この拙稿を書き終えたところで、『ル・コルビュジェの教科書』マガジンハウス、2009 を知る。この138頁〜140頁にペリアンの娘の言説としてこの間の事情を知ることができる。
⑦: 『家具タイムズ』689号参照。
⑧: 若き日、二人はペーター・ベーレンスの事務所で出会っていて、お互いの力や考え方を知っていたのだろう。
ペーター・ベーレンス(Peter Behrens,1868〜1940)はドイツの建築家・デザイナーで、ドイツ工作連盟の結成に中心的役割を果たし、近代デザインに大きな足跡を残す。建築の代表作にベルリンのAEGタービン工場がある。
⑨: 会場では、マルト・スタムでさえも自らのキャンティレバーの椅子の他にはトーネットの椅子を使い、ヨーゼフ・フランク、ハンス・シャロウンらもトーネットの椅子を採用していた。当時の会場でトーネットの曲木の椅子が多用された様子は、K.マング著(宿輪吉之典訳〉『トーネットの曲木家具』鹿島出版会 162から163頁に詳しい。