No.85 エーロ・サーリネンのチューリップチェア 1957

ミース、ブロイヤー、ル・コルビュジェと巨匠が続いたので、今月はもう一人アメリカのミッドセンチュリーを代表する建築家エーロ・サーリネンの有名な「チューリップチェア」です。また、先ごろのGMの破綻を知ると、1865年サーリネンの設計になる同社のテクニカルセンターを訪れ、驚愕のスケールに「これぞアメリカ」を実感したことを思い出します。

 エーロ・サーリネンは常に新たな素材や構造などを探求し続ける一方、卓抜な造形力で次々と優れた建築を設計したアメリカのミッドセンチュリーを代表する建築家である。家具デザインにおいても、1948年の「ウームチェア」1に続き、50年代になって「チューリップチェア」と呼ばれている美しく革新的な椅子とテーブルのシリーズをデザインした。
 チューリップチェアはFRPという素材が椅子の可能性を広げた時点でサーリネンは脚部のあり方を模索し、FRPのシェルに対してシンプルなアルミの台座を一体化させたユニークな椅子。50年代の椅子として比類ない造形美を誇り、自ら設計したワシントン・ダレス空港やニューヨーク・ケネディ空港(TWA)のターミナルビルにも使われた。
 サーリネンはあるときの講演で、椅子のデザインに関する五つの視点を提示している。その一番目の「座り心地と造形の重要性」に関して、二十以上もの実物大のモデルを使って実験したというが、これはチューリップチェアのことであろう。さらに五番目として、椅子の脚部の扱いに関して次のような言説がある。「エジプトの時代から椅子は4本の木製の支柱で支えられてきた。この40年ほどの間に、新しい材料と製造方法の出現によって、在来の方法に疑いの目が向けられるようになった。プラスティックの本体が発明されることによって支える構造体と座がはっきり分離されることになり、イームズは鳥の足のような脚部を使い、私は台座のような形を採用しているのである」2と。
 FRPという素材が椅子の造形の可能性を飛躍的に広げたが、サーリネンは脚部からの発想でブランデーグラスのような革新的なデザインを提示した。
 尚、かつてネルソンも家具の脚部に注目し、「室内における猫や犬の視角」として論じている。
デザイン:エーロ・サーリネン(Ero Saarinen 1910〜61)
製造: ノール社(Knoll)

空港から香りが消えた日
 サーリネンの設計になるTWAのターミナルビル4が悲鳴をあげていた。
 もう一度、かつての興奮を呼び覚まそうと訪れたときのことだが、その内部空間は見るも無残な姿に変わり果てていた。
 世界最大の現代彫刻。そのふところに抱かれながらチューリップチェアに座り、コーヒーを口にすると、隣の正装した老夫婦がにっこり笑みを投げかけてきた。そんな光景がまるでウソのように脳裏をよぎったが、あれから22年が経っていた。
 1966年、シカゴでの学生生活に別れを告げ、ターミナルビル見たさに飛行機便を「TWA」にまでこだわってニューヨークへ来たのだが、到着が遅れて夜おそくになり、ゆっくり見るどころではなかった。5事務所通いのある日曜日。カメラ片手に改めて訪れたのだが、そこにいるだけでやたら興奮し、用もないのに空港で半日近くも時間をつぶしてしまった。外観はもとより、現代彫刻を見るようなインフォーメションタワーからカウンターへ。待合ロビーはワインレッドの絨毯に同色の造り付けのソファ。なんと気品に満ちた空間か。その場に居合わせた乗客も適度に着飾り、こんなすごい公共空間に出会ったのは初めてで、驚嘆。それほど大きくない建物だが、歩きまわってようやく二階のコーヒーショップでチューリップチェアに腰を下ろすと、夕映えの残照が西の空を紅く染め始め、なんともいえない満足感に浸ったことを昨日のように想いだした。
 空港にロマンが、いや上品な香りが漂っていたころの話である。
 ところが、1988年の滞米中に出くわしたのが冒頭のあっと驚くような光景。空間が悲鳴をあげていたというより死んでいたというべきだろう。あの日本製のモザイクタイルが貼られたインフォーメションタワーから待合ロビーにまで連なる空間が見るも無残にスロープや味気ない柵で埋まり、変わり果てていたのだ。空間だけではない。その場の旅行客のごった返すような旅行客の多さと容姿も。様相が激変していた。6ジャンボだ。それと弱者に対する配慮であろう。ジャンボ機が大量輸送を可能にし、運賃が格安になり、交通手段をバスから飛行機に変えたのだ。利用者の激増という外部条件の変化によって建築が機能しなくなる典型的な事例である。弱者のためのスロープは仕方ないとしても、つくり方にもう一工夫なかったのだろうか。怒りさえ覚えた。TWAとしては仕方なく、この横に機能だけを満足させるための巨大なコンクリートの箱(ターミナルビル)を新設してはいたが、香りなど漂うはずもなく、この22年間の社会的変化の縮図を見せていた。
 それにしても、サーリネンはどうしてこんな図面で表現できない造形(建築)をつくり出せたのだろうか。チューリップチェアもまた同じである。
 いつごろだったか、彼が大きなTWAの模型の周囲を車椅子で動きながら、またワシントン・ダレス空港の巨大な模型の内部からチェックする写真を見た記憶がある。加えてサーリネンには失礼だが、チューリップチェアのあまりうまくないスケッチからはとても実物の美しい姿やディテールは想像できない。いずれも模型や現場でつくりこんだ造形で、若い日に彫刻を学んだサーリネンの現場主義の面目躍如たる仕事ぶりである。
 昨今、CADという便利なものができたが、CADで香りたつ建築空間が、チューリップチェアのような美しい椅子が生まれるだろうか。絶対に生まれるはずはないのだが・・・。

〈先ごろGMの破綻を知ると、IITの学生時代にサーリネンが設計したGMのテクニカルセンター(1955)を訪れたとき「これぞアメリカ」というべき驚愕のスケールを思い出しながら・・・〉
①: 「家具タイムズ」626号参照。
②: W・ブラウン=フェルトヴェーク『インダストリアル・デザイン』(阿部公正訳)、彰国社 1982、 266頁。
五つの視点とは、五十年を経た今日でも示唆に富むので記しておくと、1.使用に際しての快適性の追求。今でいう人間工学的視点。2.量産に適した材料や製法の重要性。3.普遍的な造形(可能な限り多くの人に受け入れられる造形)。4.椅子が使用される空間との関係を重視。5.椅子の脚部にも注目したデザイン。
③:George Nelson,Problems of Design,Whitney Publication,1965 PP.194〜200
⑤: ニューヨークのケネディ空港は巨大な敷地で、アメリカの航空各社はそれぞれ自社のターミナルビルを持つので、当時ニューヨークへ行った人でもTWAを利用しなかった人はこのターミナルビルの存在に気がつかず「どこにもなかった」などといっていた。
⑥: アメリカにおける60年代と80年代の一般の人の交通手段の違いは、バスと飛行機の違いである。
60年代に飛行機を利用するのは限られた人たちで、服装も男性はスーツ姿で女性は着飾っていた。80年代のTWAの空港ターミナルはジーパン姿のヒスパニック系の人たち、さらに子供連れの人であふれかえっていた。