No.89 オーレ・ヴァンシャーの肘掛椅子(149番)1949

今月は中断していた北欧・デンマークへもどりますが、巨匠が続いたので、今月はコーレ・クリントと並び、デンマークの家具デザインの発展に寄与した大御所・オーレ・ヴァンシャーです。

 オーレ・ヴァンシャーは1903年にデンマークのコペンハーゲンで生まれ、王立芸術アカデミーでコーレ・クリント1に師事し1929年に卒業。その後もクリントのもとで働くが、美術の研究者であった父の影響を受け、ヨーロッパやエジプトへの旅行を続けながら家具を調査し、自らの事務所を設立してデザイン活動を続けたが、コーレ・クリント亡き後の1955年に王立芸術アカデミー家具科の教授に就任。その後はデザイナーとして活動を続ける一方、研究者として古代エジプト、18世紀のイギリス、中国などの家具を研究して多くの著書を残し、クリントの後継者としてデンマークの家具デザインの発展に大きな貢献をした。
 研究者としてのヴァンシャーがデザインした代表作はエジプシャン・スツール(1960)で、古代エジプトの折りたたみ椅子をリ・デザインしたもの。今では考えられないローズウッドの無垢材を惜しげもなく削り出し、ジョイント部分を曲面としたクラフト的特徴が顕著なもの。
 これに比し、149番の肘掛椅子はコロニアルチェアとも呼ばれ、18世紀のイギリスの椅子に影響を受けたラダーバックに置クッションタイプの肘掛椅子。細く優美な肘の形状とバランスのよさは、スタンダードな形状ながら風格のあるヴァンシャーの代表作。2003年には生誕100年を記念したモデルが150脚つくられ、再び脚光を浴びた。左右に片肘付をあわせると二人掛用にもなるバージョンやオットマンもあり、60年代半ばにはブルーに塗装されたバージョンもつくられた。
 他に、家具の仕事では収納家具やテーブルなどもあるが、椅子では初期のキャンティレバーの肘が付いた椅子(1951)やローズウッドの無垢を削りだした繊細で美しい肘掛椅子(1962)などがある。これらはローズウッド(パリサンダー)やマホガニーなど今では調達不可能な材料と職人の技が組み合わさり、その完成度が際立ったものである。
 一方、これら職人の技によるものの他に、後年には「できるだけ多くの人に受け入れられること」を目指して質の高い「普通の椅子」をデザインしたことは評価すべきことで、412番や112番、169番などの肘掛椅子は「これぞ普通の椅子の代表」。計画生産することを前提にデザインされ、今では取るに足らないものに見えるが、この時代の完成度の高いスタンダードとして記録に残すべきものである。
デザイン:オーレ・ヴァンシャー(Ole Wanscher 1903〜85)
製造: P.Jwpesen 社

手で「想い」を伝えたころ
 たかが椅子の話であるが、このコラムで、これまでめぐり合った椅子について記憶の糸を紡いでいると、見えていなかったものやそれを生んだ時代背景が見え、さらに私自身が過去にどのように対峙したかが改めてよみがえり、興味がつきない。
 私がまだ駆け出しのころ、木の椅子について多くを学ばせてもらったのがオーレ・ヴァンシャーである。
 最近ヴァンシャーの肘掛椅子(149番)によく出会うのは生誕100年を記念したバージョンがつくられたからでもあろう。数年前コペンハーゲンで出会って、久しぶりに腰をおろすとどこか落ち着くのは、派手な造形のみがもてはやされる昨今ではめったにない「品格」を備えているからで、このコラムでとりあげた多くの椅子の中で、孫の代まで使っても飽きないナンバーワンであることにまちがいない。近代デザインの椅子を語るとき、ユニークな造形だけでなく、長く使える安定感と完成度にも光が当たってよいはず。これぞ「普通の椅子」であって、そうでない、それが149番の肘掛椅子である。
 いつだったか、京都の「興石」②という会社のショウルームでフィン・ユールの彩色された図面やヴァンシャーの椅子に再会したときのこと。同行の若い人たちに話をしたのだが、ユールの座が浮き上がったように見せるために切れ込んだ貫の形状などよくマネをした。また、ヴァンシャーのスツールの木の使い方を見ると、よくもここまでと改めて感じ入ったが、50年前、彼は手で撫ぜながら形を確かめたことだろう。
 輸入品など手に入らず、既製品にそれほどよいものがなかった60年代の初め。空間をデザインすると、椅子はもとよりテーブルや収納家具も、時にはカーテンやカーペット、照明器具に至るまで手当たりしだいにデザインしていた。今になって、ずいぶん無駄や無茶なことをやったと思うが、デザインする立場の人間としてこれほど恵まれた時代はなかった。納期の点からも家具の主材料は「木」と決まっていて、虎の巻はデンマークの雑誌「mobilia」など。「別注家具」という理由でも許されることではないが、「コピーだ」と言われそうなこともやってきた。その中でヴァンシャーの椅子は一、二を除いて存在を主張せず、見過ごすほどだが、そこには木製椅子の基本があった。
 60年代に入って、日本の家具メーカーが製品をつくる段になって、それもヴァンシャーとは意識せずに。ヴァンシャーもどきがあちこちで見られたのも頷ける。
 若いころは、椅子をデザインすると、赤や青の色を交えた三色で原寸図をよく描いた3。昨今は空間をデザインしても別注で椅子などつくることはないし、メーカーではCADだから、若い人たちは原寸図をどのように描くのかわからないという。先日も大学でインテリアを教える先生から「椅子を実測させたいのだが、原寸図はどのように描くのか?」と問われ、私の方がとまどった。見たことも、描いたこともないのだから仕方がない。昔の私の図面を見せて説明したのだが、時には役に立つこともあるようだ。
 今はCADの時代。少し前のことになるが、私が描いた五分の一の図面をもとにCADによる原寸図を見せられ「チェックを!」と言われても、これが私のデザインかと一瞬ためらうほどイメージが違っていた。無機的で「想い」がまったく消えていた。機器の図面ならまだしも、椅子は違う。なかでも人間の手でつくる木の椅子は、デザイン時の「気分」というか、「想い」を図面に滲ませ造り手に伝えなければならない。
 「想い」を伝え、その実現化へは手描きのスケッチから原寸図、さらに試作を重ね、時には手で撫ぜながら検討した時代は、遠い昔のことになったのだろうか・・・。
① :『家具タイムズ』652号参照。
②: 京都にある企業で、北欧家具のコレクションはその種類と数量も多く、販売も行っている。家具のほか、フィン・ユールの彩色されたドローイングなども所蔵されている。
③: 参考のために、普通の大きさの椅子を1200×900の製図板で描くには、平面図、側面図、正面図を重ね合わせて描くのだが、それらの関係性がよくわかるためこれらを三色を使って描くとわかりやすい。