No.95 ピーター・マードックの紙による子供用椅子「スポッティ」1963と 日本の紙の椅子として渡辺力の「リキスツール」1965

先月のマッキントッシュでイギリスに来たので、今月は紙を素材としたモノづくりが盛んに行われた60年代、紙の椅子を代表してピーター・マードックの「スポッティ」をとりあげ、あわせて、日本の代表として渡辺力の椅子も紹介します。

 ピーター・マードックは1940年にイギリスで生まれ、1963年にロンドンの王立芸術大学(ロイヤルカレッジ・オブ・アート、通称RCA)を卒業。1968年のメキシコ・オリンピックのビジュアル・デザイン計画をメキシコ政府から依頼され、ランス・ワイマン1とともに行い、大きな成果をあげた。翌年自らの事務所をロンドンに設立し、ビジュアルからプロダクト・デザインまで幅広く活動。家具デザインではヒリー(Hille)・インターナショナルの顧問も勤めた。
 紙の椅子「スポッティ、spotty」は彼がRCAの学生時代にデザインしたもので、耐水性のあるポリエチレンでコーティングされた一枚の紙(積層された厚紙)をユーザーが丸める程度で完成するもので、シート状であるため輸送性に優れている。また、折からのポップアートと呼応するかのような水玉模様、そして使い捨ての大量消費時代を象徴する廉価な椅子。マードックはアメリカでこの椅子の製造会社まで立ち上げた。
 ビクトリア・アンド・アルバート美術館のコレクションにもなり、受賞も多い。
 他に、紙の家具として椅子やテーブルのシリーズ「Those Things」(1967)がある。
 古来、紙は多くの用途に使われてきたが造形の素材として注目を浴びたのは1967年。ニューヨークのクラフト美術館を中心に開催された「MADE WITH PAPER」展②では紙による造形の可能性が世界中から集められた。紙が家具として多く利用されたのも60年代。軽量、廉価、製作の容易さなど紙の持つ特質から、成長により使用期間が短い子供用家具に適していた。
 マードックの「スポッティ」に対し、日本でも1965年に渡辺力③(当時「Qデザイナーズ」という事務所を主宰)がデザインしたダンボールによる六角形のスツールが十条製紙から製品化された。1997年に復刻され「リキスツール」と名づけられているが、これは重量にも耐える構造で、高さも二種類あり、大人も使用できるものになっている。折り紙の伝統を持つ日本らしい発想で、紙を折り曲げて完成させるところが「スポッティ」との違いである。
スポッティ: H510×W520×D430
リキスツール:H330と 420×W330×D330
デザイン:ピーター・マードック(Peter Murdoch 1940 〜)
製造: インターナショナル・ペーパー社(当初はマードックが自ら制作会社をアメリカで設立)

紙の椅子、モノを使い捨てた時代
 1966年のことだから遠い昔のことになる。ネルソン事務所でのある日、ランチを済ませて事務所にもどると、後ろの席のランス・ワイマンの横に紙の丸い椅子と見知らぬ若い男が立っていた。この男がイギリスからやって来たピーター・マードックであった。
 ピーターはランスの知人で、RCAの学生時代にデザインした紙の椅子を持ってやって来たのだ。当時のネルソン事務所、またその前に学んでいたイリノイ工科大学はアメリカのミッドセンチュリー・デザインを語るときには避けて通れないところで、当時は海外からの来訪者も多かった。なかでも、ジェイ(ダブリン教授のファーストネーム)がデザイン界の大御所マックス・ビル④を案内して実習室に現れたとき、さすがのジェイも少しばかり緊張していた様子を想い出す。
 ピーターの紙の椅子に出会ったとき、「なるほど、こんなものもあるかな」と思ったぐらいが正直のところで、歴史に残る椅子になるなどとは考えもしなかった。
 1967年の新年を迎えたころ、ランスは「ピーターとメキシコ・オリンピック(1968)の仕事をする」と言って事務所を去ったが、20代の若者がオリンピックの仕事を、それも異国の、と聞いて驚いた。その三年前の東京オリンピック(1964)のときの日本のデザイン界は大騒ぎで、丹下健三、亀倉雄策など日本のトップスターが競ってオリンピック関連のデザインをしたことを思い出すと呆気にとられた。たまたま私も24歳の若さで集火式(皇居前)の聖火台をデザインしたといっても「黒子」の存在。彼らはそんな懸念などどこ吹く風、メキシコで見事なデザインを展開したのだから驚くほかはなかった。ランスがデザインした競技のピクトグラムは切手にもなり、それを20枚ぐらいべたべた貼ったでっかいクリスマスカードがメキシコから送られてきたのを懐かしく思い出すが、22年後の1988年にニューヨークの自宅を再訪し、メキシコ・オリンピックのオフィシャルポスターにサインまでしてもらい、持ち帰ったものが今アトリエの片隅に青春時代の思い出として居座っている。
 「ディスポーザブル(使い捨て)」がデザインのテーマ⑤になったのは60年代の中頃。今にして思うと、奇異な感じがしないでもないがこれも時代の仕事、地球環境問題が顕在化する以前のことである。紙による椅子も世界中でデザイン・製作された。
 地球環境問題が顕在化したのは1970年のローマクラブ⑥の提言からだと思うが、われわれはそんな提言など素知らぬ顔で、爾後の40年、資源の枯渇と環境破壊へとまっしぐらに突き進んできた。モノづくりにおけるデザインも「ビジネスのため」という課題に翻弄され、「差異化」を合言葉に消費を喚起させ、モノの短命化に力を貸してきたのだ。いかに使い捨てを上手にさせるか、極端な言い方をすれば、「地球環境を損なうような素材やつくり方がビジネスを成功に導く」としてきたから恐ろしい。環境問題が声高に叫ばれるようになった今日でも、この傾向は変わるどころか加速していて、日々ゴミの分別をしていると、「プラ」というゴミの多さに驚くほかはない。
 デザインは地球環境問題に応えることができるのだろうか。
 紙は環境に「わるさ」をしないことでは、「使い捨て」といっても、現代では「エコ」につながり、特にライフサイクルの短い子供用の椅子では有効な素材である。
 60年代の紙の椅子の代表として、ピーターの「スポッティ」をとりあげるのは彼を知っていたというだけではない。一枚の紙を丸めて椅子にするというアイデアとポップな時代を表した水玉模様。まさに時代の風を感じる素材と造形の一脚である。