No.28 ・29 ピエール・ポーランのNo.582リボンチェアー 1965とNo.577タン(Tongue)1967

先月、オリビエ・ムルグを取り上げましたが、それでは、同じ大阪万博の仕事をしたフランスのピエール・ポーランについても書かなければならなくなりました。60年代、造形の美しさとともに椅子の概念を変えた一人です。

ピエール・ポーランは、1927年フランスのパリに生まれ、カモンド(Camond)装飾美術学校で彫刻を学んだ後、トーネット社の家具デザインに携り、その後アーティフォート社と仕事を始めたが、ポーランのデザインのほとんどがここで造られた。独立後は工業製品のデザインやインテリアデザインの分野でも幅広く活躍し、エリゼー宮(大統領官邸)の家具もてがけている。
No.577の「タン(Tongue)」は、文字どおり舌のようなかたちから名付けられているが、大阪万博のフランス館の椅子として使われたが、脚部のない椅子として注目され、新たな椅子の座り方を提示した。発砲ウレタンによる成形、伸縮性のあるナイロンジャージの張り地などの開発・使用によってこれまでの椅子の概念を破る独創的な造形の椅子を誕生させた。
No.582の通称リボンチェアーと呼ばれる椅子は、一枚の布をリボンのように曲げたユニークな造形で、AID(アメリカのインダストリアルデザイン協会)賞を受賞し,ニューヨーク近代美術館のコレクッションにもなる。
その他、椅子のデザインでは、No.300(1965),No.598の安楽椅子(Groovy chair,1973)やヘビの形を思わせる長くつなげるソファーのシステム(Amphis Sofa System、1970)など多数ある。
60年代、生活様式がカジュアルになるのに対応して新たな椅子の造形を提示し、その美しさとともに椅子の概念を変えた一人である。
デザイン:ピエール・ポーラン(Pierre Paulin 1927〜)
製 造:アーティフォート(Artifort)
参考文献:Elisabeth Vedrenne,PIERRE PAULIN,
ASSOULINE


▲No.577タン(1967)


▲No.582リボンチェアー(1965)


▲No.598 Groovy Chair(1973)


▲ヘビ型のソファー(Amphis sofa system)


▲No.300(1965)

自由な造形へのテクノロジー
完成度に舌を巻いた。リボンチェアーを目にした途端、イリノイ工科大学の先輩である杉山さんが1960年にアルコア社のコンペで受賞した一枚のアルミ板を曲げて造った椅子を思い出した。発想はまったく同じであったが、それが現実のものになっていた。
数年後、私もダブリン教授のもとで同じ課題に挑戦してデザインしたものが、いま材料を変えて市場に出ている。が、椅子に限らずモノは製品化されてはじめて価値を生むのだから仕方のないことである。これに類する話をすればきりがないのでこのあたりで置いておこう。
製品化とは、商品を作ることで、発想の段階から一歩も二歩も抜け出して価格を含めた完成度が問われる。どれだけ継続的にビジネスになるかは別としても、完成度を高め商品とするからには素材から製造方法に至るテクノロジーが不可欠である。
思想とテクノロジー。 20世紀の椅子のデザインは、一方に思想(考え方からアイデア)、もう一方にテクノロジー(素材や製造技術の開発)があり、これらが車の両輪となって新たなデザインが生まれてきた。古くはトーネットの曲木椅子からイームズのFRPによるシェル構造の椅子など数え上げるときりがなく、ほとんど全てであるといってもよいかもしれない。デザイナーの発想が新たな技術開発を伴って実を結ぶのだから。
ポーランの彫刻的な造形も裏付けとなる材料や技術開発(ウレタンホームの成形、伸縮性のあるジャージなど)があって初めてそれまでの椅子の概念を打ち破る形態を実現できたもので、ポーランは次のようにいう「デザイナーが守らねばならないことは、本当に必要とされているモノをつくることと制作にはできる限りふさわしい材料を使うこと。製品の完成度と実現された形態はこれらのことを満たした時に結果が生まれる。そのためには他の専門家と協同しなければならない」(*1)と。
60年代の中ごろから、ヨーロッパでは椅子のデザインが急速に変わりつつあった。それは、生活様式の変化もあるが、デザイナーの発想をサポートするテクノロジーの発達がアメリカの専売特許ではなく、ヨーロッパでも急速に進んだことによる。
ポーランは、若いころイームズやネルソンに憧れ、影響を受けたという。そのネルソン事務所でわれわれのチームが新たな椅子のプロジェクトに入ったころ、これらヨーロッパの動向を知らないわけではなく、チーム内でも話題になった。しかし、オフィス家具を対象とするハーマンミラー社という枠のなかでは、「あれらは遊びだ」と問題にもしなかったのが正直なところ。だが、私自身はその対極にあるかと思われたヨーロッパの自由な造形性に大きな衝撃を受けていた。
ポーランはそれらの傾向を代表する一人で、彼の椅子の中ではNo.300(1965)が個人的には好きなのだが、これらの造形を支えた技術開発を視点として、ここでは「リボンチェアー」と「タン」を選んだ。
アメリカから帰国した60年代末。「やっと自らのデザインができる時期が来た」と、高島屋のシャンブル・シャルマント展を切っ掛けに、乱造といってもよいほどデザインしていたころ、ポーランの造形はいつも頭の片隅から離れない魅力を秘めていた。
*1:JAPAN INTERIA DESIGN、1971年 5月増刊号