No.46 ウォーレン・プラットナーの「プラットナーコレクション」 1966

先月、シェーカーでアメリカにまいもどった途端、ウォーレン・プラットナーが今春亡くなったと知って、急に書くことにしました。細いワイヤーの椅子も印象に残るが、プラットナーのインテリアデザインには魅了され続けた思い出があります。

ウォーレン・プラットナーは、アメリカのボルティモアで生まれ、1941年にコーネル大学建築科を卒業。レイモンド・ローウイやI.M.ペイの事務所を経て、1960年からエーロ・サーリネンの事務所でワシントンのダレス空港などのプロジェクトにたずさわり、その後はケビン・ローチとも仕事をする。1967年に独立し、建築家として多くのプロジェクトを手がけたが、インテリアを中心とした仕事が多く、「インテリア・アーキテクト」という職能にぴったり当てはまる建築家である。
代表的な仕事に、シカゴのウオータータワープレイス(1976)や今はなきワールドトレードセンターの「世界の窓」という名のレストラン、アメリカンレストラン(カンサスシティ 1974)などの商業施設のほか、デザインセンター(ニューヨーク、1968)、SOM設計のMGIC本社(ウイスコンシン州 1973)、ケント記念図書館(コネティカット州)など数多く、いずれもが節度ある優雅さを備えたデザインで秀作ぞろい。商業施設では、時にロゴマークやテーブルウエア、テキスタイルなどトータルにデザインしている。
家具では、オフィス家具やインテリア構成上の単品家具などもデザインしているが、ここで取り上げたノール社の「プラットナーコレクション」と呼ばれる細いワイヤーを束ねた椅子やテーブルのシリーズが代表作。プラットナーは、ルイ15世時代の優雅な装飾性にも注目するが、デザインは装飾だけを全面に押し出すのではなく、より合目的な基本に基づくものである、というように、彼の装飾性は優雅さを備えた本質を捉えたものである。ノール社がこの時代の椅子として、エレガントな視点からこのシリーズを製品化したことは英断である。ワイヤー部分が前後に重なることで美しいモアレ現象が生じ、特異な美しさを生むシリーズであるが、重量は重い。その上、多くの細いロッドを溶接していく製造過程には困難を伴い、ドン・アルビンソン(*1)を大いに悩ませたと考えられる。
デザイン:ウォーレン・プラットナー(Warren Platner 1919〜2006)
製造:ノール社(Knoll)
参考文献:”Ten by Warren Platner” McGraw-Hill Book Company の他 雑誌「SD」 1974,3に詳しい。
*1: 「家具タイムズ」2004年7月号参照

インテリア・アーキテクト、ウォーレン・プラットナー
この季節,畦道に彼岸花の真っ赤な色が並ぶ。
曼珠沙華というのは別名らしいが、子どものころからこの名前の方に馴染みがあり、小学校の通学途中、道端に咲いていた曼珠沙華の鮮烈な赤が目に浮かぶが、今わが家の庭に咲いたのを切り前に置いて眺めてみると、プラットナーの細いワイヤーの椅子とテーブルに出会ったときのことを想い出す。
なんと繊細なことか。職人が一脚だけを造るのならいざ知らず、よくも量産ベースで造れたものだ、と発表されたときのノール社のショールームであきれて眺めていた。なかでもガラストップのテーブルは、一連の造形を際立たせて見せ、赤に塗装されていればまさに曼珠沙華だ。
だが、プラットナーといえばこれだけではない。忘れられないのがシカゴの「ウオータータワープレイス」。
シカゴには、シカゴ川を越えた北側の1マイルほどのミシガンストリートを「ワン・マグニフィシェント・マイル」ともいわれ、世界のブランド店が並び、フレーズどおりの魅惑に満ちた美しい通りがある。ミシガン湖を横に自然環境にも恵まれ、近くにはミースの有名な高層住宅(レイクショアドライブ)もあり、職、住、エンターテインメントが一体となった世界でも類を見ない地域である。
その北寄りに「ウオータータワープレイス」というショッピングセンターができたのは1976年。入口からの二本のエスカレーターにそって木が植えられ、小さな滝が流れ落ちるドラマティックなアプローチ。その階上から六角形の広い吹き抜け空間のまん中を当時としては珍しいシースルーのエレベーターが突き抜け、アメリカの郊外の大味なものとは一味も二味も違うエレガントなショッピングセンター。完成直後、「シカゴにこんなものができたよ」と、ジェイ(*1)に連れて行かれて以来、プラットナーのデザイン力に舌を巻き、その後も何度となく訪れた。10年後はもちろん知っているのだが、今日現在でも色褪せず、多くの人でにぎわっているのではないか、と思う。
商業施設のデザインには通俗的な意匠がつきものだし、80年代のニューヨークで、奇抜なアイデアや現代美術を取り入れた飲食のための空間が評判になったこともある。わが国でも、80年代中ごろからバブル経済と呼応してアートやアート紛いのこけおどしの装飾が商空間に麻疹のように入り込み、評論家やデザイナーが「これぞ文化だ」、「商業施設のあるべき方向」などと言い放っていた笑い話のような時期もあった。
商業施設のみならず建築空間のインテリアは、時折々の人間生活と結びつき、変化せざるを得ない宿命もある。だが、プラットナーの仕事を見なおしてみると、これぞ内部空間のデザインと思えるものが多い。一言で言えば「大人の優雅さ」とでも言うべきもの。彼のデザインになる商業施設、とりわけレストランなどは節度ある通俗性(バタ臭さ)と洗練された優雅さのせめぎあいの中から生まれ、質の高さに加えて、なにより色香がある。その色香は、決して一過性の麻疹のようなものでなく、時の経過に耐えうるものだ。これぞ商空間におけるデザインマネジメントを見る思いである。
今春、ウォーレン・プラットナーが86歳の生涯を閉じたと知り、残念な思いが募る。
ワイヤーの一連の家具もあるが、私の知る限りでは、「インテリア・アーキテクト」とはプラットナーのためにできた職能のような気がしている。
*1:ジェイ・ダブリン(Jay Doblin)は、当時のイリノイ工科大学の教授。デザイン教育者としてアメリカはもとより日本にも多くの影響を残した。日本には1959年に産業工芸試験所の招きで来日し半月にわたって講習会を開き大きな反響を呼んだ。学生はファーストネームで「ジェイ」と呼ぶ。