No.59、60 ヴィコ・マジェストレッティの「マラルンガ」1973 と「シンドバッド」1981

先月に続きマジェストレッティです。
プラスティックを中心とした60年代。布や革を中心とし、アイデアに富む椅子をデザインした70年代以後。これだけ明解に分かれるデザイナーも珍しい。今月はその後半です。

イタリアデザイン界のパイオニア世代の代表がジオ・ポンティなら、60年代以後家具を中心にデザインの発展を主導した一人がヴィコ・マジェストレッティである。
70年代以後のマジェストレッティの代表作は、なんといっても1973年に発表した「マラルンガ、Maralunga」である。これは総張りの安楽椅子の中にフレキシブルなスティールを内蔵させ、背の上端が折れ曲がり安楽椅子がハイバックチェアになり、また安楽椅子になるというアイデアの椅子。
その後これと同じように椅子の部分を動かせる機構を使い、より発展させたのが「ヴェランダ、Veranda」(1983)という椅子。フットレストが付き寝椅子にもなり、平面としてもいろいろな形に連結することができ、変化に富んだアレンジが可能である。
1881年に発表された「シンドバッド、Sindbad」は、スティールのスケルトンに縁取りの付いた布をかぶせるだけで椅子になるという、これまた椅子の概念を破った異色のもの。布を取り替えることで違った色の椅子に変身する。
晩年には、金属を使った「シルバー、Silver」やデンマークのフリッツハンセン社から木を主材とした「ヴィコ、Vico」などの椅子をデザインしている。
この時代の照明器具の代表作は「アットロ、Atollo」で、一見なん変哲もない幾何学的なフォルムであるがプロポーションが美しい。マジェストレッティは「自分が必要性を感じたときにデザインする」というように、常に自らのニーズをメーカーに対して提案し続けたデザイナーである。
デザイン:ビィコ・マジェストレッティ(Vico Magistretti 1920〜2006)
製造:マラルンガとシンドバッドともにカッシーナ社(Cassina)

マジックのように姿を現し、消えた椅子
太めの縁どりがついた毛布のような布をぱっと広げると、まるで昨今はやりのマジックのように椅子になる。
マジェストレッティの「シンドバッド」と名づけられた椅子のこと。発表されたときは雑誌で何度もお目にかかっていたのだが、「シンドバッド」に最初に出会ったのはミラノではなく、もちろん日本でもない、コペンハーゲンであった。
1980年ごろからヨーロッパへ行くと、最後の一日はコペンハーゲンに立ち寄って帰ることを楽しみにしていた。仕事も、会う人もいないし、ましてや椅子などを買うという収集趣味はもちろん、そのための金もなかった。ただ一日ぶらっと街を歩くだけ、それで十分だった。昨今のストロイエ通り周辺はだいぶ変わってしまったが、80年代初めのころは実に美しい街。春から初夏にかけては、中央駅横の公園「チボリ」は色とりどりの花でうずまるし、明日から日本というときに、清潔感の漂うここでの一日は分岐点として格好の街。なんといっても中心部なら歩けるスケールがうれしかった。
ある日、目的もなくホテルを出て歩行者天国のストロイエ通りへ足を向けた。当時コペンハーゲンへ来ると必ず一度は寄るイルムス・ボーリフス。(*1)通りに面した大きなショーウイドウで突然「シンドバッド」に出会った。緑と黄色の布を纏った二脚の「シンドバッド」に。
当時、ここはデザインセンターといってもよいほど北欧の質の高いインテリア関連商品が並ぶ大きな専門店。一階から吹き抜けの中央部ではよく企画展示が行なわれていて、トーネットやコルヴィジエなどの企画展示にも出会ったことがある。このときもイタリアのカッシーナ社の展示であったと記憶するが、当時こんな店が成立するのもデンマークならではのこと。
60年代初頭の日本。良好な既製品がなかった時代には、空間をデザインすると椅子もデザインするのが常で、時には照明器具やテキスタイルまで恐いもの知らずになんでもデザインしていた。今になって考えてみるととんでもないことだが、いろんな経験ができたということでは実に恵まれた時代であった。そのころ、総張りの安楽椅子をデザインして最後に悩ませるのが「張り加工」である。形状が少しばかり複雑なときは特に難しい。原寸図を描いていたときのイメージどおりにはなかなかいかないもので、縫い目やふくらみが気になり、職人さんに現場でよく注文をしたし、また教えを受けたものである。こんな難題をいとも簡単に布を被せるだけで解決したのが「シンドバッド」。色の異なる布を別に用意すれば即座に部屋の雰囲気を変えることもできる。これぞ発想の転換。心底参りましたと頭を下げた。
わが家では何年か前からソファーの布地がいたんだので、シンドバッド式に別の布を敷いて使っているが、汚れると洗濯できるので便利である。先日その布もいたみ色が褪せてきたので取り替えたのだが、一枚の布で部屋の雰囲気が変わってしまった。
だが、「シンドバッド」がなぜほんの少しの間で市場からマジックのように姿を消したのだろうか。サイズが大きすぎたのか、価格が高すぎたのか、調べてもいないが、多分それほど売れなかったためだろう。
コンピューターのような機能中心のモノは別として、生活の道具が市場で受け入れられるには、モノが「モノとしての概念」の範疇内にあることも重要な要素で、椅子はやはり「椅子らしさ」が必要なのかもしれない。
*1:イルムス・ボーリフス(Illums Bolighus)はコペンハーゲンの中心部にある生活用品の百貨店。1980年代ごろは、商品デザインの質の高さにおいてデザインセンターともいえる店であったが、昨今はデザインにも配慮されてはいるが雑貨店になった。