No.12 エーロ・サーリネンのウームチェアー 1948

今月は、イームズとサーリネンがともに過したアメリカの近代デザインのふるさとクランブルック。そこで生まれるきっかけとなったウームチェア—について書いてみたいと思います。

サーリネンはフィンランドに生まれ、13歳(1923年)の時、当時フィンランドを代表する建築家であった父エリエル・サーリネン(Elier Saarinen)
とともにアメリカに渡り、エール大学の建築科を卒業。彫刻などをヨーロッパで学んだ後、父の建築事務所で仕事をするが、父の死後自らの事務所を設立。GMのテクニカルセンター、ケネディ空港のTWAターミナルやMITのチャペルなど数多くの作品を残した20世紀アメリカを代表する建築家である。
その一方、家具のデザインでは通称チューリップチェアーと呼ばれる椅子やウームチェアーなどの名品がある。
ウームチェアーは、クランブルック時代イーム
ズとともに、1941年ニューヨークの近代美術館が主催した「住宅装備の有機的なデザイン」のコンペに応募し、受賞したオーガニックチェアーが原点となっている。その後、人間が座る時の多様な姿勢に対応することを考慮して、コンペで提案した成形合板の三次元シェルをFRPに変えることで量感のある彫刻的な三次元の椅子が実現した。
「Womb」とは「母親の子宮」の意味で、座る人にとってあたかも母親の子宮にいるような安らぎある椅子としてこのように呼ばれている。
デザイン:エーロ・サーリネン(Eero Saarinen 1910〜1961)
製  造:ノール社 (Knoll International)


イームズとともに1941年にMOMA主催のコンペに応募した図面と展示会で発表したオーガニックチェアー。ウームチェアーの原形となった。


クランブルックのキャンパスにあるカール・ミレスの彫刻のある噴水。

アメリカ近代デザインの郷
キャンパスを歩いて程なく、これが大学なのか、とわが目を疑った。若き日のイームズとサーリネンがともに情熱をぶつけあったアメリカ近代デザインのふるさとであるクランブルック・アカデミーを訪れた時のことである。
デトロイトの郊外、ブルームフィールド・ヒルズに広がる水とみどりの豊かな自然に抱かれた広大なキャンパス。アメリカであってアメリカでない、どこか北欧の香りが漂うのはサーリネンの父エリエル・サーリネンが建築計画をし、初代の学長であったからだろう。当時私が学んでいたIITとは似ても似つかない自然環境のうえに女子学生も多い。不届きながら留学先をまちがえた、とカール・ミレス  の彫刻のある噴水前で一人腰を下ろし追悔の念に駆られたものだ。
だが、クランブルックの特質はこのような環境だけではなく理念と運営の方法にあった。実践を目的に作家である教官と学生がともに話し合い、仕事をするコミュニティを形成していたことである。造形の分野も建築からデザイン、絵画から彫刻、金工、テキスタイル、陶芸などの幅の広さもあり、学生は全寮制で、他領域の人たちとの二十四時間交流のできる場はなんとも魅力的であった。
しかし、クランブルックについて語るには、なんといっても1930年代末から40年代初めの頃になるであろう。その頃のクランブルックに思いを巡らせてみると、私までが熱くなるのを感じざるをえない。イームズが「あの頃のクランブルックは、ワインで言えばヴィンテージ・イヤーであった」というように、多くの才能が集まり熱気あふれる時間を共有していた。イームズがフェローシップを得てクランブルックへ招かれたのは34歳の時で、サーリネンは30歳。二人の他にベルトイア、アルビンソン、レイ・カイザー(のちのイームズ夫人)、フローレンス・シャスト(のちのフローレンス・ノール)など、その後のアメリカのデザイン・シーンに登場する人たちである。フローレンス・シャストが当時の生活についてこのように言っている。「私たちは早朝から昼まで仕事をし、ランチを取るとまた仕事、午後4時になると外に出てタッチフットボールか散歩などをして夕食まで仕事、夕食後はまた10時ごろまで仕事をしてハンバーガーなどの夜食を取る。これが決まった日課であった」と。なんとも仕事づけの日々であったようだが、これを支えたのは彼らの情熱であり、アメリカ近代デザインの郷となった要因だろう。ウームチェアー誕生の原点もここにあった。
クランブルックからの帰途、デトロイトで今はなきワールドトレードセンターを設計中のミノル・ヤマザキの事務所に立ち寄ってみた。そこで垣間見たものは、300人以上はいたであろうか、世界中からやってきた若い建築家の熱気ある仕事ぶりと、あまりの高さのために事務所の天井までにおさまらず、天井板を打ち破って置かれていた模型である。25年の時を経て同じデトロイトの地で、ヴィンテージ・イヤー迎えていたヤマザキ事務所に巡り合った。
その夜シカゴへのグレイファウンド・バスの中で、この二つ事象を重ねあわせ、やたら興奮するのを覚えていた。
注1:Carl Milles(1875〜1955)世界的に有名なスエーデン  の彫刻家。1931年にクランブルックに招かれ、以後アメリカ   で多くの作品を残す。

クランブルック アカデミーについては,Design In America,
The Cranbrook Vision 1925〜1950,THE DETROIT INSTITUTE OF ARTS AND THE METROPOLITAN MUSEUM OF ARTを参考にされたい。