No.38 オットー・ワグナーのスツール 1904〜06

先月トーネットについて書いたが、どうしても触れておかなければならないのが、ウイーンを舞台に活躍した建築家オットー・ワグナーである。郵便貯金局のためにデザインしたスツールは、100年も前にこんなデザインが、と思える一脚。近代デザインの原点です。

オットー・ワグナーはウイーンに生まれ、ウイーン(工科学校と美術アカデミー)とドイツで学ぶ。後にウイーン美術アカデミーの教授になり、芸術の唯一の主人は必要である、とする「必要様式」を唱え、多くの弟子も育てながら数多くの建築作品を残し、近代建築の父ともいわれている。建築作品については多くの参考書があるので参照されたい。
ワグナーは「箱もの」など家具も数多くデザインしているが、椅子で最も有名なものは、郵便貯金局の会議室のためにデザインされた肘掛椅子がある。前足から肘、さらに背の笠木へと一本の角材の曲木がつながる構成はその後パイプなどによって普遍的な構成となったオリジナリティーに富むもので、ワグナーはこのような構成の椅子を1902年頃からデザインし、背の部分などに異なるバージョンもある。が、同時期トーネット社のカタログにG.シーゲルも同様の構成の椅子をデザインしていることから曲木という加工(*1)法が生んだ構成であるともいえよう。
ここで取り上げた同じ郵便貯金局のためのスツールは、これにもまして家具のデザインの世界、特に60年代の家具に大きな示唆を残した。
すなわち、スツールという簡易な腰掛けではあるが、規格化されたパーツを組み立てコンポーネントとする方法論である。さらに、ワグナーは組み立てる金具にアルミ という当時の新材料を使い、それをアクセントとして意匠に生かしたことはなににも増して先駆的なことで、60年代になってようやくノックダウン家具に見られることになる。この方法論は、郵便貯金局のための重ね棚や簡易な机などにもみられる。郵便貯金局は建築はもとより家具デザインにおいても近代への架け橋となった建物である。
デザイン:オットー・ワグナー(Otto Wagner 1841〜1818)
製造:トーネット社(THONET)
*1:ワグナーはアルミという素材を郵便貯金局において、外装の大理石を止めるのにも利用したが、他にも多用し、ホールの円筒の換気グリルは特に有名。

近代を形にした一脚
 ガラス天井からの明るい光に映え、ワグナーのスツールは大きな花の下で楚々として戯れているかに見えた。そこには20世紀のデザインの夜明けが見てとれた。
 もう25年以上も前になるだろうか。ちょっと大げさだが、この空間と一脚のスツールに会うためにウイーンへ立ち寄ったときのことだ。
 芸術の都ウイーン。音楽はもちろんだが、建築や絵画において世紀末から20世紀にウイーンを舞台に活躍したクリエーターはきら星のごとく、あげていけばきりがない。最も新しいところでは、地方公共団体が税金の無駄づかいの例として最近よくテレビで槍玉にあがる大阪市のごみ焼却場をデザインした異色のアーテイストで、先年亡くなったフンデルトヴァッサー(*1)がいる。
 ウイーンはゼセッションからウイーン工房など近代デザインを語るうえで避けてとおれない街である。が、そんなウイーンには、それらの父ともいえる建築家オットー・ワグナーの仕事があちこちで見られ、まるでギャラリーである。どうしてこれだけのことができたのかについては、美術アカデミーの教授や宮廷の主任建築家としての立場と造形的力量はいうまでもないが、幼少のころ母から金銭の重要性を説かれ、不動産投機家でもあったということも関係があるようだ。(*2)
 ともあれ、建築のことは置くとして、いま手元にある「ワグナー、家具とインテリア」(*3)と題する大部な本を見てみると、家具やインテリアにおいても数多くの仕事を残している。
 それらの中で、郵便貯金局のためにデザインされたスツールは特筆すべきものである。トーネットは曲木という木の加工法を開発し、曲木の持つ自然な形状をいかしたパーツを組み合わせ多くのバリエーションを生んだ。が、ワグナーは曲木という加工法を利用したが、トーネットとはまったく異なる発想で、口の字型のパターンとしてのパーツ(部品)が欲しかったのではなかったか。その上、アルミという新素材のボルトでパーツを組み立てるという家具の造り方を提示したことは何にもまして革新的。その止め金具を意匠(アクセント)として生かした点でも圧巻だ。こんな発想の椅子(スツール)が19世紀にあっただろうか。同じ郵便貯金局のためにデザインされた重ね棚を見るとこのことがより明らかになる。規格化されたパーツをアッセンブリーすることでコンポーネントを形成する。これこそが近代デザインの方法論。バウハウス以前にこのことをやってのけたのだから凄いというほかはなく、家具の世界に近代という幕を開けた一脚であろう。
 ところで、10年ぐらい前、ふとしたことからこのパーツのコーナーのアールがどうみても小さすぎる。曲木で曲がるアールなのかという疑念を抱き、実測する機会を持った。結果は、約20ミリの厚みの木が30ミリのアールで曲げられていた。おもわず100年前の曲木の技術力に感嘆した。
 1962年、ワグナーのスツールの存在を知らなかった私が、三つの成型合板によるパーツを中央で結合させ、ユーザーが組み立てることが可能なスツールをデザインし、天童木工のデザインコンペで評価を得たが、ワグナーのスツールからなんと60年近く後のことである。そのころでも新しい発想として受けとめられたのだからワグナーのスツールは近代への嚆矢として評価されてよい。
 郵便貯金局での余韻が覚めやらぬその夜、「アメリカンバー」(*4)でグラスを傾けながら、ハプスブルグ家の落日のもと、20世紀初頭のウイーンにおけるデザイン論の熱気にも思いをはせていた。
*1:フンデルトヴァッサー(Hundertwasser 1928〜2000)は異色の画家であり建築家。大阪にはこの他に「キッズプラザ」の屋内にもフンデルトヴァッサーの仕事が見られる。
*2:竹内次男、「ウイーンの夢と憧れ」展図録(徳島県立近代美術館 他)2003年 pp.17〜26
*3:PAUL ASENBAUM, PETER HAIKO, HERVERT LACHMAYER, OTTO WAGNER Mobel und Innenraume, Residenz Verlag
*4:アドルフ・ロース(Adolf Loos 1870〜1933)の設計になるバー。ロースは20世紀初頭に活躍し、装飾は罪悪である、と唱え後世に影響を及ぼした建築家