No.44 ボーエ・モーエンセンのスパニッシュチェアー 1959

先日、カーンの映画を見て急に書くことを決めました。それは、カーンの設計したテキサスのキンベル美術館にあったボーエ・モーエンセンの椅子についてです。不思議な取り合わせであると思いますが…。先月のクリントの影響を最も受けたデンマークのデザイナーです。

ボーエ・モーエンセンは収納家具や椅子など多くの家具をデザインしている。椅子も総張り(革)のウイングバックチェアーやソファーから木製のフレームのものまで多種に及ぶが、木製の椅子のデザインには大きく二つの流れがある。一つは、「J39」から端を発したハイバックの安楽椅子や肘掛椅子(1957)などの素直な、それでいて美しく繊細さを兼ね備えた造形のもの。(*1)もう一方に、ハンティングチェアー(1950)からダイニングチェア(1951)(*2) やスパニッシュチェアーなど座と背に厚い革を張った、所謂スペイン調といわれる椅子である。
後者の一連の椅子は、座と背に一枚の厚革を張りベルトでしめるという方法のために木柄が大きく、デンマークの椅子の中では力強い印象を受け、異色の存在である。これらは一見粗野なイメージを受けるが、素朴さのなかにディテールなど完成度が高いことに変わりがない。
スパニッシュチェアーは自邸を建てたとき(1958)にデザインしたとされるが、名前の通りスペインにある椅子をリ・デザインしたもの。ゆったりとした座幅、肘幅も大きくコップなどを乗せるのに便利な小テーブルを兼ねることができる。座の革は永い使用で伸びてくると裏側のベルトで締めて調節可能である。
モーエンセンは自邸や別荘を建てると、その空間に適した椅子をデザインしたという、自らも使用することを前提に「使う」という視点で家具のデザインを続けたデザイナーである。
スパニッシュチェアーはデンマークのデザイン誌「mobilia」が1974年に選んだ「100の偉大なデンマークデザイン」にも選ばれている。(*3)
尚、モーエンセンの経歴などは、本年の5月号(No.650)を参照されたい。デザイン:ボーエ・モーエンセン(Borge Mogensen 1914〜1972)製造:フレデリシア社(Fredericia)
*1:家具タイムズ2006年5月号を参照*2:この椅子が右のページのルイス・カーンの設計になるキンベル美術館に採用された。
*3:「mobilia」,no.230-233,1974

キンベルのモーエンセン
先日、「マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して」という映画を見た。この映画は、1974年ニューヨークのペンシルバニア駅で急死した現代建築の巨匠ルイス・カーン(*1)。その愛人の息子(ナサリエフ・カーン)が、父親探しの旅を映画化したもので、カーンに二人も愛人がいたとは驚くが、カーンの建築とともに人間模様など見るべきものが多いドキュメンタリー映画の秀作であった。
そのなかでおもしろい映像にも触れた。キンベル美術館建設途中のニュースか何かの報道で、空からの映像とともに「テキサスに巨大な牛舎が出現するが、内部はすごいらしい」というナレーションには思わずうなずいてしまった。空から見るとまさに牛舎だが、20年ぐらい前に見たキンベルの美しさにため息を吐いた記憶が鮮やかによみがえったからである。
キンベルは雑誌で紹介されたときから一度観てみたいと考えていたのだが、機会に恵まれずにいた。80年代のある夏、ニューヨークまで来たのだからと、旅程を少し変更しテキサスのフォートワースへ足を伸ばした。
街の中心部からそれほど遠くないアモン・カーター・スクエアーと呼ばれる緑豊かな公園の一角にキンベルはある。道路脇のシンプルなサインを見て近づくと、トラヴァーチンの白い壁をバックに真っ赤な服の女の子が一人前庭の水と戯れている。なんとも美しい光景に思わずシャッターをきったが、アプローチからなにかドラマを予感させた。
建築について結論だけを先に言えば、少々旅程を無理して来ただけのことは十分すぎるほどあった。内部空間は牛舎などというのはとんでもなく、サイクロイド曲線によるヴォールトの上部から自然光が巧みに取り入れられ、空間構成など「ノーブル」という言葉がぴったり。
だが、そこで不思議な取り合わせにも遭遇した。エントランスホールでいきなり出会ったのがモーエンセンのダイニングチェア。カーンとモーエンセン。どう考えてみても接点どころか、デザインの思想など共通点が見つからない、と思うのは私の無知なのかもしれない。
20世紀の椅子のデザインをみると、初期のころは建築家が自らのデザインした空間のために、椅子までデザインすることが多かった。カーンはあまり椅子をデザインしていないが、美術館設計のころにはそれほど既存の椅子がそろっていたわけではなく、カーンがこの美術館のためにどんな椅子をデザインするのか見てみたかった気もする。
選んだのがモーエンセンの厚革張りの椅子。完璧なまでに計画された知的な建築空間に、どちらかといえば素朴で骨太な椅子。この取り合わせはカーンの考え方なのだろうか。あるいはフォートワースという環境を考慮した美術館側の考えからなのか知る由もなかったが、カーンのキンベルだから大いに興味をそそられた。
フォートワースはテキサス州にあり、当時でもカウボーイハットをかぶった男が歩く街。その街にある美術館は地元の人たちを中心とした大衆のための施設である。厚革を張った椅子はテキサスというところにもよく似合うし、違和感はない。どちらかというときびしすぎる建築空間との対比として、訪れる人たちにほっとする抜け道をカーンは用意したのかもしれない。モーエンセンもカーンが設計した美術館のエントランスホールにダイニングチェアが使われることなど予想もしなかったであろう。
テキサスの夏は照りつける日の光も厳しい。翌日、街の中心部にあるウオーターガーデン(*2)で足を水にぬらしながら、カーンとモーエンセンという取り合わせとともにキンベルというすごいものを見た満足感に浸っていた。
*1:ルイス・カーン(Louis I.Kahn 1901〜1974)は、 詩的で、芸術家肌の天才といわれたアメリカの大建築家。設計活動とともにエールやペンシルヴェニア大学の建築科の教授でもあった。キンベル美術館は1972年に完成したカーンの代表作の一つであリ、アメリカの近代建築の中で最高傑作の一つに数え上げられている。
*2:フォートワースの街の中心部にある水をテーマにした公園。建築家フィリップ・ジョンソンの設計。