No.62 アルヴァ・アアルトのNo.60(スツール)から一連のスツールと小椅子 1933〜1954 

先月に続きアルヴァ・アアルトですが、今月は、アアルトが木を曲げるということを端緒としてデザインしたスツールや小椅子をとりあげながら、昨年の夏に訪れたコッコネン邸にふれてみます。
建築以外でアルヴァ・アアルトの木の香りを今でも世界中でかぐことができるのはアルテック社の家具によってである。また1937年のパリ万博や1939年のニューヨーク博のフィンランド館をデザインし、アルテック社の家具を展示することでアアルトの名は世界に広まることとなった。
アルテック社(Artek)は、アアルトのデザインした家具などを製造・販売するために、アアルトと妻のアイノ・アアルト、歴史学者のニルス・グスタフ・ハール、後のマイレア邸で施主となる女性実業家マイレア・グリクセンの四人によって1935年に設立された企業である。デザイナーが自らのデザインを販売するために企業化するというのはデザイナーの理想であるが、今でも難しく当時も簡単ではなかったはずである。アルテック社が今日まで生き続けている理由は、アアルト自らが中心となって設立されたこととその製品が色あせずにあることが第一であるが、より重要なことは現在企業のモノづくりに最も重要な「企業理念」を設立当初のまま失わず継続されてきたことにある。70年を経た今も世界中に輸出されていて、デザインマネジメントという視点からも注目すべき企業である。
アルテック(Artek)という社名はARTとTECHNOLOGYを混合させた造語である。TECHNOLOGYの面でいえば、トゥルクの家具職人オット・コルホーネン(Otto Korhonen)(*1)との共同で、フィンランド産の樺の木を家具に生かすために木を曲げる技術を開発して、それまでにない造形のスツールや小椅子を次々に誕生させた。その端緒はNo.60のスツールで、無垢の樺材に筋目を入れラメラと呼ばれる薄い木材を挟み込んで曲げ、他の部分は無垢のまま使用している。
その他、No.60の「L脚」を基本に、二本を接合した「Y脚」や多数の脚を扇形に接合した「X脚」など、木工技術と造形が見事に融合した多くの名品を生んでいる。
デザイン:アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto 1898〜1976)
製造:アルテック(Artek)
*1:オット・コルホーネンは1910年にトゥルクで家具工場(コルホーネン社)を設立。20年代末にアアルトと共同で木を曲げる技術を開発した。コルホーネン社はフィンランドを代表する家具会社の一つで、現在もアアルトの家具を製造している。

自然に無理なく建てられたコッコネン邸
 ヘルシンキの北35キロのところにヤルベンパーという小さな街がある。
 ここにはフィンランドの大作曲家シベリウスが1904年以来住んだ「アイノラ」があり、作曲に専念したところとして有名だが、近くにツゥースラ湖の豊かな自然が広がる素晴らしい環境。ここに友人である作曲家のヨーナス・コッコネン(*1)のためにアアルトが設計したヴィラがある。
 昨夏、久しぶりに北欧を旅することにしたのは、ヤルベンパーに住む知人が「コッコネン邸を見に来ないか」と誘ってくれたこともその一つであった。
 エリエル・サーリネン(*2)が設計したヘルシンキの顔である中央駅。近年、プラットホームには美しいガラス屋根がかけられ光がシャープな影を落としていたが、それでもヨーロッパの古い駅にはどこか旅情を誘う雰囲気がある。乗った車両はこれまた現代的なイタリアのデザインであったがなかなか立派なもの。走り出して30分あまりで着いたヤルベンパー駅には改札口もなく、プラットホームがそのまま街の一部という自然の中。迎えに来てくれた知人の車で真っ先にコッコネン邸に向かった。
 「ここですよ」と言われてもにわかに信じられなかったのは、黒い外壁でファサードらしいものもなく、言われなければ見過ごすような木立に隠れた家。とても大建築家が設計した住宅といえるものではなかった。ところがなかに入ると一変し、少なからず興奮することになる。
 ビィラのプランは、作曲家にとってもっとも大切なグランドピアノを設置したスタジオが中心となり、床も壁も木質。コッコネンになったつもりでグランドピアノの後ろに回ってみると、正面の縦長で高さの異なる開口部からは木々の緑が風にゆれて美しい。右側にある暖炉の壁はマイレア邸(*3)ほどのオーバーな造形ではないが、ここにもアアルト特有の有機的な曲線が見える。ビィラはこのスタジオを中心にほかの部屋が計画されたというように、音の遮断を考えスタジオとの境は大きな二重扉。壁の中にビルトインされた内側の扉を閉めてみると、スタジオの壁と全く同じデザインで部屋の中からは扉を感じさせない。家具は全てアアルトのデザインであることはもちろん。あたり一面木という素材と書物に囲まれた知的でやわらかい空間に、天井からは白いキャンパスの変形のキャノピーが効果的に吊り下げられ、思わず住んでみたいという気分になるのは、漂う空気がやわらかいのだ。住宅はこうでなければと想う。
 このヴィラの設計がはじまった1967年といえば、ヘルシンキまで足を延ばせなかったが、私が最初に北欧を訪れた年。あの時にアアルトがこのヴィラの設計を、と思うと感慨もひとしお。コッコネンがアアルトに設計を依頼したとき、レストランで二人が話し合った構想をテーブルクロスに書いたものが今も残っている。それには二人のサインまである。これを印刷したパンフレットにアアルトの次のような言葉が記されていた。「建築は、自然に無理なく建てる。誇張してはいけない。不必要なものはつくるな。余分なものはすべて、時間の経過とともに見苦しくなる」と。
 建築ジャーナリズムが発展し、雑誌に発表することを前提に、写真に撮り見せるための力んだ住宅設計が多い昨今。これらとは対極にあるコッコネン邸。施主の立場に立った設計姿勢、自然との無理の無いかかわり、40年が経過してもなお豊かでやわらかい空間。住宅建築の典型を見た満足感に浸りながら帰路につくと、ヘルシンキは白夜であった。
*1:ヨーナス・コッコネン(Joonas Kokkonen 1921〜1996)は、第二次世界大戦後のフィンランド音楽を代表する作曲家
*2:エリエル・サーリネンについては、「家具タイムズ」626号を参照されたい。
*3:マイレア邸(1939)はアルテック社の設立者の一人であるマイレア・グリクセンのための住宅。アアルトの住宅建築の代表作
参考文献:コッコネン邸の図面などは、雑誌SD,1977年12月号のアルヴァ・アアルト特集号 P92