No.51 ハンス・ウェグナーのYチェア(CH-24)1950

ウェグナーが亡くなったことを、昨日新聞で知り、驚き、突如書くことに決めました。92歳であったという。先月ネルソンでアメリカにもどったので、ポロックの予定であったのですが。
ハンス・ウェグナーはデンマーク、ユトランド半島のドイツ国境に近い街(トゥナー)で靴職人の息子として生まれ、幼いころよりモノづくりの環境で育つ。家具職人として修行を始めた後、美術工芸学校でデザインを学ぶ。卒業後、アルネ・ヤコブセンの事務所で働くことになり、そこでオーフス市庁舎の設計に関り議会用の椅子などのデザインをする。1940年ころより独自に家具デザインを始め、毎年開かれるコペンハーゲンの家具製造者組合展に出品。世界的評価を受けることになった多くのデザインを次々に発表していった。椅子のデザインは生涯で500種類以上にもなったというのは驚くべきことである。
ウェグナー語録に、「職人の智恵を生かす」というのがある。(*1)ウェグナーは自ら試作することもできたが、常に腕のいい職人の力を生かして家具、特に椅子のデザイン一筋に生きた職人的デザイナーである。
Yチェアは、中国の明代の椅子に影響を受け、リ・デザインしたチャイニーズチェア(1943)をより発展させたものとされている。が、同様のコンセプトからできた手仕事中心の「ザ・チェア」(*2)とは異なり、機械を使った生産性とクラフトマンシップを融合させたつくり方は、デンマーク家具の規範というべきもの。その結果、比較的廉価になリアメリカをはじめ多くの国に輸出され、これまでに70万脚も生産された。「ザ・チェア」と並びウェグナーの代表作である。
他に、このころのデザインとして有名なベアチェア(1950)や洋服がかけられるハンガーのような笠木のバレット・チェア(1953)などがある。(*3)
ハンス・ウェグナーはデンマークのみならず、アメリカやイタリアでの受賞の他、わが国でも1997年の第8回国際デザイン・フェスティバルでデザイン・アオードを受賞している。
デザイン:ハンス・ウェグナー(Hans J.Wegner 1914 〜2007)製造:カール・ハンセン&サン(Carl Hansen & Son)*1:1997年、(財)国際デザイン交流協会が主催するアオード受賞時のカタログの中で、職人の智恵の重要さを説く。
*2:家具タイムズ 623号参照。
*3:40年後半から50年代はウェグナーが最も脂が乗り切っていた時期で他にも名品は多いが、また次号でとりあげます。ものとされている。が、同様のコンセプトからできた手仕事中心の「ザ・チェア」(*2)とは異なり、機械を使った生産性とクラフトマンシップを融合させたつくり方は、デンマーク家具の規範というべきもの。その結果、比較的廉価になリアメリカをはじめ多くの国に輸出され、これまでに70万脚も生産された。「ザ・チェア」と並びウェグナーの代表作である。
他に、このころのデザインとして有名なベアチェア(1950)や洋服がかけられるハンガーのような笠木のバレット・チェア(1953)などがある。(*3)
ハンス・ウェグナーはデンマークのみならず、アメリカやイタリアでの受賞の他、わが国でも1997年の第8回国際デザイン・フェスティバルでデザイン・アオードを受賞している。

座ることだけではなかった私のYチェア
デンマーク家具デザインの隆盛を担った巨星ハンス・ウェグナーの訃報を知ったのは昨日。2月10日の朝日新聞紙上(*1)のことである。 それほど交流があったわけではない。コペンハーゲンで一度お会いし、話をさせていただいた程度であるが、今この原稿をわが家の食卓横のYチェアに腰をおろして書きはじめると、ウェグナーにつながるデンマークのさまざまな記憶がよみがえる。 ウェグナーのデザインした数ある椅子の中でもYチェアは日本人に好まれた椅子で、輸入・販売された数も相当のものになっているはずである。素直でありながらちょっとそのあたりにないユニークな造形は不思議な力を持っているからで、特に建築家が自ら設計した住宅に好んで採用した。ある人は施主が持つ食事用椅子が気に入らないと、自分のYチェアを持ち込んでまで竣工写真を撮るというが、お粗末な空間であってもこの椅子を置くことで生き生きと空間が変質するから驚く。これぞ椅子の持つ力であろう。わが家では、コンクリートの狭い空間ながら、私がデザインした同じ楢の食卓とその上にヘニングセンのPHランプ(*2)が吊り下がるとほんの少し北欧の香りが漂うのである。 しかし、日本で数多く輸入され使われた理由は、その造形はもちろんだが、なんと言っても価格で、驚くほど高くなかったことである。私が買った1970年代の価格は現在とあまり変わらず、当時としては相当高かったが、それでもデンマークの木の椅子で無理をすれば私などに手の届く価格の椅子はあまり他になかった。Yチェアは機械を利用した生産方法とクラフトマンシップの融合というデンマークの家具づくりの方程式が確立した椅子といってよく、その結果価格が手ごろなところにおさまった好例であろう。
私のYチェアは、使い始めて30年以上。これまでの人生でもっとも長時間お世話になった。朝晩の食事のときとそれ以外も含めると膨大な時間になる。楢のフレームにはあちこちに染みがつき飴色にひかり、ペーパーコードのシートは汚れて、最近その一本が外れてしまったが、座るという機能では買ったときとなんら変わることはない。今も腰をおろし、今日は特別で、パソコンを食卓の上にひっぱり出しながらこの原稿のために記憶の糸を手繰り寄せているのだが。 実はこのYチェア、私にとってもう一つの役割を担ってくれた。それは寸法のサンプルとしてである。椅子のデザインでイメージと縮尺図ができ原寸図を描く段になると、ミリ単位で部分の寸法を決めなければならないのだが、その時どうしても現物による実感が必要になる。ウェグナーは職人としての技を持ち合わせていたからイメージや5分の1の図面から即座に模型や現物で確認していたのだろう。が、私の場合、試作など簡単にやれる工房もなければ自ら鉋を使えるわけでもない。木の丸棒や金属のパイプの何種類かは手元においてあったのだが、Yチェアには直径18ぐらいから40までの様々な段階のサンプル(丸棒)があり、椅子という形になっているからプロポーションを考慮しながら寸法を決めるのに好都合で、ノギス片手に目を細めてよく利用させてもらった。その他、座から背までの高さや背の曲がり具合なども。
 ウェグナーの訃報に接し、これからも、どこまでも使い続けるYチェアだが、このあたりで「ご苦労さん」と一言礼を言っておきたい気分である。 そして、木という素材を、奇をてらうことなく自然に、なにより美しく、使いやすい多くの椅子という道具に仕上げたハンス・ウェグナーのご冥福を祈りながら。
*1:2月10日の朝日新聞によると、「米紙ニューヨーク・タイムズが8日までに伝えたところによると、1月26日、コペンハーゲンで死去、92歳」とある。
*2:PHランプはシリーズデザインされていて、ポール・へニングセン(Poul Henningsen 1894〜1967)のデザイン。オリジナルは1925年にデザインされ、最も有名なPH‐5は1958年。